Travel?Trouble?四万十川へGO! その1Travel? Trouble? 四万十川へGO!その1 プロローグ ~ 第1日目 いよいよこの日がやってきた。 疲労とストレスにより体を壊しつつも、自らをダマシダマシ働き続けた数年間。 聞いたことナイ病気を次々に初体験し、折れそうな心を気合でカバーし続けた。 しかし、私って思ったより強い人間じゃないんだよ。頭の中で「ブツンッ!」何かが切れちゃった。 その後、当時勤めていた会社を退職し療養生活へ・・・。 医者から掛けられた言葉が「安静に」から「そろそろ気分転換に運動でも」へ変わった瞬間! かねてより夢であった愛車と行く四万十川気ままな一人旅を実行に移す時が来た! 目的は、心身ともにリフレッシュ! 実はまだ体調は万全じゃなかった。でも気持ちはすでに四国の地へ飛んじゃってるから強行を決定。 心配していた親には無理なスケジュールは組まず、なるべく泊まりも宿を取ることを約束し説得した。 放蕩息子で申し訳ないです。 さ、準備は万端! 出発前日のこの日は、やっぱり眠れませんでした^^ 2005年4月20日水曜日 嵐の出発!? さぁ!いよいよ出発の日。 初日は仙台港からフェリーに乗り、一路名古屋へ。 ネットでチケットを予約する際に、どうしてもニュー木曽に乗船したく出航日を1週間遅らせていた。 S寝台を狙ってたコトもあるんだけどね^^ まさか、この時点で選択ミスを犯していたとは・・・もちろん、夢にも思っていなかった。 家を出たのが午前8時半。ホントは10時近くに出る予定が、もう待ちきれない。 この日、天気予報は宮城が曇り。明日の名古屋が晴れ。 フェリー乗船は3度目(苫小牧1往復)の私は、水平線に映る夕焼けを眺めながらの入浴を楽しみにしていた。 出航時間は12時30分。関東に近づけば晴れる確立は上がるだろう。そう、タカをくくっていた。 ◆ フェリーターミナル到着 10時頃 ◆ 天気は依然曇り。フェリーの食事は高いので、途中コンビニで昼食や夜食を充分に補充して来た。 暇つぶしの為ダヴィンチコードを片手にしている。 ◆ 乗船手続き開始時刻到来 11時30分頃 ◆ 外は・・・ドシャ降り^^ 車の中でまともに音楽が聴こえない程の堂々とした降りっぷり。 実は私、強烈な雨男。自他に認める雨男なのである。 職場や、生活環境が変わった先々で必ずイワレテマス。 この時点では、まだ余裕があり「ふん!いつもの事よ」そう、つぶやいていたモンだ。 そう、まだこの時はね^^ ◆ いよいよ乗船!そして、出航!! 12時30分 ◆ 出発時最後に乗れば、到着時に先頭で出れる。というコトを学んでいる私は、狙い通りに乗船待ちの最後尾を狙っていた。 ん?隣のオヤジ・・・列に並ぼうとシナイなぁ。まさか!狙いは同じか!? 真意は定かではないが、私が動くまでヤツは動かなかったのは事実。 しかも、お互い動きが気になる様でチラチラ目が合う^^ こっちの方がショッテルものがデカイんだよ!などと、勝手に盛り上がり最終的には私が最後を勝ち取る。 まったく、今思うと何やってんだか・・・。 ◆ 夕食後のひと時・・・のはずが!! 20時過ぎ ◆ 相変わらず、外は雨。 仕方なく入浴と食事を済ませてロビーで読書を楽しんでいた。 ここで、ひとつ誤算が生じる。 愛煙家の私は、以前の船旅であまりヒトが来ないでゆっくり過ごせるポイントを掴んでいた。 だが、この船は、ニュー木曽。最近就航したばかりの船で、内装はキレイ。 S寝台や、ロイヤルスイートもコイツだけ。 そして・・・喫煙スペースもかーなーり、制限されていた^^ 展望通路で過ごす時間を楽しみにしてたのにさ。 喫煙スペースでも、老夫婦が隣にいて弁当広げてたり、談笑してたりしたらいくら私でも・・・。 TVがあり、人でごっちゃがえすロビーが定位置になりました^^ そして、悲劇は幕を開けた・・・!! ◆ 船体がキシンでますけど!? 22時過ぎ ◆ もう思い出したくもない。銚子沖に差し掛かったあたりだったと思う。 そんりゃもう、モンの凄い嵐!! 当然、立ってられません!ぐぅわっっと持ち上げられて、一瞬の間のあとどっどーんっっ!という爆音と共に急降下! そう、波に揉まれてるんです。フェリーが・・・。 トイレの防火シャッターもロック外れちゃってばったんばったん言ってるし。デッキとの連絡扉からビュービューと容赦ない風と雨の音が襲いかかって来ている。 釣り船にも乗ったことがあるので船には自信があった私も不安爆発!! 酔いはしなかったけどね。けど、あっちこっちからいろんな音(自主規制)が聞こえて来て、もう周囲は地獄絵図になっていた・・・。 「引き返すな!!」という気持ちと、「車は無事?無事??」という気持ちがいっぱいで眠れる訳がない! ニュー木曽のS寝台にこだわらなきゃ、嵐にも遭遇しなかったんだろうね。きっと^^ 言うまでも無く、この天候こそがもうひとつの誤算で最大の悲劇だったわけです。 幸先のいい、スタートでした。 Homeへ |