475283 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

chappi-chappiのとんぴん日記

chappi-chappiのとんぴん日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
October 18, 2004
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
先週の土曜日、「モーターサイクルダイアリーズ」を見ました。チェ・ゲバラとして知られるアルゼンチン生まれの革命家の若き日の物語です。今は若い人の間ではライダーとして人気なのだそうです。びっくり!

正式な名前はエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。エルネストとか、あだ名でフーサルとか呼ばれていました。まだ23歳のエルネストは心やさしい繊細な青年です。当時医学生で恵まれた家庭にすごしています。無邪気ないいとこのぼんぼんという感じ。

エルネストと7才年上の友人アルベルトは「ラ・ポデロッサ」(怪力号)というオートバイで南米大陸を縦断の旅に出ます。アルゼンチンを出てチリ、ペルー、コロンビアを通ってベネズエラに至るおよそ10000キロの旅です。





いざ、出発。二人ともわくわくです。





しかし、このオートバイ、ちょっと怪すぃです。「ポデロッサ」というのは、英語でいうとパワフルというかんじの「力強い」という意味なんですけど、横を走る馬にぬかされるわ、ブレーキはきかなくなるわ、アクセルはきかなくなるわ、カーブが曲がりきれないわ、相当のポンコツで、とうとうチリを後にするときはスクラップ状態でした。

ちょっと余談なんですけど、チリで、修理工の男の人が仕事せずにチャランゴを弾いていたのがよかったです。やっぱり生活の一部なのかなあ。

さて、ポデロッサ号ももうないので、しかたなく歩いていくことにします。アタカマ砂漠を歩いて行くのです。





夜、仕事を探すために旅をしているという夫婦に出会います。地上げ屋に土地を取り上げられ、共産主義者という理由で警察から逃れなければならない彼らは、鉱山に仕事を求めて旅をしていると言います。自分たちも旅をしているというエルネストに、仕事を探すためでなければ何のために旅をしているのだ、と聞くセニョーラに、エルネストたちは答えられません。アルゼンチンに帰れば家も家族もある、約束された将来もある。彼はただ「旅をするために旅をするのだ」と答えます。夫婦は一瞬顔を見合わせますが、セニョーラは「Benditos sean(ベンディートス・セアン)」(神のご加護がありますように)とやさしく言葉をかけてくれました。

ペルーでは、町でも山でも先住民族の人たちに出会います。やはり土地をとりあげられ、貧しい生活をしいられている人たちです。「ずっと昔から彼らの土地なのに、自分の家を持てないのだ。」とエルネストは日記をつづっていました。

このころからエルネストの表情が変わってきます。何かを考え込んだり、遠くを見るような、自分自身を深く見つめるような、きびしい表情をすることが多くなってきます。





マチュピチュの遺跡では、その荘厳さに圧倒されます。天文学や数学にもたけていたインカの人々の文明に深く感じ入っているようすでした。「なぜこれほどまでの文明がなくなってしまったのだろう・・・」





彼らは知り合いの教授を訪ねます。博士から紹介されたハンセン病の療養所で3日間治療を手伝うことになります。

それほど重くない症状の患者さんたちがいるところと重症の患者さんたちがいるところは川をへだてて隔離されていました。エルネストたちは重症の患者さんたちがいるところへ行きます。修道女たちが食事の世話をしたりしてくれていますが、そこでは規則として手袋をはめなければなりません。しかし、エルネストたちは手袋を拒否します。「ハンセン病は感染しないことがわかっている。」

手袋をせずに治療にあたるエルネストたちと患者さんたちはだんだんうちとけてきます。私はこういう場面に弱いんです。握手し、抱きしめ、素手で治療にあたる彼ら、とそれをうれしそうに見る患者さんたちの表情。患者さんの足を洗ってあげたり、手術をいやがる若い女性を説得したり。チームを作ってサッカーの試合もするんですよ。
そうそう、なんと、みんなでカホンをたたいて演奏もするんです。いいなあ、こういう場面。ほんとにカホンをたたいています。(5月服部緑地公園であった春一番のコンサートでもカホンをたたいているおじさんがいたんです)

そのうち修道女たちも手袋をはずしていました。

エルネストはここで24歳の誕生日を迎えます。またこの日は療養所にいる最後の日でもあります。みんながパーティを開いてくれました。
ここでも、うれしいことに、「マンボNo.5」や「チピチピ」が演奏されます。1952年、この時代にはやっていたんですね。お~、ラテンや、ラテンや。





アルベルトはダンスがとても上手、でもエルネストはとってもへたくそで、マンボとタンゴの区別もつかないんです。マンボの曲が流れているのにタンゴを踊ったりしてみんなに笑われます。療養所の人たち全員で、3日間献身的に治療の手伝いをしてくれた二人へいかだをプレゼントをしてくれるのですが、名前は「マンボ・タンゴ号」。

さて二人は「マンボ・タンゴ号」をこいで、最終目的地ベネズエラに着きます。もう半年以上たっているのですね。アルベルトは、家族をアルゼンチンから呼び寄せ、博士から紹介してもらった仕事につくことにします。彼が望んでいた化学者としての仕事です。アルベルトにとって旅はここで終わるのですね。しかし、エルネストはアルゼンチンにもどることにします。「自分の中で何かが起こった。でもわからない。その答えを見つけたい。」エルネストにとっては何かが始まった、という感じです。映画はここでおしまい。

このあとエルネストは学業を終えたのち、革命を手伝うのに、グアテマラ、キューバ、アフリカなど、世界を渡っていくのですが、ボリビアで39歳の若さで銃殺刑となり、命を落としました。

映画の一番最後に流れる音楽は「Al otro lado del ri’o ~(アル・オトロ・ラード・デル・リーオ)」(川の向こう岸に)と歌われていました。
実は療養所最後の日、エルネストは無謀にも、療養所を隔てている川、これはアマゾン川らしいですが、この川を泳いで渡ろうとします。冷たい、しかもかなりの距離があります。みんな止めようとしますが、エルネストはとうとう泳ぎきってしまうのですね。向こう岸は重症患者さんの病棟があり、みんなはエルネストを励ましながら見守っていました。
映画の最後に彼が「Yo no soy yo.(ヨ・ノ・ソイ・ヨ)」(ぼくはもう昔のぼくじゃない)とアルベルトに言うのですが、そのへんとつながっているのですね。

チェ・ゲバラ。チェは「ねえ」とか「おい」と呼びかけるときのことばです。彼がなぜ親しみをこめてみんなからこう呼ばれるかがちょっとわかりました。音楽やダンスはからきしだめ、うそをつくことが大嫌いで方便のうそさえ許さない、ゆるぎない信念のままに進む人、でもちょっと女好き、人にやさしく、人を愛してやまない人、とこんなかんじかなあ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 18, 2004 07:00:28 PM
コメント(26) | コメントを書く


PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

chappi-chappi

chappi-chappi

Favorite Blog

パソコンの話 New! 黒猫とむさん

Comments

chappi-chappi@ Re[1]:きのこのこのこ(11/09) ♪テツままさんへ 生きてるで~~~~~ …

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.