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ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

ニュージーランド

2002年7月
エア・ニュージーランド

●3年ぶりのニュージーランドへ●

ニュージーランドには1998年4月から1999年の3月まで約1年間、ワーキングホリデービザを取って滞在した。今回は、友だちの結婚式に招待され、二度目の渡航となった。ニュージーランドで知り合った友だちではなく、渡航前に友だちになったカップルだ。結婚式はタウランガで行われたが、これを機会に住んでいたウェリントンと前回観光できなかった場所にも訪れることができた。
名古屋空港からオークランドまでの直行便だった。搭乗口で、同じく友だちの結婚式に出席する高校時代の恩師ご夫妻に会い、びっくりする。

●オークランドでの再会●

ワーホリ時代、オーペア仲間だった友だち、新潟のアキコさんに再びNZへ行くことをメールで告げた。すると、彼女も偶然同じ時期にNZに遊びに行くというのだ。私より1日早くオークランドに着くという。私はオークランドに1泊だけする予定だったので、着いたその日にアキコさんと会うことにした。待ち合わせは、ダウンタウンショッピングセンターにあるスターバックスと決めた。

早朝オークランドに着き、YHAにチェックインしたあとスターバックスへ向かう。真冬とはいえども、日本ほど寒くない。少し早めについたので、そこで遅い昼食をとった。しかし、時間が来ても、かなりすぎても、待てども待てどもアキコさんは来ないのだ。私と同じくらい時間に厳しい彼女がこないだなんて、何かあったに違いない。テレフォンカードを買い、彼女の日本のうちに電話をすることにした。
彼女のうちに電話をすると、まずおばあちゃんが出た。アキコさんの泊まっているホテルを聞くと、おばあちゃんにはわからないようで、お母さんを呼んでいるが時間がかかる。テレカの度数はどんどん減っていく。そしてやっとお母さんとお話できた。
「アキコちゃんはね、ポポコンホテルに泊まってます」
お礼を言って電話を切ると、早速ポポコンホテルを探しに行った。確か、ハーバー沿いにあると言っていた。この辺りはホテルが立ち並んでいるので、近くのインフォメーションセンターで場所を聞くが誰もポポコンホテルなんて聞いたことがないといっていた。探しても探しても見つからない。時間だけがたっていく。途方に暮れて、ふと左側を見ると白い、大きなホテルがある。そして、そこには「コップホーンホテル」と書かれてあった。
「(頭の中で)コップホーン・・コップホーン・・・ポポコン!」
中に入り、フロントでアキコさんが泊まっているかどうかを聞いた。彼女の予約は入っていたが、台風の影響で1日フライトが遅れたのだそうだ。そしてその時、ホテルの車が彼女を空港まで迎えに言っていると聞いたので、そこで待つことにした。

待つこと数十分、アキコさんが到着。アキコさんが九州に遊びに来てくれて以来の再会だった。ホテルにチェックインし、町へ出る。そして、このホテルを見つけたいきさつを話す。2人とも大笑い。ワーホリ時代はオーペア仲間で、休日はいつもこのダウンタウンで会っていた。町をただブラブラしたり、お茶を飲んだり、ケーキ食べ放題へ行ったり、食事をしたり。そのときはいつもいつもオーペア生活の苦楽を語り合っていた。もちろん今回も大おしゃべり。アキコさんは当時のホストファミリーと交流があり、NZにいる間はオークランドで過ごす予定だった。夕食もいっしょにとり、遅くまで話す。とても懐かしかった。

●ウェリントンへ●

翌日はオークランドを離れ、ウェリントンへ向かった。YHAで同室で、前の晩いろいろと話した日本人の女の子2人がスカイシティまでいっしょに歩いて行ってくれた、いい子たちだった。朝早いのに、アキコさんも見送りに来てくれた。3人に別れを告げ、インターシティに乗り込む。ウェリントンまで11時間だ。長いけど、安いし、何よりも景色を楽しむことができるのだ。
久しぶりに見るNZの田舎は・・・阿蘇だった、久住だった。それでもとてもきれいだった。しかし、なぜか湖や池が異常に多かった。よく見ると、たくさんの木が水に漬かっていた。隣に座っていた人にもしかして洪水があったのかと聞くと、そうだと言い、私がつく2日前までは大雨が続いたらしいのだ。そういえば、ワーホリのときも洪水に出くわした。私、洪水女?

