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日本、世界の出来事を見たり聞いたりして、考えたことを日記風(?)に書いていきます。そして、時々は台湾の歴史や地理なども。旗らしく見えるものは、妻の故郷の、やがて建国される『台湾共和国』の国旗です。
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陳澤民の日記 [全1203件]

『政教分離』は現実に機能しているのか?  (6) 

私と妻が帰依している台湾仏教教団の『東京別院』の施設は地上2階、地下2階です。

地下1階に食堂と厨房があり、信者、訪問者は無料で食事ができます。

以前、別院の法師から「寺院で食事を出されて、それを遠慮するのは失礼です」と言われました。

そういえば、最近、日本を訪問したアメリカの高官が日本側が用意した食事を断りました。

アメリカ側の抗議の表明であるといわれていますが、外交上では極めて非礼であるとの指摘もあります。



別院で供される食事は、精進料理であり、当然ながらアルコールはご法度です。

壁には大型のモニター画面が設置されており、教団のニュース、別院での行事が映されます。

先日は、2002年に中国の西安から台湾へ『仏舎利』が運ばれる様子が流されました。

当時は、まだ民進党政権下です。



『仏舎利』とは、お釈迦様の遺骨です。

一説によれば、全世界にある『仏舎利』の総量は『2トン』におよぶそうです。

よほど、お釈迦様は大きな人であったのでしょう。



そういえば、十字軍時代に現在のイスラエルからキリストが架けられた『十字架の断片』がヨーロッパに運ばれました。

十字軍兵士が戦利品、お土産に持ち帰ったのでしょう。

ヨーロッパに残る『十字架の断片』が、これまた膨大な数量になるそうです。



さて、台湾に『仏舎利』が到着すると、それを迎える人の数が半端ではありません。

まるで『国賓』を迎えるようです。

もっとも、現在の台湾と国交を結んでいる国の元首が台湾を訪問しても、あれほどの歓迎はないでしょう。

字幕によれば、当日は学校が休校になりました。

警備、群衆整理のため、多数の警官が出動しています。



現在の日本では、『仏舎利』が到着しても、これほどの歓迎はありえません。

そもそも、『政教分離』が現在の日本の基本です。

今年の夏、近くの公立学校で夏祭りがあり、教団も参加しました。

当日、会場に運ばれた箱の中に、教団のパンフレットが入っていました。

それに気付いた教団の日本人が「それを外に出してはいけない」と制止しましたが、主催側の担当者が見ていました。



おそらく、外国の宗教教団の参加なので、それとなく『監視』していたのでしょう。

後で、主催者から注意されました。

これほど、日本では少なくとも公的な施設内に宗教が持ち込まれることには神経質です。



しかし、明らかに宗教をバックにする政党が、かつては政権政党でした。

これは、いいのかな、、。

さらに、地方自治体にも、大きな影響力を持っています。

これも、、、いいのかいな。



Last updated November 23, 2009 00:00:53 AM
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November 15, 2009

菊人形、いつもの秋  (6)

東京西部を走る、ある路線に『芦花公園(ろかこうえん)』という駅があります。

この駅の近くには、大正から昭和前半の文学者であった徳冨蘆花(とくとみろか)の旧宅があります。

その旧宅は『蘆花恒春園』として、東京都が管理しています。

『恒春』は台湾南部の恒春半島から名付けたそうです。

その旧宅には、昔の農家を利用して、蘆花夫婦と娘が住んでいました。

わらぶき屋根で、かつては日本のどこにもあった農家そのものです。

蘆花は、19世紀から20世紀初めのある時、ロシアへ行き、存命中のトルストイと会見しています。

トルストイは1910年(明治43年)、88歳で死去しています。

蘆花はトルストイの影響を受けて、農家暮らしを始めたといわれています。


以前、蘆花の短編『みみずのうたわごと』を読みました。

その文庫本には当時、蘆花が過ごした農家の周辺を写した1枚の写真が添付されていました。

その写真には、あたり一面が麦畑しか写っていません。

現在からは、想像もできない風景です。



下の写真は、近くの区民センターで、毎年秋に開催される菊人形展です。

20091108_1549_000.jpg

20091108_1549_001.jpg


いつも蘆花夫婦と娘、なぜか農夫1名が登場します。

その農夫のマネキンは、いつも鼻が高く、目がパッチリしています。

まあ、毎年の恒例、これも『ご愛嬌』でしょう。




Last updated November 15, 2009 10:19:02 PM
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November 14, 2009

