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・11、25、金
昨日また人権学習の授業の一環で招かれ、京都の平安女学院、高等部に出向いて講演を行った。 京都に到着して、妹の店に寄りコーヒーを一杯飲んでから学校に向かった。 校舎は130年ほど前の何とも風情のある建物で、床は石作り、天井は高く、教室のドアも当時のままのテレビドラマでしか見ないような素敵な丸い形。 控え室で担当の女性の先生 [推定年齢40歳ぐらい]と打ち合わせる。 「僕の講演に際して、何かご要望はありますか?」「そうですね、今の子達には、何と言うか、エネルギー、やる気のようなものが欠如しています。 挑戦することもせず、どうせやっても自分はだめだからというセリフをすぐに口にして、少しでも楽な方に逃げることばかり考えます。 そんな彼女たちに、苦難や壁を乗り越えて何かをやり遂げるエネルギーを引き出せるようなお話がいただければ嬉しいです」 今の現場の先生方の悩みは、どこも同じなようだ。 さて、これは責任重大である。 しかし僕としては、あまりこちらの考えを押し付けたり、分別臭いことを述べたりするよりも、いつものように僕自身の生い立ちや経験したこと、その中で思ったことなどを踏まえて話したり歌ったりするしかない。 しかし、先生が言われた生徒さんたちの性質や言動や考え方は、よく考えてみれば今の若い人たちに限ったことではない。 来る12月15日に、スイスホテルで開催されるロータリークラブのクリスマス会にNSK混声合唱団が招かれ、「いつの日か」全曲を演奏することになっている。 しかし皆さんの意識は低く、全くたるんでいるように感じたので、急遽暗譜演奏を提案した。 すると突然男性団員の辺りから「暗譜を押し付けられるなら退団する」というような発言が飛び出したりした。 まず、アマチュワ合唱団といえども、人様に求められてそれに対して何かを提供する礼儀の意識、心に対して心で返す人間関係への意識の薄さ。 できるだけ大変なことは避けて、楽な方に逃げる姿勢。 挑戦してみることもせぬうち、出来ないと決め付けてそこから逃げる。 自分に関わる事物に責任が持てず、合唱などどうせ趣味のお遊びだからと半分尻を浮かせての参加。 こういった年配者の言動、考え方を見ていると、さてこの先生が生徒たちに対して悩んでおられることと全く同じではないか。 そして自分はどうかというと、やはり知らず知らず楽にうまくやることばかり考えてはいないか。 成り行きでも自分と関わることになった事物に対してもっとエネルギーを注ぎ、できるところまで挑戦してみる、やってみてだめならまた別の方法を考える。 そんな粘りが、やはり自分にも欠如してはいないか。 昔の日本では、一年中大人たちは皆野良に出て朝から晩まで汗みどろ、泥まみれになって働いた。 その大人たちの背中を見て育つ子供たちは、労苦こそが生きることであり、大人たちが受け入れていた苦しみを自分たちも受け入れて当然なのだと感じていた。 大人たちが背中で示す事のできるものこそが本当の教育ではと常々思う。 そういう意味で、子供たちに向かって言葉だけの要求をしても、人の心に訴えること などできはしない。 できるだけ早く自分の本当に好きになれることを探し当て、それに向かって良い意味 の欲を出す。 それができればエネルギーなど勝手に生まれて来る。 僕の中ではそれをテーマに歌い話した。 10代の彼女たちにどう届いたかは分らない。 でも彼女たちに向かって何を語ってもおそらく届かないだろう。 自分に向かって今までを整理したり問い掛けたりすれば、一人ぐらいは何かを見て取ってくれるかもしれない。
こんにちは。私は平安女学院の生徒です。正直、人権学習会とか退屈だな、と思っていたのですが、茶木さんのお話はとても興味ぶかく聞き入りました。これからも活動頑張ってください。(2011.11.26 18:29:08)
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