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2012.05.27 楽天プロフィール Add to Google XML

 「今日一日生きて」

・5、2、
我々は、我々というのは人間、動物ばかりではなく、すべてのもの星に至るまで誕生、繁栄、衰退、死という時間の節理に乗っ取って存在している。
よってビッグバーンによって地球が生まれる前にも、もちろん時間は存在したことになる。
言い換えれば、時間があるから地球が誕生もする訳だ。
そのことは日々忙しい普段我々の脳裏には去来しない。
宇宙も太陽も地球も、我々も一瞬の今を存在して無と帰すと考えられる。
しかし否僕の自論は、死後も時間に支配されることになる。
時間があり、物質がある限り死のあとの誕生もまた存在する道理となるはずだ。
何故なら生に永遠が有り得ないと同時に、永遠の無も存在不可能であり、死の終わりも必ずやって来る理論となるはずだ。
この理論は僕が高校生のころに行き着き、今もなおその理論は崩れていない。
宇宙の端を探してどんどん進んで行きいつかその果の壁を探し当てたとしても、必ずその壁のあちら側は存在するはずだ。
そしてそのあちら側の世界の端を探し当てても、またその向こうの世界が存在しなくてはならない。
そう考えると、高校生の僕の頭は痛み始めたものだ。
地球は自分でぐるぐる回りながら、太陽の周りをまたぐるぐる回る。
このぐるぐる回るところに時間が生じるのではないか?
となると、生と死を含む星たちが存在する宇宙自体も、ぐるぐる回っているのではないか?
地球からどんどん離れて宇宙の果を探しても、気が付けばまた地球に戻っているかもしれない。
最後には「この問題は、人間の思考を超えたところの話なのだ」という結論で終わるしかない。
だから、生と死もぐるぐる繰り返されなくてはならないのが我が自論である。
これこそが無間地獄だ。

ーーーーーー
諸行無常の科学的解釈・・・なぜ鐘の音は鐘に戻らないのか?
世の中には当たり前のように見えて実に不思議なことが多いものである。マイナス40
℃の氷を暖めてマイナス20℃にする時、氷を暖めるので氷の一部が融けるような気が
するが、不思議なことに氷は0℃(融点)にならないと融けない。これは奇妙な現象
などで小学校で融点を学ぶが、日本人のほとんどが温暖化騒動で「氷は温度が上がっ
たら融ける」という宣伝に引っかかった。
地球は平らと思っていた頃、朝、東から昇った太陽は西に沈む。西に沈んだのだから
次の日は西から昇るように思うのだが、不思議なことに毎日太陽は東から昇る。いっ
たい、いつの間に西から東に行ったのだろう? その回答は「太陽は毎朝、東の土か
ら出来て、西に沈み土に戻る」というものだった。人間は最初に間違う(地球は平ら
)と、結論も間違う(太陽は土から出来る)ものであることがわかる。
・・・かくのごとく人間の知恵ははかない・・・
お寺の鐘を叩くと、その鐘の音は不思議なことに四方八方に広がり、決して戻ること
はない。なぜ鐘の音は再び鐘に帰ってこないのだろうか? なぜ川を流れるものは絶
えず上流から下流に流れ、とどまることを知らないのだろうか?
今の人間はお金のことばかり考えているけれど、昔は自然との距離が近かったから、
自然の中に実に不思議なことが多いのに気がついていた。その一つが「諸行無常」だ
。人間は誕生し、成長し、全盛期を迎え、やがて衰えて死ぬ。それは人間ばかりでは
なく、他の生物も、川も山も何もかも誕生して成長し、やがて死を迎える。なんで「
ジッとして」いなのだろうか?
この世にはジッとしているものはない。どれもこれも変化する。樹木を見ると元気よ
く新芽をだしているのだから、そのまま10年ぐらいは変わらなくても良いのに、慌た
だしく紅葉し、落葉する。なんと気ぜわしく、もったいないのだろうか?
人間社会も科学も何の意味があるのかわからないが、「進歩、革新、新しいこと」と
うるさい。科学が人間を幸福にしてくれることなど無い。もし科学が幸福にしてくれ
るということと、科学が進歩するということを組み合わせると、人類は絶滅の直前に
しか幸福にならない。なぜなら、人類が絶滅の寸前がもっとも科学が進歩してるとき
であるし、その人類から見ると1000年前の人は科学技術が遅れていたために「不幸」
であると言うことになるからだ。
なぜ、進歩も変化も無駄であることを知っていて、進歩や変化を求めるのだろうか?
 なぜ、あらゆるこの世のものは諸行無常なのであろうか? それは今から147億年
前、ビッグバンという事件によって時間が出来たからだ。そしてその時間は過去から
未来にしか流れないので、その時間の流れに遅れまいとすべてのものは変化してやま
ない。
実はこの世に生まれたものはすべて「ジッとしていること」はできない。鐘の音は「
その場にとどまっている」ことは不可能で、どちらかに行かなければならない。つま
り鐘の音はお寺の中に留まっているということ自体が宇宙の力を受けて不可能なのだ