●なつかしのウェリントン●

大幅に時間が遅れ、ウェリントンに着く。冬なのでもうあたりは真っ暗だ。市内を循環するバスがYHAのすぐそばを走るのでバスを探すが見つからない。同じくYHAに泊まる旅行者と5人でタクシーにあいのりした。
YHAは以前よりもレセプションがきれいになっていた。談話室や小さな図書館もできていた。しかし、キッチンも部屋も以前もままだ。ここの談話室で、アスカさんという日本人女性と知り合う。彼女と1日しか話していないが、彼女と1年後にカナダで再会することになる。

ウェリントンの滞在は3日間だ。特に何をするというわけではない。以前、6ヶ月間生活したみたいに普通に過ごすことだった。今回はフラットがないだけだ。町はなんだか変わっていた。コートニー・プレイスの大きな空き地にでっかいショッピングセンターができていたり、にぎやかだったマナーズ・モールが閑散としていたり・・・。そこにあった語学学校がなくなったせいだろうか。国立博物館へ行ったり、大好きだったカフェでのんびり過ごしたり、日本で見られなかった「スパイダーマン」をやっていたので映画館へ行ったり、本当に普通に過ごした。ただ、連日の雨と大風で、マウント・ビクトリアは断念した。住んでいたフラットも訪ねなかった。

●ベトナム人の友だちと会う●

住んでいた頃のように過ごしても、その頃の友だちはいないのだ。一人だけ、まだ大学に通っていた友だちがいた。彼女はベトナム人のキム。ワーホリ中、ESLのクラスメイトだった。メールと彼女の携帯に電話することで連絡が取れ、会えることになった。
キムとマナーズ・モールのマクドナルドで待ち合わせた。久しぶりに会う彼女は、腰まであった髪をばっさり切っていたが、あまり変わっていなかった。いっしょにマレーシア料理のレストランで昼食をとる。私が日本からのお土産を渡すと喜んでくれた。キムもハノイに里帰りしたときのお土産を私にくれた。
いろいろな話をするが、決定的に違うのは英語力。以前は私のほうが話せていた。しかし、その時は向こうに住み、向こうの大学に通い、スーパーでアルバイトをしている彼女のほうが全然上だった。当然といえば当然だけど、なんだか悔しかった。また、彼女はもうニュージーランドの永住権も取得したばかりだった。ものすごく努力をしているんだと感心してしまった。将来はベトナムに帰るか、NZで就職するかは決めてないと言っていた。会えて、刺激をたくさんもらえてよかったと思う。

●7月の雪景色●

ウェリントンを離れ、ロトルアへ向かった。山間部へ向かうにつれて、なんだか景色も変わってくる。荒涼として、のどかないつものニュージーランドの景色と違うのだ。そういう景色もとても素敵だ。そしてここは冬4日前にここを通ったときにはなかった雪が積もっていた。運転手さんがバスを路肩に停め、外に出る時間をくれた。外国人旅行者と子ども以外、外に出る人なんていない。ホリデー中だというフランス人の女の子は雪を見て興奮していた。ルアペフ山もきれいだった。

●ロトルアでホリデー●

友人の結婚式のあるタウランガへ向かう途中、寄りたいところがあった。それは、NZの観光都市ロトルア。温泉つながりで別府市と姉妹都市の町だ。ワーホリのときも帰国前に訪れたが、その頃は貧乏金なし、ろくに観光もしていない。ウェリントンからタウランガまで、ロトルアは必ず通る場所。ワイオタプ地熱地帯という観光地にも行ってみたかったので、寄ることにした。
予約をしていたYHAへ向かう。旅は道連れとはよく言ったもので、バスの中で知り合ったAさんという女性、彼女はまだ泊まるところを決めてなかったのでいっしょに行くことにした。なんでも、賞をとったことのあるYHAなので、とてもきれいだし、いい感じのところだった。まさか、ここである災難に遭うとは・・・。それは後ほど。チェックインと同時に、ワイオタ、それからスタッフお勧めのワイマングのツアーに申し込んだ。Aさんもついでに申し込んだ。

