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毎日感じたこと、時々は台湾のこと

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2011.06.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
1940年(昭和15年)6月14日、第二次世界大戦初期、ドイツ軍がパリに無血入城しました。

5月10日、ドイツ軍が西部戦線で大攻勢を開始して以来、わずか1ヶ月でパリを陥落させました。

ドイツ軍がパリに迫ると、フランス政府は南フランスのヴィシーに逃れます。

6月22日、ヴィシーのフランス政府(ヴィシー政府)は、ドイツと講和条約を結び、フランスの北部と中部をドイツ占領下に置くことに同意しました。

しかし、植民地と艦隊の保持は認められました。

現在のベトナム、カンボジア、ラオスは、ヴィシー政府の統治下に置かれていたのです。

いわゆる『仏印進駐』で日本と交渉したのは、ヴィシー政府の現地当局です。



ドイツとの講和に反対するグループが存在しました。

国外へ亡命したグループの指導者のひとりがドゴール将軍です。

彼は『自由フランス軍』を組織して、4年後のノルマンディ上陸作戦でフランスに帰還し、後にフランス大統領となります。

国内に残ったグループは、『レジスタンス』を組織して、ドイツ占領軍と戦います。

ヴィシー政府の閣僚、ドイツに協力した人々は、『コラポ(対独協力者)』と呼ばれ、ドイツ敗北後は『反逆者』として、裁判にかけられました。

彼らにも、言い分はあったでしょう。

しかし、ドイツ占領下の屈辱の4年間は、彼らの弁明を聞く余裕を失わせていました。





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最終更新日  2011.06.13 20:48:54
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