人間も必ず歳を取る。どんなに若く見える人でもいつまでも赤ちゃんのような肌を持
っている人はいないし、90才になれば体の自由は若い頃のように効かない。生物は日
々、体を入れ替えることが出来るのだから、変わらなくても良いように見えるが、そ
うはいかないのだ。
「エントロピー増大の原理」と言っても良いし、「時間は止まらない」と表現しても
よい。平家物語(仏教)のように「諸行無常」でも良い。とにかく止まっていられな
い!という一大欠点が私たちを悩ましているのだ。
毎日を止まるとストレスがたまる。毎日、過度に動くと辛い。私たちは宇宙の動きに
従って、「適切な変化」を強いられている。しかし、それはとても良いことでもある
。私は「昨日も晴れ」と書くことがあるが、過去は流れていくので、悪いことは思い
出さないですむ。昨日がどんなに土砂降りでも「晴れ」と思えば、二度と再び昨日は
来ないので、土砂降りは晴れになる。
あまり長い間の変化も予想すると頭が痛くなる。だから、今日一日ぐらいが良い。そ
れが私の「今日も朝」だ。私の人生は昨日で終わったかと思ったら、今日も朝が来た
。それなら今日一日ぐらいはまた頑張るか!という具合である。長期的目的はたてな
い。変化は変幻自在であって、どうなるか予想もつかない。30年前は携帯電話もなけ
れば、ほとんどクーラーすらなかった。地球が温暖化するなどということは全くなく
、私の知り合いは「寒冷化に強い作物」の研究をしていた。
進歩は良くもあり、悪いくもある。変化はせざるを得ないが、良いとばかりは限らな
い。でもそれが人間、生き物、そしてこの宇宙に住むものの定めだ。
20年前、私は川にも山にも、誕生があり、成長、繁栄があり、衰退と死があるのに気
がつき、愕然としたことがある。人間だけではない。それが私たちに時の大切さ、今
の大切さを教えてくれる。
(平成24年5月2日)
「tdyno.68-(8:06).mp3」をダウンロード
武田邦彦


最終更新日  2012.05.28 00:20:44
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2012.05.24

 「今日一日生きて」

・5、24、木
僕が高校生のころに、一度父と議論した覚えがある。
父と議論などほとんど覚えがないが、これが最初で最後だったかもしれない。
議論と言っても喧嘩や言い合いではなく、極めて穏やかな意見の交換であった。
その時のテーマは、見合い結婚についてだった。
僕はそのころ、見合い結婚というものがどうして成り立つのか理解できなかった。
女性にとって、一生の自分の運命と生活が一度に決められてしまうような儀式である結婚の相手を、親や他人に宛がわれてそれに疑問も抱かず身を委ねることが正しいのか?と父に食いついたのだ。
確かその時知り合いの女性が、恋人が稼ぎがないからという理由で親に付き合いを禁止され、そのうえ見合い結婚を押し付けられたという身近な話があったからだと記憶している。
その時の僕の論旨は「金がなくとも愛する相手と苦労を共にする幸せと、不自由なく生活はできるが、べつに愛してもいない男に毎晩抱かれる生活と、どちらを取るべきか?」というものだった。
父は「いくら愛し合う二人が夢を抱いて生活を始めたとしても、そこにやはり金がな
ければ結局独立して所帯を維持できず、末路は親の元に帰らざるを得ないという例を自分は見て来た。
だからこそ親はそれを知っていて、皆娘に間違いのない道を勧めることになるのだ」と言った。
「今の世の中にそんな危険が本当にあるのか?」と僕は尋ねた。
「おまえは社会の厳しさを知らない」と父は穏やかに言って議論は終わった。
しかしやはり僕は憤然とした思いが残った。
「その時男に稼ぎがなくとも、年月が経つと共にどう変化するか分らないではないか。
本当に一緒になりたい二人が、共に力を合わせて道を切り開く勇気を親が認めるべきであり、親の目から見た初めから安全な道が本当の娘の幸せであるか?そんなものは親のエゴである」と考えていた。
今から思えば我ながらまともな意見である。
夏目漱石の作品に門というのがある。
あえて茨の道を選んだ男女が夫婦としてひっそりと暮らす生活。
社会から捨てられ、他人と関わることを務めて避けながらたんたんと過ぎる静かな生活。
役所に勤める夫の稼ぎでは特別な贅沢は何も出来ず、二人が何とか食べて行けるかつかつの生活(明治時代の役所の職員はそんなに給料が少なかったのだろうか?)。
「重い罪を背負った二人は、社会から鞭打たれながら死に向かうものである。と同時にその鞭の先にある甘い蜜の味を味わいながら、二人手を取り、お互いだけを頼りに手を携えて暗い道に歩を進める」
寂しいその道の上でこそ、彼らは離るることのできない互いを感じ獲ることができたのだ」と一説にある。
人はパンにのみ生きるにあらず。
収入の量が幸せの量と比例すると教え込まれている現在、この夫婦のように、社会から捨てられ、鞭打たれて初めて思い当たる蜜があるのかもしれない。


ーーーーーー
お金は多い方が良いとなったのはいつ頃か?・・・錯覚の社会
現代は「同じ仕事で給料が20万円と30万円のどちらにします?」と聞けば、100人が1
00人、30万円と答えるでしょう。でもこのような習慣はここ300年ぐらいで定着した
もので、その前は20万円を選んだ時代が長かったのです。
ヨーロッパではゲルマンの時代がそうで、「パンを食べられる範囲で良い。それ以上
は面倒だ」と答えましたし、江戸時代は「宵越しの金は持たない」のが良い人生とさ
れていました。お金(貨幣)がそれほどの意味を持たず、それより人生そのもの、時
間そのもの、家族や友人が大切だった時代があったのです。
先日、ある若い人にこの話をしましたら、なかなか理解が難しいようでした。少し話
してみてわかったのですが、その人は「このような生活が幸福である」というのを社
会から常に教えられていて、自分にとって必要なもの、自分の幸福をもたらすものに
ついて、おそらく一度も考えたことがないようでした。
かく言う私も同じで、32才まで私は「世間でこれが良いというものを、そのまま自分
にも良いこと」という錯覚をしていたのです。考えてみれば世間で良いとされるもの
でも自分にとって良いかどうかはわかりません。それがわかったのが不覚にも32才に
なってからで、それから40才まで修行を積んで、やっとある程度、「自分の人生にと
って大切なもの」が見えてきたのですから、その若い人がわからないのはやむを得な
いと思います。
それまでの自分は「仕事をするのでも、会社にいるより自宅にいる方が得く」、「同
じものを買うのに高いより安い方がお得」などとお金を中心とした尺度と、空気的損
得(自分の人生にとっての損得ではなく、世間で決めたものをそのまま)で決めてい
たのです。
・・・・・・・・・
かくして私の人生は気楽になり、朝になると「ああ、今日も朝が来たか!」と感謝し
てまた仕事に取りかかることができるようになりました。そんな私にとっては「安い
アルバイトは続くけれど、時間給の高いアルバイトは続かない」、つまり「人はパン
にのみ生きるものではない」という解説や教えを聞くとしっくりいくのです(その裏
でお金を狙っている人には腹が立ちますが・・・)。
(平成24年5月7日)
武田邦彦


