鯨と鮭鯨と鮭 【2007年12月17日付けブログより】 学芸員と学習者、みたいな立場ではなく、普通に隣人としてアイヌと付き合うようになって初めて思ったことがひとつ。国際社会に向かって「捕鯨を認めろー」って叫ぶ前にアイヌが川で鮭獲るの認めれば? 心配しなくてもアイヌは資源が枯渇するような漁の仕方しないって。 まず国内で民族的食文化をしっかり保護した上で世界にもの言わなきゃ何の説得力もねぇだろよ。 ぷらっと文化センター系んとこ行って学芸員さんの話を聞く度に心に痛みを感じるのはもう嫌だ。 アイヌの子として生まれた人が、シサムもいいけど俺はアイヌでよかったなぁと思えるような日本になれー! ----- この記事に対し、「北海道の役人にアイヌはかなり優遇されていると聞いたことがありますが、そうでもないようですね!」というコメントがあった。 そのコメントを読んだ時に、本気でその“役人”が誰かつきとめて、我々倭人がアイヌにどんな酷いことをしてきたのか、否、して「いる」のかを心底理解するまで語って聞かせてやりたいと思った。 私も所詮は“普通の”倭人。 自分の中に差別意識が存在することにさえ、最近まで気付かなかったゴミ人間だ。 それでも、アイヌが優遇されているなんていう突拍子もない勘違いをしたことなどない。 どんな笑止千万な思考回路してるのか、その“役人”に対して「珍獣に対する好奇心」と同等の興味を覚える。 ブログにこの記事をUPした後でみつけた本によれば、アイヌが川で獲る鮭というのは基本的には「ほっちゃれ」らしい。 「ほっちゃれ」というのは遡上して子孫を残す作業を終えた後の鮭のことで、放っておけば死んで微生物に分解されるばかりになったもののことだ。 つまり、自分で食べる分を獲った(というより、拾った)ところで生態系には何の影響も及ぼさないもの。 そんなもの獲って密漁扱い? 倭人の漁師はこれから産卵する脂の乗った鮭を網でがっぱし獲るのにか? それって変じゃね? なぜこの状況を理不尽だと叫ぶ者がいないのか。 おかしいって気付いた私が叫ばなきゃダメ? 天国の萱野さん。 乗りかかった舟、という言葉が最近よく脳裏をよぎる。 乗りかかった舟の舵を取って、その舳先を桃源郷に向けられたらいい、と心から願う。 とりあえずM主党にメールでもしてみるか。 |