●まるで別府の地獄巡り?ワイオタプ●

ツアーバスに乗り込み、ワイオタプへ。運転手はでっかいマオリのお兄ちゃん。ワイオタプに入場する前に、泥地獄みたいなところに連れて行ってくれた。泥がポツポツと沸騰し、湯気でいっぱい。
そしてワイオタプに入場。ツアーはまず、間欠泉が噴出すのを見る時間に間に合うよう設定されていた。間欠泉の穴に石鹸を投げ込み、人工的に噴射させる。最高で21メートルの高さになるという。これは別府温泉でいうと、竜巻地獄か?
それからフリーで地熱地帯を周る。私はもちろんAさんと、それから途中で知り合ったクリシュトフという、ポーランド人男性といっしょだった。このおじさん、英語が下手。しかし、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、ロシア語が話せるんだそうだ。フランス語のパンフレットを持っていた。彼の片言英語と、私の知っている限りのドイツ語の単語で何とか会話成立。ワイマングもいっしょに歩いた。

ワイオタプには、いろんなタイプの地熱地帯、温泉、クレーターがある。つけられた名前もユニークだ。例えば「悪魔の家」、「画家のパレット」、「悪魔のインクつぼ」、「鳥の巣クレーター」など、なかなか詩的だ。見所は「フライパン平原」と「シャンパン池」。フライパン平原の上には長い橋がかかっていて、景色を見ながら渡ることができる。きっと、死んだら魂が行くところはこういう場所なんだなって思った。
「シャンパン池はこの地区では最大の温泉で、直径、深さともに60メートル、温度75℃。シャンパン池と呼ばれるのは炭酸ガスを含んだ気泡が出るからだ。色はブルー、海地獄ってとこかな。
別府の地獄巡りが1箇所に凝縮されているようなところだった。

●大自然満喫、ワイマング●

タラウェラ山の5回の噴火でできた美しい谷、ワイマング。谷全体を見渡せる出発地点からロトマハナ湖まで約2時間のハイキングを楽しんだ。温泉の種類は少ないものの、観光地化がワイオタプほどされているわけでもなく、野生の鳥を見足り、自然を楽しみながらウォーキングができた。飛べない鳥、プケコ、美しい尾を持ったファンテイルといった鳥をみることができた。

温泉湖の見所は、まずエコー火口とフライパン湖。湖一面に煙が立ち込め、湖面はほとんど見えない。そして、ブツブツと二酸化炭素と水酸化硫黄のガスによる粟が発生している音が聞こえる。しかし、水温は55℃とわりと低め。
次は、息を呑むほどきれいなインフェルノ火山湖。神秘的な濃いミルキーブルーだが、水温は80℃近くある。この谷で一番気に入った場所だ。
昔はライステラスのように美しい景観だった大理石のテラスとバタレス。1886年の噴火により壊滅したそうだ。
そして到着地点のロトマハナ湖。静かで、誰もが話すのを止めて湖を見ている。目を閉じて鳥の声に耳を傾ける人もいた。なんとも詩的な風景。同じ火山国の日本、こんな風景が見られるところ、どこかにあるだろうか。

●ダニにやられた!●

確かに素敵なYHAだった。部屋もきれいだし、文句なし。ただ、ただ、ダニにやられちゃったのだ。しかも、前回のワーホリについで2回目!!!これでわかった、私はダニアレルギー。だって、同室のAさんは平気だったから。小さな痒みが、寝るときに手足の出ている全身に広がった。最初は足、そして手、首、顔にまで。掻けばひどくなるので我慢、持ってきたオロナインをひたすら塗る。タウランガで知り合った女の子がよく効く薬をくれたけど、友だちの結婚式にはダニにやられた姿を披露。知らない人にまで同情されるのだった。帰国翌日、病院へ行く羽目になった。

●旅は道連れというけれど・・・●
さて、今回ロトルアの旅をいっしょにして楽しんだ関西人、Aさん、今まで、旅行中にはいろいろな人と知り合い、話しもし、時には観光もいっしょにした。しかし、このAさんのようなタイプは初めてだった。ウェリントンからロトルアへ向かう途中、タウポでバスを乗り換えた。バスが出発するまで、私は日本から持ってきた小説を読んでいた。すると、一人の女性が
「Are you Japanese?」
と話しかけてきたのだ。日本語の本読んでるから、見りゃわかるだろと思いながらも、「Yes」と答えちゃっていた私。聞けば彼女の目的地もロトルアで、海外一人旅は初めてだという。そして、ワーホリでNZへ来ることを考えていて、今回は視察を兼ねての旅行だと言っていた。