最終更新日  2012.05.25 00:38:21
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2012.05.22

 「今日一日生きて」

・5、6、日
さて、この「日本は軍を持つべきか?」という問題は、いよいよ僕の頭を痛める。
「何処かの国が爆弾を打って来たらパック3で落ちて来ないようにして欲しい、でも
軍隊はだめ」というのでは、確かに矛盾している。
突き詰めて考えれば、国である限り軍がないというのは有り得ないということか?
敗戦後、日本はマッカーサーと一緒に法律を作り、もうこれ以上悪さをしないように
「日本は軍を持ちません」と封じ込まれ、その代わりにアメリカ軍が日本を守るとい
う名目で予算をどんどん吸い取って70年経ったということだろう。
さあここで今のような嘘に満ちたこの国で、軍という組織ができればどういうことに
なって行くだろう。
いずれ政府よりも民主よりも力を持ち、金儲けのためにあらゆる恐怖政治へと勢力を
伸ばし、行く行くは大手を振って核保有と進むことは容易に想像できる。
そしてもちろん影では官僚がその糸を引くのだ。
「戦争可否委員会」も「駄々漏れ軍隊」もあったものではない。
武田氏は、この期に及んで日本人を信じすぎる。
とは言え「国は軍を持たず、アメリカに安全保障を丸投げ」というのも永久に続けて
、養分を吸われ続ける訳にも行かない。
官僚としては、今の状態を続けることが一番心地良いのだ。
だがしかし、王国時代の沖縄が軍を持たずに永遠の平和を保つ事ができなかったよう
に、国民全員に地獄の恐怖を味合わせる訳にも行かない。
やれやれ、人間である限り攻められる心配は付き纏うということか。

ーーーーーー
憲法記念日:普天間・辺野古問題をきっかけに「日本軍と原爆保有」の議論をする必
要あり
普天間基地を辺野古に移す問題が民主党政権下で頓挫したのですが、これを「悪いこ
と」と考えず「この際、日本が軍隊を持つべきか、また原爆を保有するべきか」の議
論へと発展させるのが良いと思います。
今の日本の大人は、政治経済の首脳から庶民に至るまで「原発の電気は欲しいけれど
、高レベル廃棄物、低レベル廃棄物(1キロ100ベクレルまで)はイヤだ」とまるでい
いところ取りだけの子供のようです。
同じように「北朝鮮のミサイルは自衛隊に落としてもらいたいけれど自衛隊は軍隊で
はない」とこれも子供ではないか?・・・もう、大東亜戦争から70年になろうとして
いる今、日本人はこの2つの難しい問題に正面から取り組まなければならないところ
に来ています。
原発の方はかなり議論をしてきましたので、「原発を再開するなら電気をもらうとこ
ろが、原子炉も廃棄物も引き取る」という原理原則を貫くようにすると、自然と「原
発再開は原発が安全になってからにしよう」と言うことになるでしょう。「自分だけ
が良ければ」ということでも、「利得と被害の両方を引き受ける」というだけで、原
発を推進しようとしている人の腰が引けると思うからです。
でも、軍隊に関してはかなりの議論がまだ残っています。まず、私は今のところ次の
ように考えています(これは議論のきっかけにしか過ぎませんが)。
1) 日本は独立国だから軍隊がいる。アメリカ占領軍が70年もいるのは異常、
2) でも多くの日本人が軍部を作ると暴走して戦争になると懸念している、
3) そこで、軍部が暴走しないように、(軍部ではなく)政府に特別の機関(戦争
可否委員会)を作る、
4) 外交情報、海外情報をそのまま伝えるダダ漏れ機関を作る、
4) 軍と戦争に関する学問の自由、表現の自由に関する特別立法をする。
このうち1)は多くの人に合意が得られると思いますが、問題は軍隊が出来たときに
、「国家機密」を盾にして、軍部が暴走するのではないかという危惧が現在の日本が
自衛隊から軍隊に踏み出すことを躊躇している原因と思います。
そこで、(やや無理を承知で)軍部の暴走を防ぐ手段を先に作ってみて、自衛隊のも
と・・・軍部を作らない前に・・・しばらく試験をし、うまくいったら軍隊を作ると
いうプロセスはどうかと思っています。軍部の暴走を防ぐには政府に戦争に関する特
別の委員会を作り、そこを完全にオープンにしておくのです。つまり「ダダ漏れ機関
」です。
もともと軍事情報は「マル秘」が普通ですが、私は「マル秘」が国家間や国内の不信
感を増して、戦争になってしまうと思っています。外交交渉も、他国との関係もでき
るだけオープンにして、それをそのまま国民に伝えれば、国民に他国に対する憎しみ
などの感情がわかないと思うからです。
マル秘にするのは「日本がどのぐらいの性能の軍備をしているか」ぐらいですが、そ
れもこの時代にはオープンでも良いと思われます。敵の情報網から考えると、どんな
形にせよ、日本の軍事機密、武器の状態は相手国に伝わると思うからです。この点に
ついては機会があったら、軍事の専門家に聞いてみたいと思っています。
この際、日本が国際社会に先駆けて「ダダ漏れ軍隊」を作り、それによって「ダダ漏
れ抑止力」を発揮するのもかなりの可能性があるように思います。
また、戦争や軍事に対する表現の自由、学問の自由について、憲法ばかりではなく、
具体的にそれを守る法律が必要でしょう。私の経験によると、ごく普通のこと、たと
えば「地球が温暖化しているか」ということでも異論を述べると厳しくバッシングを
受ける社会ですから、戦争の気分が蔓延してくると、さらに虎の威を借る狐(政府側
の御用学者や評論家)が出てくると思います。
このような人を「憲法」だけで規制するのは難しいので、憲法で定められた事由を元
に活動する人をバッシングできないか、あるいは匿名では批判できないなどの具体的
な規則が必要と思います。
軍隊を作る前にこのような準備をして、自衛隊とアメリカ軍という独立国ではあり得
ない体制の中で準備をするのが良いと思うのです。また原発再開問題と深く関係して
いる日本の核武装の問題はさらに踏み込んだ議論が必要です。
(平成24年5月1日)
「tdyno.74-(5:35).mp3」をダウンロード
武田邦彦