『55年体制』の始まり。しかし『奢る自民党』は久しからず  (4)

1955年(昭和30年)11月15日、自由党(当時)と民主党(当時)の保守政党が合同して、自由民主党が結成されました。

1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗北直後から、日本では社会主義勢力が台頭していました。

それを危惧した保守政治家は、戦前の二代保守政党である立憲政友会、立憲民政党の流れを汲む勢力の結集を考えていました。

しかし、『保守』と言っても、異なる考えの勢力、グループ、そして政治家が多く、『保守合同』になるまでの道は『紆余曲折』がありました。

それを書いていると、1回のブログ記事では終りませんから、省略します。

いわゆる『小異を捨てて大同につく』『同床異夢』『呉越同舟』『水と油』の言葉そのものの世界が展開されました。


『保守合同』の当時、ある有力政治家は「自民党は10年持てばよい」と言いました。

別な有力政治家は「30年後には崩壊する」と予言しました。

しかし、日本経済の急速な成長、いわゆる『政・官・財』の癒着構造、派閥などによる役職・資金配分による『擬似政権交代』などに支えられて、その政治的基盤は次第に強化されていきました。

その後の自民党は、四十日抗争などの分裂危機、新自由クラブ結成、新生党・新党さきがけ・国民新党など自民党からの離党・新党結党の危機に襲われました。

1993年(平成5年)の政権喪失、2007年(平成19年)の参議院第二党転落などの変化もありました。

それでも、『衆議院第一党』としての地位は、『保守合同』から54年後の2009年(平成21年)8月、総選挙で民主党に敗れるまで崩れませんでした。。

さて、これからの自民党の運命は、神ならぬ人間にはわかりません。

もしかすると、神様もご存知ないかも知れません。



Last updated November 15, 2009 00:10:51 AM
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November 08, 2009

見なければ、よかった!  (8)

一時は高まった政権交代への『期待』も、次第にしぼみつつあります。

支持率が発足当初から10%も低下しました。

それでも、60%もありますから、前政権の首班だった人には羨ましいかぎりでしょう。

その人も就任当初は、高い支持率であったと記憶しています。

わずか1年前ですが、ずいぶんと昔のようにも思えます。



世間を騒がせた、某有名女優の覚醒剤事件も、はや忘却の彼方です。

それに代わっての登場が『34歳女の結婚詐欺、そして不審死事件』です。



さて、それと平行して報道されているのが、どこかの女子大生の殺人事件です。

それに負けじとの登場が、英語教師をしていたイギリス人女性殺人事件です。

容疑者の男は、2年以上も日本国内を逃走しています。

どこかで整形手術をしており、その手術前、手術後後の写真が公開されました。



『ずいぶんと変った』、『変っていない』、、感想は人それぞれです。

私の感想は『顔の形は変った、、しかし目は変っていない』です。



手術前の写真を見ると、ある種の軟体動物を私は連想します。

もし、私に娘がいて、あのテの顔の男をつれてきたならば、素直に喜べるか、多いに疑問です。

『人間は顔で判断してはいけない』と言いますが、それでも好きになれないでしょう。

『怖いもの見たさ』で、手術後の写真を見てしまいましたが、見るべきではありませんでした。



そういえば、日本のプロ野球では、某球団が7年ぶりに『日本一』になったそうです。

昔であれば、大きなニュースになったでしょうが、、、時代は変りました。

その球団は、かつては『資本家』といわれた階層にファンが多かったといわれています。

しかし、『老害』といわれている人物は、かつては共産党に所属していたそうです。



Last updated November 08, 2009 10:42:14 PM
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November 03, 2009

『はい』は常に『Yes』にあらず  (8)

