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チソンの日記

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2005.02.04 楽天プロフィール Add to Google XML

「あの子を探して」
[ カテゴリ未分類 ]    

 昨日、遅くまでVCD観てました。先日モールで偶然見つけた中国映画「No 1 Less」です。ワゴン売りで97pでした。邦題はたしか「あの子を探して」だっと思います。私は中国映画が好きで昔よく大阪九条のミニシアターに観に行ったものです。「あの子を探して」も私の好きな映画です。内容はやはり貧困問題で、この映画自体は10年くらい前に上映されたものですが、すでに中国の国内経済格差と都市部も浮浪児の問題をテーマにしています。
 
 しかし同じ貧困でも今見たら中国とフィリピンとは様子が異なるようです。どこが、といわれるとハッキリ言えないのですが、たとえば中国の農村部では貧乏だがみんなが貧乏なのであまり葛藤がなく、物欲もなく生活は質素である。子供は一人っこ政策のため家族の内でも多くなく極端に食べれないということは無い。政治体制もあるのだろうが麻薬や買春などもフィリピンに比べたら少ないようですし、、、。なによりも教育熱が高い。少なくとも貧困からの脱出のためには教育が必要であることを知っている。このあたりがフィリピンとの違いでしょうか?

 このまえテレビで、貧乏な家庭が子供の誕生日の為に借金して盛大なパーティーを行なったことを、なぜか肯定的に報道していました。もちろん私は「アホやコイツ」と思いました。妻はフィリピンでは子供が一番大切だから、とか弁解しますが、再びこのスットコドッコイが、、、。こんなパーティするくらいなら子供の教育に金かけたほうが十倍良いわ。

 教育の価値が、毛沢東の国家建設時のスローガンとフィリピンのカソリック思想では雲泥の違いが有ります。つまり現実主義か理想主義かの違いでしょう。フィリピンでは寂しいからといって子供に学校を休ませたりする親が実在します。まあ、中国では、映画にもありますが仕事をさせるために子供を学校に行かせない貧困家庭も存在しますので、この辺は結果において同じです。しかしその原因というか精神構造においてはフィリピンの方が病的だと私は思うのですが、、。

 これに関してはもう一度ちゃんと考えてみたいと思います。 


Last updated  2005.02.04 11:43:18
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Re:「あの子を探して」(02/04)   Headacheさん

フィリピンの場合、キリスト教的理想主義が昇華・実現される前に、いわゆる<COLONIAL MENTALITY / 植民地根性>と別次元で融合してしまった為、本来の理想主義とは全く異質なイデオロギ-となる現実逃避志向の出現を招いた。またそれが今尚脈々と子々孫々にまで受け継がれているのだと思います。つまり救済者は絶対神のみであって、自分自身は必ず被主体者としてしか存在せず、被主体者である限り、最終的な責任の所在が自身の内にあるとは思考しない。
御存知かもしれませんが、フィリピン人を文化人類学の上で分析形容したものに<CRAB MENTALITY / 蟹の気質>との言葉があります。数十匹の蟹を一つのバケツに入れると、その習性から一箇所に集まろうと蠢き、右往左往した挙句、蟹の上に蟹が乗っかるといった上下変動を絶えず繰り返すそうです。自分の位置が他者の上にないと落ち着かず、一旦は何がしかの均衡状態が保たれても、そこにほんの少しの内的・外的刺激がもたらされた途端、またくだんの集団的混乱の発生を生み、そして偶発的にせよその蟹山の頂点に登りつめた一匹がバケツの外に出ようとしたその瞬間、すぐ下にいた蟹が出ようとした蟹の足を挟み込み、脱出することができなくなる、できなくする。またそれが新たな刺激となり蟹山は崩壊を繰り返し、結果唯の一匹も外に出ることなく以前通りの混沌状態に戻るだけ。う-ん、なかなか的を得ているのでは !?
おっしゃる通り、フィリピン人の精神構造はある面病的ですね。現実逃避と自己矛盾の整合性及び被主体的従属性を消化しきれない限り、彼の人達は残念ながら秩序なく蟹山の構築と崩壊を繰り返すことに終始してしまうのでしょう。但し、その余りの異質さ・危うさにこそ、日本人が魅惑され続けていることもまた真実だと思いますが。(2005.02.05 19:37:32)

まさに、   チソンさん

Headacheさん

まさにその通りですね。「蟹の気質」とはよく言ったものです。いや、もちろん「文化人類学上」の知見など私は全然しらなかったのですけど、、、。しかし学者さんていろいろ考えるのですねえ。もしかして「タレントの象徴交換理論」とかの書物とかも探したらあるかもしれませんね。私が思いだしたのは「甘えの構造」です。フロイト派の母権社会構造の研究だったと思いますが(ほとんど忘れた)、フィリピンはまさしく母権社会ですよね。ほとんどの家族において父親の影が薄い。変わりに母親が君臨している。私の「フィリピン人の母」のイメージはスターウォーズのジャバザ・ハットです。で、鎖につながれているのがタレントとして働かされている娘たち、みたいな、、、。刈る民さんの「洗脳されたタレント」理論もこのようなイメージから生まれてきたのでしょう。そしてこれは児童虐待がそうであるように世代間で受け継がれる風潮ようです。

とにかく、足の引っ張り合い、無責任体質、権威主義、現実逃避、このあたりの性質はやはりゆがんだカトリシズムといわれても仕方が無いですね。カトリシズムがもはやこの国において道徳的倫理的社会的な成長を何ももたらさない証明としてこの国の「性的なだらしなさ」が揚げられるとおもうのですがいかがでしょうか?

headacheさんが言われる、

>その余りの異質さ・危うさにこそ、日本人が
>魅惑され続けていることもまた真実だと
>思いますが。

このところが一番私にとって重要に思われ、また興味のあるところです。フィリピンの魅力とは、人間の「混沌への希有」、「堕落する快楽」、、、このあたりがキーであるように思えます。日本と親和性があるのは、逆説的に「非日本的」なものがここで発見されるからではないでしょうかね。仕事に疲れたおじさまを酔わせるキョーレツな何かが、、、。(2005.02.06 13:28:42)

確かに中国とフィリピンは・・・   こき麻呂(^^ゞさん


初めまして!   チソンさん


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