最終更新日  2012.05.23 00:09:02
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 「今日一日生きて」

・5、5、
先日、以前放射能研究所の所長を務めていた方と話す機会があった。
僕は「例えば今関東に住んでいるものは、本当に西日本などに移り住まなくてもいいのでしょうか?」と尋ねてみた。
もちろん僕にも関東に住む多くの友人があるからだ。
「考え過ぎですよ。
福島からの放射線が怖いと言って、自然放射線の多い関西などに移り住むなどは愚の骨頂ですよ。
まず放射線と放射能物質は違うものです。
放射線がそんな遠くまで行きはしません」と笑った。
僕は彼の話を聞いて「この人は放射能の専門家でありながら、どうしてこんなピント
のずれたことを言うのだろう」と訝った。
それとも、僕の知識が根本的に間違っているのだろうか?
まず放射能物質は死の灰として全国にばら撒かれている。
風、車のタイヤ、瓦礫、その他食材がそれを全国に運ぶ。
その灰一粒一粒から放射線は出ていて、体内に入ってもそこで放射線を出し続けると
僕は理解している。
なのに関東に止まることが事実上正しいと言い切れるのだろうか?
この死の灰と、自然放射線を同等なものとして、本当に考えていいのだろうか?
もう一つは、彼もやはり足し算をしない。
内部、外部、そして自然放射線を一年単位で足し算して考えず、その場限り、その時
限りの被爆を考え「怖がることは愚の骨頂だ」という。
僕はこの「愚の骨頂」という言葉を使う者を信用しないようにしている。
あるいは、専門家でも現実に目を向ける勇気を出せずにいるのかもしれないとも思っ
た。
周りを見ると、皆やはり怖いこと、目の前の怖ろしいこと、邪魔臭いことにはできる
だけ美しいベールを掛けて、毎日を安心と笑いと希望と運の良さと楽しいことに囲ま
れて生きていたいようである。
現実は、それに捕らわれてしまうまではできるだけそこに目をやらずに過ごしたい。
しかし実は、我々こそが惨酷な現実の池に小さな船を浮かべて、その心細い船底で一
時の幻想に身を置いているに過ぎないのだ。
自分の船がどんな池に浮いているか、出来る事なら死を迎えるまで知りたくないと皆
思っている。
でもそれで我々は前に進めるのだろうか?
もちろん我々の日々の活動や企画に置いても、厳しい現実を堂々と予測せしめたとこ
ろにこそ、前に進む力は生まれるのではないだろうか?
その場で放射能の専門家に向かって反論したところで、僕の言うことなどに耳を傾け
ることは期待できないので、黙って彼の言うことをただ聞いていた。
ただ最後に「被曝は一年の足し算だと習ったのですが」と言ってみた。