本日は、あの『2ちゃんねる』のコメントの要約です。

題して、「海外旅行で『俺・私ってやっぱり日本人だな』と思った瞬間』です。

いくつを以下に示します。

 1.ホテルの部屋に入った瞬間、靴を脱いでしまった時

 2.『ありがとう』よりも『すいません』が先に出てしまう時

 3.のんびりすることが出きない

 4.コンビニ、スーパーで、日本の商品が売られていると、
   ついつい買って比べてしまう

 5.ホテルの部屋に置いてあるテレビがSUMSUNGやLGだとむかつく時



3番は、多くの人が日本にいても、口から出てしまうでしょう。

外国にいる時、『すいません』を英語で言うと、自分の責任を認めたことになる場面があります。



日本の英語学習では、日本語の『はい』は英語では『Yes』と教わります。

たしかに『はい』には『Yes』の意味がありますが、『あいづち』の意味もあります。

したがって、やたらと『Yes』を使うと、これもまた危険です。

それ以前に相手が言ったことを、自分が承認したと相手が認識するからです。



Last updated November 03, 2009 8:34:01 PM
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November 01, 2009

さすが!  詐欺師だな!  (4)

『世界の三大美人』といえば、日本では『クレオパトラ、楊貴妃、小野小町』です。

よその国に行けば、当然ながら違う名前になるでしょう。

この順序は、奇しくも歴史への登場順です。

クレオパトラは紀元前1世紀、楊貴妃は8世紀です。

小野小町は生没年が不明ですが、おおよそ11世紀の人物です。


クレオパトラはエジプトの女王として君臨しました。

では、「クレオパトラは何人か」と問われたならば、皆様はどう答えますか。

普通に考えれば『エジプト人』でしょう。

ところが、ところが、当時のエジプト人の血は混じっていないそうです。


彼女が生まれる300年前、アレキサンダー大王が当時の人々に知られた世界の大半を征服しました。

当然ながら、エジプトも含まれます。

しかし、アレキサンダー大王は若死にしたため、彼が築いた大帝国は分裂してしまいます。

当時のエジプトを支配していたギリシャ人の将軍が自立して、自らの王朝を作ります。

その将軍がクレオパトラの先祖といわれています。

王朝の後継者は、ギリシャ人の間だけで婚姻を繰り返したそうです。


エリザベス・テーラー主演の『クレオパトラ』では、弟と結婚しています。

現代では『近●相●』とよばれる行為です。

日本でも、奈良時代には皇族では、兄と妹が交わっています。

まあ、現代人の倫理感で当時をどうこうしても、しようがないことです。



ところで、クレオパトアは、それほどの美人ではなかったという説があります。

彼女はジュリアス・シーザー、その後継者アントニウスを『骨抜き』にしています。

その武器は美貌でなく、教養、語学、そして当意即妙な会話ができる頭の回転の速さであったそうです。

しかし、それもオクタビアヌス、のちに初代ローマ皇帝には通じませんでした。

そのため、毒蛇に胸を噛ませる結末を迎えます。


最近のニュースは、『覚醒剤夫婦裁判』が峠を越えました。

さて、その次は『結婚詐欺女』でしょうか。

ニュースを見て不思議に思うことがあります。

容疑者の女は逮捕されたのに、実名が出ず、顔写真にはモザイクがかけてあります。

どちらも出せない、よほどの事情があるのでしょうか。

モザイク処理され写真だけ見ると、それほどの美人とは思えません。

逮捕された時に同居していた男性は、1週間で400万円も容疑者に渡しているそうです。

さらに、これまで不審な死を遂げた男性が何人もいます。

『金もいらない』『命もいらない』と言わせる、、何かが容疑者にはあるのでしょうか。

ご存知の方、、教えてくださいませ。



Last updated November 01, 2009 11:31:02 PM
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October 25, 2009

台湾『原住民』の抵抗、霧社事件  (6)

