まむし湯の起源
古代の 記述を読むと 下記のように 記されている。なを 素人が 古代の 分を読み 解説しているので 多少の間違いは ご勘弁 お願いします。 記安政 5年(1855年) 7月10日怡土郡(糸島郡)吉井村の中村の 長楽寺前に ななつ石と申す場所、60人を使っていた 楢崎多七郎 中村村の自分の土地の内から、 先年より 白山宮の末社 貴船宮と申す社凡そ約30坪 ばかリの狭い森の中に 神社を映した場所あり。 何時のころか 判らないが このところ 先年より お湯が出てきた。一旦 衰えて すたれたて 忘れられたが、ある 4月下旬の頃 同村 竹戸の 弥平と 申す者、 肥し負けに しかも手足タダレて 大いに腫れあがり 農業が出来なくなった。この間 難儀に付き 貴船社申し伝えの湯、 若し霊験あればと 石垣の下 金色交じりの 石の間より噴き出していた 冷水を 取り寄せ、朝、夕洗ったところ、一両日中にようやく治った、喜びのあまり 人々へ告げ回り、多七郎にも その後 同じような病気に掛かり この水にて同じく洗ったところ これまた快方する。これにより続々と村内の者ども、 同様な病に効能あることが解り、 多七郎よりこの場所を 手入れしようと呼びかけたところ、 人々思いもよらず寄ってきて 加勢したので 5月25日より ほどほどに取り繕い 湯坪をこしらえたところ 追々治療の人 入り来たが、 しかしながら 冷水にて長く浴することは出来ず、 風呂に仕立てて湯治にしたところ、6月初旬にかけ 村内はもとより 隣村より湯取り等 毎日 多くの方がおいでになり、カサ、キズ、腫物、怪我、その他 まむしの毒気等快方になり、 風呂を 公共にした ところ 入浴の人、段々はんじようになり5月下旬より昨今まで57日間の 入り、泊り湯治 凡そ 男女 60~70人沢山あり良くなった。 その他 中津領 深江近在よりは 弁当携え 日帰り湯治の者もあった。このように連続して利用者が多ければ 自然と村の 潤いにもなると お互いに喜んでいた、がしかし 旅人が出入りして(昔は混浴)悪さをするので、風俗 取り締まりに及び 役人より厳重注意と現場検査が役人により行われることになり 吉井村庄屋兼 諸岡助蔵等より 書付を持って役人を 案内し庄屋の 手代(女中)が湯治場の中を 開いて見せて 異状ないか見届け確認させた。このような 古代の記事が残っており これが今の まむし湯(元 まむし温泉)の記録の ようである。 以上