ーーーーーー
日本にも科学者がいるのか?・・・頭脳活動と行動
連休に入って時間の余裕ができると、いろいろなことが頭を巡ります。「事実と幻想
」、「科学の役割」が今の一つの課題でもあります。
ポアンカレという数学者は次のように言っています。
「私たちは、事実がどんなに残酷なものかを知っている。だから、幻想の方が事実よ
り心の安まるもの、力づけてくれるものなのだ。私たちに信頼感を与えてくれるのは
実は幻想にほかならない。でも、幻想は消え去る。その時に人は希望を失わず、その
まま行動する元気をもち続けることはできない」
幻想は甘い汁ですが、やがて消えていきます。そのときに冷酷な事実に力強く立ち向
かうことができるのは事実そのものでしょう。人間は辛いことを正面から見るのは大
変で、ダーウィンも「勇気を持てば事実が見える」といっています。まさに被曝と健
康、福島の人の避難などに当てはまるでしょう。
また東大総長の浜田純一先生は訓示で次のように言っておられます。
「人間が陥りがちな弱さに自らも陥らず、そして人をも陥らせない役割が科学に携わ
る者には求められています。科学は精神安定剤ではないのです。人々の期待に力の限
り応えながら、同時に期待の圧力に屈しない知的廉直が科学には求められます。科学
の世界に生きる者に求められているのは、今の科学で出来ることと出来ないこととの
区分を明確に示すとともに、その限界を乗り越えるために苦闘している姿を率直に見
せることです。」
東大総長からこのような言葉がでるところに、今の日本の科学の脆弱さがあります。
つまり東大の御用学者も頭ではこのこと、つまり科学は人間が陥りがちな弱さに陥ら
ず、精神安定剤ではなく、期待の圧力に屈しない知的廉直さなのです。でも頭でわか
っていることが実行できない悲しさを東大教授は持っています。それが国民を苦しめ
ているのです。
地震予知が始まった1970年代。東大の地震の先生はお金が欲しいので「東海地震が先
に来る」と言い、阪神淡路と東北で犠牲者26000人の原因を作りました。まさに「出
来ることと出来ないこと」の区別が明確に出来なかったのです。
福島原発事故による被曝が始まると東大教授は「大丈夫」と言いました。被曝と健康
の問題は法律で1年1ミリと決まっており、それをさらに明らかにしようと「苦闘して
いる姿」だったのです、それは政府のいいなりになって科学を捨てました。
「わかっているのにやらない、わかっているのに違うことを言う」という自らの利益
だけを考えた精神的疾患は、東大教授に著しく、日本のインテリに共通した病状です
。これは日本人のある意味での限界を示したもので、特に宗教的基盤の薄い日本に顕
著です。人間は頭でっかちですから、宗教やヨガという精神的基盤や鍛錬なしに厳し
い現実に向かうことが出来ないのでしょう。
(平成24年4月30日)
「tdyno.71-(6:31).mp3」をダウンロード
武田邦彦


最終更新日  2012.05.23 00:06:40
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2012.05.19

 読者の皆様へ

ようやくパソコンが元に復し、正常に起動するようになりました。
キーを叩く指も水を得た魚のごとく、軽やか、かつ喜びに満ちたかを呈しております

本日も長い一日疲労に絡まれた身体の上、戻って横たわる大きなダンボール箱を開けてパソコンを引き摺り出し、あちこちに線を繋いでようよう画面の前に座りついた時には精も根も尽き果て、瞼の重さを感じ得て座を占める ばかりとなっております。
よって後日よりまた日記再開を試みてみたく、皆様にはご報告とご挨拶を以てここに近況を述べさせていただきました。
何とぞよろしく、続けてのご愛読を切にお願い申し上げます。



最終更新日  2012.05.20 22:41:46
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2012.05.09

 読者の皆様へ

読者の皆様へ

平素はご愛読いただき、感謝いたします。
連休前からパソコンの具合いが悪く、日記を掲載することができなくなっております。
試行錯誤いたしましたが、畢竟その原因を判じることができずにいました。
本日やむを得ず修理に出しました。
どれほどの日程を要するのかは今の段階では想像付きませんが、存外長く掛ることもあるかもしれません。
日記をしたためる以外にも様々な作業に窮しております。
パソコンがなければ、生活に支障を来す現代に生きる自らを哀れと思う限りであります。
時なく元の「書く楽しみ」の生活に復して、安らげる夜を心待ちにする次第です。
パソコンなき間も日記を書き貯めて、この世界を見る目を漸騰せしむる日々を奮闘いたします。
しばらくの猶予をいただきたく、ここにお願い申し上げます。



最終更新日  2012.05.14 22:21:46
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2012.04.30

 「今日一日生きて」

・4、30、月
今まで周りの人たちと福島原発事故による被曝の話になっても「広島、長崎の原爆の後も、皆さん元気に生きておられるじゃないですか?と反論され、それを否定できず、内心「確かに被曝が癌を引き起こすという確固としたデータはあるのだろうか?」と疑ってもいた。
何しろ現代では何処に居ても癌になる確率は高い訳で、どれが被曝のせいでの発症かが分らないのだ。
しかし下記に紹介されたような論文が権威のあるものなら、これから大手を振って被曝を危惧できる。

先日町中で、ある合唱団の団員の方(60代半ば女性)と偶然会い、電車の中で話していると「30代の終わりのころから甲状腺に問題が出て来て、ずっと病院に掛かっている、今も定期健診の帰りです」ということで、手首を見せてもらうとコブのように一部分が膨らんでいた。
「一体何が原因なのでしょうね」と話していたが、内心1950年前後のアメリカ・中国の数千回に及ぶ原爆実験、またはチェルノブイリなどの影響ではあるまいかと思っていた。
それを言うと皆そんなばかなと笑うが、10代、20代の若い女性の被曝による人体への影響は決して否定できないものだと、下記の記述を読んでも改めて思う。
その団員さんは、その甲状腺の問題が一度癌に進行し、薬で何とか食い止めたと思ったら、今度はリュウマチに変わって体のあらゆる所に出て来たという。
甲状腺とリュウマチの間にどのような関係があるかは分らないが、その本の原因については、誰も調査、研究しようとはしないだろう。
しかし被曝が現代の癌増大の原因であると、僕の中では確信している。