さて、このAさんと2日間行動を共にするが、なかなか愉快というか、今まで会ったことのないタイプの女性だった。まず、よく食べる!カフェに入ってもパイやキッシュをぺろりと2,3個食べるのだ。でも、ものすごく細い。YHA、バックパッカーズは基本的に自炊だ。タウポでは朝食はカフェやファーストフードでとっていたそうである。しかし、私は食パンとバター、ティーバッグ、フルーツを持ち歩き、それを朝食にしていた。バックパッカーの基本である。朝、彼女にもパンを分けて、それをそれぞれにトースターで焼いた。私が先に食べていたら、Aさんが私に向かって走ってくる。何事?と思うと、
「パンが出てけーへん!!!」
そりゃそうだろ、手動だよ。最初は私も知らなかったよ。
先に食べ終えた私は部屋に戻り、そしてAさんが私の食料を抱えて戻ってきた。
「パン、4枚も食べてしもたワ!」
おい、こら、少しは遠慮しろ。でも、私はいい人なのでとりあえずにっこり。

次に洗濯。YHAのコインランドリーでいっしょに洗い物をすることになった。洗濯機が止まり、洗いもをを取り出すAさん。
「どないしょ!ピチピチや~!」
洗濯すると縮む服まで入れちゃってたらしい。あんた、27歳でしょ!洗濯したことあるの?

そして彼女はロトルアに延泊することに決めた。いずれこの国に住むのだから、一人で延泊の手続きをすることを勧めた。各地の観光ガイドなどを呼んで待っている私は視線を感じた。振り向くと、スタッフが私にヘルプのサインを送っている。どうも、Aさんが何を言っているのかわからないようだった。仕方がないので、彼女がもう1泊予約したいと言っていることを伝えた。
「助かったわぁ~。英会話スクール行ってるけど、通じひんもんなんやねぇ」
私、沈黙。その後、彼女はワーホリに旅立ったのかどうかは知らない。しかし、なかなかおもしろい子だった。

●行き違い、タウランガ●

そしていよいよ目的地、タウランガへ。タウランガでは翌日、友人のセーラとジュリアンの結婚式に出席する。前日、ロトルアからセーラのおばあちゃんのうちに電話をして、私の到着時間と宿泊先を連絡しておいた。タウランガのバスターミナルからYHAは遠い・・・と思っていたら、ターミナルの場所が変わり、ダウンタウンになっている。小さな町なのですぐにたどり着く。チェックインをして、居間にいた日本人女性と話していると、突然ジュリアンが現れた。私びっくり。ジュリアンは到着時刻に合わせ、旧バスターミナルで私を待っていたもだそうだ。まさか、迎えに来てくれるなんて知らなかったので、とてもびっくりしたけど、うれしかった。
ジュリアンは自分の車まで来てと言った。なんだろうと思うと、カーステレオからはル・クプルの「ひだまりの歌」が流れている。彼が日本に住んでいたとき、いつもいっしょに聞いていた歌だった。懐かしかった。
夜は、セーラ、ジュリアン、ジュリアンの友だちとそのフィアンセ、高校時代の恩師夫妻、私の高校時代のクラスメイトで食事に行く。そこで、セーラのご両親、親戚とご対面した。特に、叔母さん夫婦と従姉妹のアンジェラには以前とてもお世話になったので、うれしい再会だった。

●セーラとジュリアン●

彼らと知り合ったのは1997年の夏だった。私のカナダ人の友だち、モニカを通してだった。ジュリアンはタウランガの出身、セーラはモニカと同じくカナダ出身だが、彼女のお母さんはタウランガ出身、お父さんはウェリントン出身と、ルーツはNZにあった。思えば、で会うべくしてであった2人だ。この二人には、私がワーホリに行く前にとてもお世話になった。ジュリアンにはいるいろ話を聞き、セーラは現地の観光パンフを集めてくれたり、自分の叔母さん夫婦を紹介してくれた。今も、彼女の従姉妹のアンジェラとは友人同士だ。
付き合い始めたのは、私がNZへ行ってしまってからだ。他の友だちにその話を聞いて、とてもびっくりした。二人は日本を離れたあと、カナダのバンクーバーで生活し、婚約した。結婚式に招待されたときはとても嬉しかったし、お金はなかったけど無理やり決行。でも、行って祝福できて本当によかったと思った。