1930年(昭和5年)10月27日、日本統治下の台湾・霧社(むしゃ)で原住民が武装蜂起し、日本人100人以上を殺害しました。

『原住民』とは、日本人が『高砂族(たかさごぞく)』と呼んでいる人たちです。

言語、身体的特徴から、現在のマレーシア、インドネシアの地域から黒潮にのって、台湾へ移住した人々の子孫といわれています。

中国大陸から漢民族が渡来するまでは、平地に住んでいましたが、漢民族に追われて、山地へ移住を余儀なくされました。

現在でも、大部分は山地に住んでおり、国民党政権時代は『山地同胞(略称は山胞)』と呼ばれていました。

現在は『原住民』が正式名称です。

この名称は、台湾民主化以降、彼らが要求して、政府に認めさせました。



1895年(明治28年)、日清戦争の勝利により台湾は日本領となり、台北に台湾総督府が置かれました。

原住民の住む山地には駐在所が設置され、警察官が常駐しました。

警察官は山地の行政権を握り、原住民に君臨しました。

警察官のなかには、原住民の文化、風俗、習慣を理解せず、彼らを劣等視するものもいました。

霧社事件の原因は、つきつめれば、そのような警察官への不満、反感が原住民に蓄積され、ふとしたきっかけで爆発したものと思われます。

原住民の行動を『反乱』と呼ぶか、『蜂起』とよぶか、又は別の呼び方があるのか、人それぞれです。


事件の現場は、台湾南部の霧社にあった霧社公学校(公学校は小学校と同じ)でした。

事件当日、霧社公学校では運動会が始まろうとしていました。

その運動会場に蕃刀(ばんとう)で武装した一団が乱入し、日本人は老若男女の区別なく犠牲者となりました。

一団の指揮者は、霧社に住む『タイヤル族』のリーダの一人であるモーナ・ルーダオでした。

彼の指揮下に1200人が参加したといわれています。

事件に驚愕した台湾総督府は、軍隊、警察、そして事件に参加しなかった『タイヤル族』を動員して鎮圧にあたりました。

非参加の『タイヤル族』を、台湾総督府は『味方蕃(みかたばん)』と呼びました。

いわゆる『骨肉相食(こつにく・あいは)む』悲惨な光景が繰り広げられたのです。

山岳地帯の戦闘が得意なモーナ・ルーダオらの『タイヤル族』も、近代兵器による攻撃の前に敗退を重ねます。

そして、700人が戦死、自殺し、500人が鎮圧軍に投降しました。


生き残った『タイヤル族』を『味方蕃』の『タイヤル族』が襲撃しました。

この襲撃は『第二霧社事件』と呼ばれました。

この襲撃で生き残った300名は、台湾中部・濁水渓(だくすいけい)中流域の川中島(当時の地名、現在は清流)に強制移住させられました。


これまで、治安が良いといわれた霧社での事件は、台湾総督府のこれまでの原住民対策を修正させました。

新たな対策の第一が『原住民の生活向上』、第二が『皇民化』でした。

『皇民化』の成果は、太平洋戦争で発揮されました。

『高砂義勇隊』となって、祖先発祥の地である南方へ送られたのです。

彼らは、密林での戦闘に高い能力を発揮しましたが、連合軍の物量作戦には勝てませんでした。



国民党政権下で行なわれた反日教育では、事件の首謀者、モーナ・ルーダオは『抗日英雄』となり、その石碑が霧社に建てられました。

1990年(平成2年)以降の民主化の進展により、『霧社事件』は原住民の名誉と誇りのための戦いであったとの評価がなされています。



30年前の4月から5月にかけて、一人で2週間の台湾一周旅行をしました。

台湾中部の大都市・台中からバスを乗り継いで、霧社に行き、一泊しました。

かつての『霧社神社』の痕跡を残す場所を見ました。

半世紀前の悲惨な事件があったとは思えない、のどかな山間の集落でした。



日本では『原住民』は差別の意味が含まれています。

たとえば、『未開』『野蛮』『文化が遅れている』などです。

そのため、日本のマスコミでは『先住民』を使っています。

しかし、漢語では『先住民』とは『滅びてしまった民族』の意味があります。

たとえ、台湾人口の1%以下であっても、「どっこい、我らは生きている」「我らが最初の台湾人」という、誇りがあるのです。


Last updated October 25, 2009 8:51:23 PM
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