ーーーーーーー
被曝と健康に関する最新論文がでました
読者の方から教えいていただいたので、最新の被曝と健康の論文をご紹介します。
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_112342453_2。]
この研究は広島長崎で被曝した人8万6千人あまりの方を対象として行われていて、被
曝量は高い線量から1ミリシーベルト以下の微量な被曝をした人も対象になっていま
す。
そしてこの論文の中心的な結論は、
1)広島長崎の被曝でガンがかなり多いこと、
2)低い線量の被曝でも発がんが見られること(低線量被曝は危険)、
3)被曝量とガンの発生はほぼ比例すること(私はあまり用語が適当ではないと考え
て使いませんが、いわゆる「直線仮説」が成り立っているということです)、
4)いわゆる閾値(これ以下は大丈夫という被曝量)という限度はなく、強いて言え
ば0ミリシーベルトであること、
などです。
「被曝したら被曝量に比例してガンが増える」という論文はこれだけではありません
が、「1年100ミリシーベルト以下の被曝で、ガンが増えるなどという知見はない」と
言い続けた専門家が間違いであったことも同時にこの論文で確認し、ハッキリすると
思います。
もっともこの論文以外にも、低線量で健康障害を起こしたという論文は昔から多く、
「被曝は大丈夫」というのは、「知見がない」のではなく、「論文は多くあるが、私
の考えは違う」ということなのです。つまり簡単に言えばウソだったのです。
・・・・・・・・・
ところで、日本は科学技術立国といいながら、実際には科学的に奇妙なことが次々と
社会で「常識化=空気的事実」となる原因は、1)理科系文科系が分かれていること
、2)論文の多くが英語で書かれ、日本人の目に触れないこと、3)利害関係者が英
語の文章を故意に誤訳すること、などです。この場合は2)に当たります。
科学が国によらず人類の宝であることから、英語で書かれるのは仕方がないことです
が、同時に日本語でも流布されないといけないと思います。でも日本は後進性がある
ので、「英語で書かれた論文でないと採用の時の参考にしない」というような大学が
まだ多いのです。
英語で海外の論文に投稿し、それを日本語と日本的に直して国内学会誌にだすと「2
重投稿」ということで厳しくおしかりを受けます。でも、日本の科学の成果を日本人
が十分に役立てることはとても大切です。それを実質的にできないようにしている今
の学会、大学などの考え方にたいして私は納得できないでいます。
2011年の大震災と原発事故以来、御用学者という言葉が定着しましたが、この新なる
原因はすでに20世紀の初めにマックス・ウェーバーが指摘しているように「職業とし
ての学問」(生活やお金のために学問を道具として使うこと)が定着してきたからで
もあります。その典型が「東大教授」です。
日本の学会で利権が固定し、1)研究費を国が握る、2)勲章を国が決める、3)研
究費の配分を東大教授が決める(京大、東北大などの御用学者も参加する)、4)役
所は大学の予算配分を東大に厚くして、その見返りに御用学者になってもらう、とい
うことが行われています。
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_214627034_2。]
このグラフは日本(上)、アメリカ(下)の大学ごとの予算ですが、日本は東大がダン
トツで、数ヶの大学に予算が集中的に行っていることがわかります。それに対してア
メリカは広く「ばらまき状態」です。
日本では「ばらまき」は悪く、「集中」は良いと言われますが、そんなことはありま
せん。「集中」はどうしても腐敗を招きます。腐敗した学問と、少しの無駄はあるけ
れど腐敗しない学問では、腐敗しないことが大切です。
(平成24年4月26日)
「articletdyno.68-(7:19).mp3」をダウンロード
武田邦彦


最終更新日  2012.05.01 08:57:02
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2012.04.29

 「今日一日生きて」


・4、29、日  No2
昨日土曜日は「時にはentertainmentな夕暮れで」の演奏会本番であった。
朝から阿波座スタジオに寄り、販売用CDの箱やギター、衣装などを携えて南港サンセットホールに向かう。
楽屋に到着すると、スタッフがお正月みたいな立派なお弁当をこしらえて来てくれていて、伴奏ピアニストの大橋さんも交えてリッチな昼食。
その後リハーサルを行い、休憩を経て開場。
開場の前にすでに扉の前には長い行列ができていて「まるでジャニーズのコンサートみたいだ」と笑う。
動員数を遥か超えてチケットが出てしまっていたため、椅子はぎちぎちに並べられ、舞台の際まで一杯。
そんな中、我々二人は温かい拍手に迎えられる。
とりあえずプログラムに演奏曲目は記載されているが、その演奏順は気まぐれというやり方。
実は我々二人の内ではすでに念入りに曲順は吟味されていて、僕はわざと「大橋さん、次はどの曲の気分ですか?」なんて尋ねてみたりした。
二人のトークのコーナーもあり、出きるだけ我々の人柄に触れることのできる話題を工夫。
イタリアカンツォーネ、日本歌曲やソング、ドイツ歌曲などをばらばらに演奏し、CDのPRも怠りなく一部を終了。
困ったことに、トイレに行くのにお客様がコーヒーなどを飲まれているロビーを通って向かわねばならず、皆さんに声を掛けられて恥ずかしい思いがする。

二部には新しい試みとして、僕のギター弾き語りで武満 徹の曲を演奏。
ギターというものは音が小さく、どうしても開場の後ろまで響かない。
マイクを設置すると、声までひらって曲にそぐわない。
結果聴こえなくてもそのまま生で演奏することに。
これは、僕本人としてはとても楽しかった。

ピアニストの大橋さんはとても気の付く方で、トークコーナーでの椅子の用意や、ギターの用意などで見えない僕をがっちりサポート下さるその自然な優しさが、舞台の上でとても快い空気を作っていたようだ。

二部も様々なジャンルの曲をランダムに演奏して、最後に「千の風になって」。
アンコールも二曲演奏して、大拍手の中終了。
演奏する僕たちの後ろの一面の窓から見える海の景色は、夕暮れから夜景へと移り変わっていた。
その後ロビーでは、CDお買い求めの方に拙いサイン。
トークでも説明した「芸/entertainment」としてのコンサートは、僕を意外に同企画への意慾にかり立てた。

お越し下さったお客様に、心からの感謝である。


最終更新日  2012.04.30 06:51:05
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 「今日一日生きて」

・4、29、日
関西電力はとにかくすべての原発を再稼動した一心で、大飯原発再稼動をその糸口と
したいようだ。
NHKでは「まあ再稼動も仕方ないんじゃないですか」と応える庶民へのインタビュ
ーばかりを放映している。
橋本大阪市長は反対意思を示しながらも「福井市民が再稼動賛成を示すならば、これ
以上は反対できない」と述べた。
もちろんこれらの動きの後ろには政府の意思がある。
あれだけの汚物を日本国内ならず世界にばら撒いておいて、反省もなく、間違いの検
証もせず、たった一年でまた人類破滅の道を歩もうとするその愚かさを、世界はどう
見るだろう。
日本政府として、どうしてそこまで核保有が重要となるのか?

