|
カテゴリ:カテゴリ未分類
福島県伊達市梁川町にあります、県立梁川高校に支援物資の輸送に行って来ました。その際、支援物資購入のために、多くの知人、親戚などに寄付をお願いしました。そのご協力頂いた方々へのレポートをこちらに掲載させて頂きます。。
レポートからのコピーペースとのため、多少読みにくい箇所があるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。 ご縁があって、福島に支援物資の輸送に向かう 3月31日の朝、セラピスト仲間であり、ご近所でもある樋渡志のぶさんから福島の避難所で物資が足りなくて困っているとのメールを頂き、即決、日本クラシカルホメオパシー協会の仲間と物資を運ぼうということになりました。 樋渡さん経由で避難所の代表を勤めていらっしゃる椀澤さまと直接携帯電話でお話しができました。31日の朝の時点で野菜がキャベツ2個しかないとのこと。野菜や肉などが極端に足りなく、栄養状態がよくないとのお話しを伺いました。 2日の土曜日に直接運びたいと申し上げ、欲しいものを言っていただく。こういうものが欲しいだろうと送られても、だぶったり、避難者の年齢などの偏りがある場合には、不要な物だったりすることもあると聞く。 葉ものを中心とした野菜、良質のタンパク質が全く摂れていないので、肉類、調味料、冷蔵庫がないため日持ちのする乾物類、米、衛生用品(シャンプーなど)を中心に集めることとなりました。 まずは、物資を買うための寄付を集めたり、ご近所の方には、物資で寄付をして頂いたり、時間のない中で、多くの方のご協力を頂き、前日の1日(金曜日)には、かなりたくさんの物資を調達することができました。 東北自動車道を北上! 2日の朝、4名で東北自動車道を北上、途中の栃木県内のサービスエリアで昼食を頂く。春休み最後の週末のせいか、子連れの家族旅行者を多く見かけ、食堂も賑わっている。 ここから1、2時間も走れば、被災地なのだという実感が全く涌かない日常の風景がそこにあった。その後、鬼怒川辺りから車もかなり減り、順調に福島へ。 道路は、地割れの後を応急処置しているらしく、でこぼこがちらほらと。その日、東京の気温は19度の予想だったが、福島県内に入ると急に気温が下がり、車も極端に減り、自衛隊の災害支援の車が目につくようになる。国見インターで高速を降り、国道に入るが、閑散としている町並みが少々気にかかる。 梁川高校到着 梁川高校に到着、晴れてはいたが、風の冷たさにびっくり4月とは思えませんでした。代表の椀澤さまとは初対面、お若いのにびっくり。28歳とのこと、自ら被災者でありながら避難している方々のために奔走していらっしゃいます。 若さと情熱で機動力のある活動をしておられました。避難していらっしゃる方のほとんどが、原発による屋内退避の南相馬市の方々。 また、6割が高齢者とのことでした。なるべく、出来ることは何でも自分たちでしたいとの意向で、役割を分担しながら、いつ終わるか分からない避難生活を続けていらっしゃいます。ただ、春休みが終わるまでには、避難先の変更を迫られているとのことで、今後旅館などに分かれて避難生活が続く予定だそうです。 原発から避難することの意味 今回の地震は、津波の被害で家が流されて身一つで避難された方が多いなか、福島の原発からの避難は、少し意味合いが違うことが実際に行ってみてよくわかった。 高速道路を降りてから高校までの道のりは、のどかな田園風景が広がり、一見、壊れた家も全くなく屋根瓦に被害がある程度。道路の地割れも1カ所しか見当たらず、とても3週間前にあれだけの地震があったようには思えない。 高校の外には、地震前と変わらない普通の生活があった。自分の家がある、地震の直接の被害はそれほどでもない、それなのに家に帰れない方々の切なさ、割り切れない気持ちは、幾ばくか…そして、その原発は、福島に電気を供給しているのではなく、物資を届けている我々東京の人間が何も考えずに使って来たことを思うと、言葉がなかった。 避難所での生活 南相馬市は、ご存知のように一部地域が避難指示、一部地域は屋内退避となっている。地震後、サイレンが鳴り、30分ほどで身支度をして着の身着のままで家を出なければならなかったそうだ。 また、様々な理由で家を離れられない方々もいて、食料の配給は3日に一度とのこと。スーパーなどが閉まっている中、むしろ食料調達は、難しい。そういった方々にもこの避難所にある食料を配付したいと明日からまた、車で南相馬に入ると、椀澤さまは、笑顔を見せていた。 避難所では、規則正しい生活をして、健康を守りたいと、真面目にラジオ体操をしているとのこと。22時就寝、6時起床、7時朝食、12時昼食、19時夕食とルールを決めているそうだ。体育館でお話しを伺ったが、僅か1時間の間でも足下から底冷えしてくる環境だ。 若さと気力でがんばり続ける代表の椀澤さまには、レメディーのArnicaをお渡しし、避難している方達の心のケアにとRescue Remedyを置いて来ました。少しでもみなさまの不眠や不安が解消されればと願うことしかできませんでした。 今、私たちにできることは? 今回、みなさまの温かいお志とご協力を頂いて、こうして僅かばかりですが物資を届けることができました。メディアの報道で語られるのは、一つの真実ではありますが、すべてではないとの当たり前のことに気づかされました。人間の数だけ真実があります。 避難生活はまだ始まったばかり、原発からの避難の場合は、街が復興しても我が家に帰れる保証はない。先行きが全く分からない中、皆さんの思いはどんなだろうか。 10人の被災している方がいらっしゃれば、そこには10人の生活があり10の思いがあります。今、日本は変わる時だとみんなが言います。私もそう思います。ただ、まだ具体的なその方法が見つかりません。 その大きな命題が今の日本人全員いや、世界中の人々に突きつけられている事実を重く受け止めつつ、でも、立ち止まっている時間はないことも知りつつ、これから自分に何ができるのか、何をすべきなのか、問いかけています。一つ分かっているのは、やはり原発は要らない、その思いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 4, 2011 09:41:15 PM
|