●結婚式●

ダウンタウンから少し離れた教会で挙式が行われた。キリスト教とマオリのアートがとてもマッチした小さな教会で素敵だった。入り口には二人の思い出の写真は自由に閲覧でき、日本での写真も何枚かあった。日本でいっしょに彼らと過ごした日々を思い出し、ちょっとだけ思い出に浸る。
さて、結婚式が始まる。祭壇の前で待つジュリアンに向かって、セーラがバージンロードを歩いていく。セーラは今まで見た中で一番きれいだった。日本のチャペル挙式でも見たことのある、神父(牧師)さんの言葉、それぞれの誓いの言葉、指輪の交換、誓いのキスを一通り終え、始めて見るセレモニーが。結婚証明書にサインをする人がいるのだ。セーラのおばあちゃんだった。これは新鮮!
式を終え、参列者は教会の外でシャボン玉を吹いて二人を祝福した。それからしばらく写真撮影が続くのだった・・・

写真撮影が続く中、教会の周りで遊ぶ幼い兄妹がいた。二人ともとてもかわいくて、写真を撮らせて欲しいといったら私のほうを向いてくれた。それからしばらくして、妹のほうが私のところに歩いてきた。手には何か紙を持っている。それを私に渡すと、恥ずかしいのか、さっとその場を立ち去って行った。紙を開くと、彼女がぬり絵をして、下方にJamieleaと名前も書いていた。とてもかわいいプレゼントだった。日本帰って彼らの写真とともにアルバムに貼った。

●いつまで続く、披露宴●

披露宴は夜に別の場所で始まるので、アンジェラたちの泊まっていたモーテルで一休みして会場に向かう。会場に着くと、そこでもラブラブ記念撮影が行われていた。日本のように事前に結婚写真を撮っておくという習慣がないので、いろいろと撮るのだろう。
欧米なので、祝儀の代わりにプレゼントを渡す。私はウェリントンのボディショップで入浴セットを買ってきていた。恩師夫妻およびそのほかの日本からのご一行はお金を出し合って着物を買っていた。セーラとジュリアンは着物に着替えて入場。シンプルでかわいいウェディングケーキに、バイキングスタイルの食事。テーブルにはそれぞれ百人一首のカードとセーラの作った折鶴が飾られていた。シンプルだけど、素敵だ。
再び洋装の結婚衣裳に着替え、新郎、彼の介添え人、新婦の父がそれぞれ挨拶を終え、恩師がスピーチをする。退職したとはいえ元英語教師、さすがのスピーチだった。そして、セーラのスーパーバイザーだった人のスピーチ。本数学教師なのに、一生懸命英語でスピーチし、高砂を熱唱。場内大拍手だった。
ケーキカットまで終えると、あとはダンスパーティーだ。私は踊りが苦手なので、人と話したり、ワインを飲んだり、場の雰囲気を楽しんでいた。途中、セーラがブーケを投げる儀式があった。独身女性が群がったところに後ろ向きになったセーラがブーケを投げる。来た!!!と思ったら、私の前にいたセーラの親戚の女性がキャッチ。ちょっと待て、あんたどう見ても50代・・・。まあ、それでも独身は独身、嬉しそうだった。恩師夫妻に見せに行っていた。
ダンスパーティーは果てしなく、深夜まで続く。私は次の日、早朝オークランドへ行かなければならない。タクシーを呼んでもらおうと思っていたら、ちょうど帰ろうとしていたセーラのおばあちゃん、従姉妹たちがYHAまで送ってくれた。とても素敵な式だった。

●またね、ニュージーランド!●

翌日は、またもや偶然、恩師夫妻と同じバスでオークランドへ向かった。話を聞けば帰りの飛行機もいっしょだそうだ。先生方は空港近くのB&Bに泊まるということで、マヌカウでバスを降りた。
オークランドに着いた私は、ワーホリ時代によく通ったマックカフェでお茶をし、お土産を買いにダウンタウンを歩き回る。翌日朝が早いので、空港へ行くシャトルをYHAのフロントで予約をしてもらい、早々と寝る。
翌朝はまだ暗いうちにシャトルバスが迎えに来て空港へ向かう。ワーホリ時代はもう二度とNZに来ることはないかなと思っていたけど、こんな形で再び訪れることができて幸せだった。ダニは怖いけど、また機会があったら行きたいと思う。


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