原発再稼動の理由として夏の電力不足を訴える訳だが、最も電力消費の原因が、産業
ではなくオフィスにあるというのは驚いた。
小売業が以外に高く、家庭の電気はほとんど関係なし。
すべて含めて、1985年以前の生活に戻れば電力不足は有り得ないという。
この三十年ほどで、そんなに電力消費量は上がったのだ。
夏の気温が上がったことが大きな原因だろう。
武田氏の計算では「10年前の生活に戻れればOK」という。
熱い夏を、どうやってクーラー使用を最小限に止めるか。
それも家庭ではなくオフィスでだ。
おそらく今まで通りやっていても火力発電を増やせば問題はないのだろうが、まず国
民がそれをやろうとせねば、政府と電力会社の思惑に対抗できないだろう。
でも実際「原発再稼動はやむを得ない」と思っている国民が多いということだ。
このやむを得ない」の理由をじっくり聞いてみたいものである。

ーーーーー
集団自殺を回避する方法(1)・・・誰が節電すると効果的か?
仙谷議員によると、日本が原発を止めるのは「集団自殺のようなもの」らしい。集団
自殺というとかなりの人が死ぬことを意味しているが、集団自殺を回避する方法はあ
るのだろうか?
原発を止めると関西電力管内では夏場に10%程度の電力不足が予想されている。関西
電力はこれまで原子力が40%と言っていたので、この数字の意味を少し吟味する必要
があるが、ここでは「2012年の夏に関西の方で10%の電力が不足し、集団自殺に相当
するような被害が出る」と仮定して、どのような対策を取れば良いかについて前向き
の検討した。
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_131440706。]
まず、このグラフを見ると、夏場の電気消費量が上がり始めたのは1985年ぐらいだが
、そのときの電力消費量は現在の半分ぐらいだから、1985年の生活に戻ればまったく
問題が無い。それがまず電力消費を考えるときの基本だ。
10%不足という今から10年ほど前の状態だから、自分の歳が今から10年若かったとき
、どんな生活をしていたかを思い出せば、その辛さもおおよそ理解できる。私の場合
はすでに東京から現在、すんでいる名古屋に移っていた。たしかに今と比較するとク
ーラーのないところもあったし、37℃、38℃という日が続いていたが、「集団自殺し
よう」と思うぐらい辛いことは無かった。
でも、仙谷議員は「個人のことを言っているのじゃない。物作りの工場が困るんだっ
!」と恫喝するだろう。それではデータを見てみたい。
[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_131634431。]
このグラフは夏場の電気をどのような産業が使っているかを示したものだが、なんと
言ってもオフィスがダントツで、次が小売業というところだ。つまり、巨大なビルを
作り、そこに本社があって社長がいることもあり、ガンガン冷やしているというのが
現状である。
それでも政府やマスコミは「家庭で節電」と呼びかけるだろう。なにかやるときには
「弱いものを標的に」というのがここ20年の日本の政治家、NHKのやり方だった。日
本人は誠実で日本を愛しているので、協力を惜しまない。でも、それは隠された意図
がある。
この場合でも家庭の節電はほとんど意味が無いことがわかるし、ものづくりの産業も
あまり問題ではない。巨大なオフィスが問題なのだ。だから、オフィスのスペースを
今からまとめておいて、夏場はフロアーを1階か2階を閉じれば、それだけでも大丈夫
と考えられる。
もともと、日本の電力のひずみは「アメリカに比べ電気消費量が2分の1、電気代が2
倍」という電力会社の放漫経営と国民犠牲にある。まずは電力消費をアメリカ並み(
2倍)にして電気代を2分の1にするように政府は電力に要請するのが筋である。
ただ、電力に要請すると政治資金は来なくなるし、自分の子供を電力会社に就職させ
ることもできなくなり、天下りしようとしている役人からもにらまれる。だから、政
府もNHKも電力に言わずに国民に節電を呼びかけてきたのだ。
節約、もったいない、節電・・・個人の人生や家庭生活には大切なことだが、それを
良いことに「国民は言うことを聞く」という作戦に乗るのは次世代の子供たちにツケ
を回すことになる。
そういえば家電リサイクルを始めようと言うときに、ある通産省の幹部が「日本人は
素直だし、官が強く、業界がまとまっているから、家電リサイクルは世界で日本しか
できない」と言ったことが思い出される。
今でも、家電リサイクルで回収し、国民からリサイクル代金をとってリサイクルしな
いで、資源もほとんど回収していない。それでもうけている割合が50%を超える。そ
れでも国民は「良いことをしている」と思ってお金を出す。
こんなことを続けていたら日本は本当に二等国になり、子供たちは苦しむだろう。ダ
ーウィンが言ったように「事実を見るには勇気がいる」という言葉を今こそ、大人は
思い出す時期だ。
(平成24年4月19日)
武田邦彦


最終更新日  2012.04.30 06:43:43
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2012.04.27

 「今日一日生きて」

・4、27、金
このところ、まもなく氷河期がやって来ると騒がれ出した。
「ネアンデルタール人が絶滅した前のイリノイ氷期から現代の温暖期が来たのですが」とあるが、これがそろそろ氷河期に進み、1000年後には日本も一年中厚さ5メート
ルの氷に閉ざされるという。
こうなると、特別な地底生物以外は生存できないらしい。
でも、今から数十年単位ではどうなのだろう?
実際の我々の生活に、どのような影響があるかはここでは述べられていない。
「1000年後を考えて、CO2を今からせっせと増やさねば」などと暢気なことを言っている限りは、差し当たっての対策は不要なのだろうか?
ただ音声の中では「最近の記録では、戦国時代の前と、江戸時代の終わりごろに小氷河期が来た。
これを見ると、寒くなるとバタバタと人が死に、食べるものがなくなって、戦争が起こるという兆候があるようだ」と述べている。
世界中が何となくきな臭くなって来ているのも、その辺を見越してのことか?
「でも、最近の研究では、2007年頃から太陽が17世紀に起こったマンウンダー極小期と同じような不活発な状態になったようでもあり」ということは、結構早く人が住め
ないようなことになるのかもしれない。
だからこそ、以前から武田氏が冗談か本気か分らないような「ドーム型都市」なる未
来の暮らし方を想像しているのかもしれない。
寒くなり過ぎてしまえば、ドーム型都市は人間の生き延びる手立てだ。
争う準備よりも、新しい都市作りに予算を掛けるべきだろう。
しかしこのところ、目まぐるしく地球に、宇宙に変化が生じている。
考えれば当然なのかもしれないが、平穏な時期が長く続いたせいで何だか終末を考えて
しまうような、自然の巨大さと、我々のミクロの存在が身に染みる。

ーーーーーー
二酸化炭素(CO2)だして温暖化するのはとても大切
最近、ようやく地球の気温は長期的には「上がっている」のではなく、「下がってい
る」という科学的事実が報道されるようになってきました。また500年周期、11年周
期の太陽活動もそろそろ下降期に入りつつあることも知られてきました。
多くの日本人(世界でも日本人だけ)が「CO2で急激に温暖化して大変だ」と錯覚し
ていますので、この記事はあるいは唐突かも知れませんが、常に「正しいこと」に接
していないと思わぬ被害を受けますので、先入観をとりあえずちょっと横において読
んでください。
まずは岩上さんのユーチューブを見ていただけると若干、楽しい気分になります。
http://www.youtube.com/watch?v=rMniMcY2la8
【温暖化騒動の幻】
1988年にアメリカ農業の補助金獲得を狙って始まった「気候変動騒動」は、その後、
ヨーロッパに飛び火して「地球温暖化騒動」になり、先進国が発展途上国の発展をい
かに押さえるか、ロンドン市場の排出権取引でどのぐらい儲けるかに発展していきま
した。
最初は「農作物に被害を与える気候変動」で、それをネタに補助金を農業に回そうと
いうアメリカ一カ国の政治問題でした。それが少しずつ拡大していったのが「地球温
暖化問題」でした。
もちろん、このような動きは政治的、金銭的な動きであり、気候や環境とは関係があ
りませんし、私も長くこのインチキ話についてテレビなどで発信し、書籍をだしてき
ました。いくら何でもこのような非科学的なことが大手をふるうような社会は正常で
はありません。
火種になったアメリカはその後、農業が好調になったので地球温暖化問題から脱離、
ヨーロッパは排出権取引などで儲けて、今は徐々に手を引いています。その点で、こ
の科学的ではない話にだまされたのは日本人(主として庶民)でした。
[3。]
なにしろ、地球の気温は現在の温暖期が来て以来、一貫して低下しており、それはこ
のグラフに示すように南極の観測でハッキリと示されています。
つまり、ネアンデルタール人が絶滅した前のイリノイ氷期から現代の温暖期が来たの
ですが、それがそろそろ気温が下がり始め、あと数1000年でまた氷期が訪れる傾向がでてきたのです。そうなると、日本列島は夏でも厚い氷に閉ざされますから、日本と
いう国自体がなくなってしまいます。
[1。]
数1000年後の日本の風景を一応、この写真で推定してみます。一面、氷に覆われて人
間はもとより小さな地下生物以外はほとんど日本にはすめません。原発の事故で「1
年1ミリを1年5ミリまであげられるのは10万年に1回の事故に限る」という基準が原子
量安全委員会の指導にありますが、10万年という時間はこのような状態を含んでいる
のです。
CO2は温暖化ガスですから、CO2をだすと温暖化しますが、100年ぐらいの単位では効
果がなく、1000年ぐらい経つと海の水も少し温度が上がって、温暖化させることがで
きます。ここで頭を切り換えて「温暖化は悪」からとりあえず「温暖化は良いこと」
と思って読んでください。
つまり100年ぐらいですと、せっかくCO2を増やしても海の水温があまり上がらないか
ら、温暖化の効果が上がらないのですが、1000年ぐらいですと少し上がってくるから
です。
今のペース、つまり100年で100PPMぐらいのCO2が増えるのがちょうど良いので、積極
的に石油は石炭を使うのが望ましいとおもいます。そしてもし、CO2をだして上の写
真のような氷期が来るのを少しでも遅らすことができれば、本当に良いと思います。
でも、最近の研究では、2007年頃から太陽が17世紀に起こったマンウンダー極小期と
同じような不活発な状態になったようでもあり、CO2をだすのを急がなければならな
いでしょう。まして「低炭素社会」、「CO2排出削減」などの活動は環境を破壊する
何物でもないと言われるようになるでしょう。
(平成24年4月21日)
「tdyno.61-(6:24).mp3」をダウンロード
武田邦彦


最終更新日  2012.04.28 00:24:03
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