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まだ日本ですが大変バタバタしております。ちょっとここに書けない問題が発生しておりましてなかなかフィリピンに帰る日程が立てられないのであります。とは言いながらしっかり土曜日に一日かけて何とかお土産を完買(←新語)しまして、で、本日日曜日は自宅にて優雅で物憂げな休日を満喫させていただきました。
で、BLOGのカキコなど野暮なことはしばらくは止めとこうなどとエラそうなことにも考えていたのですが、例の評判になった映画がちょうど11日にDVDとなって発売されたので、私も買ってさっき観終わったトコです。で、ちょっとガッカリしたのでそもことを書きます。 映画とは『誰も知らない』です。劇場でやっているときから観たかった映画なので今回、わざわざレンタルでなく購入して観たのです。あらすじは例のごとく一言で済ませますが、アホ女に産み落とされ捨てられた男女4人の子供がよせばいいのに自分達だけで生きようとして一人死なせてしまう、というストーリーです。 なぜ私がこの映画に期待していたのか、よく思い出せないのですが、一つはカンヌで「最優秀男優賞」を受賞とかして評判になっていたからでしょう。なにを隠そう私はカンヌとかベネチアとかの言葉にヨワイ田舎者なのです。ところでもちろん「…男優賞」なので映画そのものの賞でないことに気づくべきでした。映画作品そのものにではない。 この映画の評価出来る点は、まあリアルな演出、でしょうが、これは良く知りませんが今の日本映画の特徴となっているのでしょうか、最近見た(しかし数年前の映画)『きょうのできごと』もそうでした。川瀬直美の影響ですかね。ミニマムな演技でドキュメンタリー映画風にフィクションを取るという手法が主流のようです。実は私も今一番関心があることは自分の業界の行く末ではなくて「リアリズム」で、それで小説第三弾が行き詰っているのですがそれはさておき、この『誰も知らない』でも子供たちの自然な演技がリアリティをかもし出しておりそれは成功していると思います。 しかしストーリがリアルじゃない。誰が何と言おうとこんなのありえません。だいたい普通こんなの近所の人が気付きます。「何言ってる、これは実話を基にしているのだぞ」とおっしゃるかもしれませんが、これは監督がDVDに同封されている「演出ノート」に書いてるようにbased onではなくてinspired byだそうで、実際の事件の詳細をあえて調べる作業はしなかった、とも書いています。つまりこれはフィクションだということで、宜しい、それなら言いたいこと言わせて貰うが、私も実際の事件のことは全く知らない。知らないが常識的に考えると明らかにそのマンションの住民の何人かはこの異様な家族のことに気付いていたに違いない。しかし新聞報道では隣の住民は全く気付かなかったといっているそうだが、言うまでもなくウソである。気付いていたが関わりあいたくなかったのだ。その程度のリアルな、醒めた感覚がなければどうしようもない。だから映画ではそういう一般住人の欺瞞も脚本に反映させなければウソである。だからこの映画は演出はリアルなのに脚本がウソくさいのだ。 つぎにこの映画の主人公がどう考えても正しくない、と思う。12歳ならば食えなくなった時点で外に助けを求めることも出来たのではないか? 自分達だけで生きていかなければならないという不可能なことに執着してしまった結果、妹が一人死ぬのだ。しかも死んでからも蘇生の可能性をまったく考えずほったらかして、最後に空港の近くに埋めてしまう。救急車や警察を呼ばなかったのはなぜか。これをリアルに考えればこうなる。すなわち、主人公である長男は、警察などに連絡すると自分が捕まる、と思ったからなのだ。 ここがきっちり描かれてないのがこの映画の2番目のウソ臭い部分である。なお長男がそう思ったのは言うまでもなくそのように母親に洗脳させられていたからだ。この辺はすこしは映画の中で描かれていて、例えば母親が繰り返し、長男以外は家の外に出るなと命じたことがその洗脳が存在していたことをうかがわせている。しかしまた同時に監督はこの洗脳が存在していたことを自覚してなかったようにも思えるのだが、それは次のように監督が書いているからだ。 「(前略)なぜ少年は妹たちを捨てて家を出てしまわなかったのだろうか? 父に、そして母に捨てられた彼が、なぜ妹たちを捨てずに「家族」を守ろうと必死になったのか?児童福祉センターに保護された妹は『お兄ちゃんはやさしかった。お母さんよりもいっぱいご飯を食べさせてくれた』と語っている。この一言をきっかけに僕の中に芽ばえていた疑問は想像の羽根を広げていった。確かにこの不幸な事件は母親の無責任さが生んだものであることには違いない。しかし、彼女がひとりで子供を産み、曲がりなりにも育ててきたのだということも又動かしようのない事実である。(中略)…もし母がただヒステリックに子供達に暴力を繰り返すような存在だったとしたら、長兄も同様に妹たちに接したのではないか。彼ら母子の間には少なくとも報道からはうかがい知ることの出来ないある豊かな関係が築かれていた時期もあったのではないだろうか…。」(演出ノート/是枝祐和) なお同じく監督は、「彼女(=母親 *筆者注)を鬼と呼ぶならば、どこかに存在しているはずの子供たちの4人の父親は何と呼ばれるべきなのか?」とも書いていますがまさしくその通りで、これは歴史の初めから生殖と出産に関する非対称性=性差に由来する不平等であり、これは厳しく告発しなければならないと私も思うのですが、母親もやはり罪は避けられないと思うのです。「ある豊かな関係が築かれていた時期もあったのではないだろうか」と言いますが、まさしくそうであるからこそ多くの児童虐待事件において被害者の少年少女たちが事件後も苦しんでいることを監督はご存知でないのか? この事件は徹底的に最初から児童虐待事件であり、それは、長男が母親の洗脳によって一番の被害者である末妹の死までも長男に自分の罪だと思わせてしまい、これを隠蔽しようとさせるほどすさまじい虐待だったのです。 この事件はフイリピンの一般家庭に見られる問題にも共通しています。すなわち生存の責任を取れないにもかかわらず産んでしまう母親の未熟さです。父親の無責任さももちろんですが、母親の場合はその子供たちを洗脳によって自分が子供たちを食わせていくことが出来ないという責任を子供達自身に転化してしまうので罪が重い。またこれを国家が奨励してしまう欺瞞の問題もあるのですがこれはマブさんに任せといて、ここでは以上のように、映画が無意識的に切り捨ててしまった一段高いレベルにある母親と長男のフェアでない共犯関係について指摘するにとどめておきます。 また細かいことですが、リアルでないと思ったことは他でも、たとえば兄弟を助けようとした外部の人間、いじめられっこの女子中学生が、お金を上げるために援助交際をする部分があまりに類型的なので私は笑ってしまいました。ここで援助交際をさせた監督の狙いは分かりますが、逆に狙っているからこそウソ臭くなってしまいます。ここは学校でカンパを集めた、とかにしたほうがリアルだった。 また、映画中で、コンビニの人から福祉事務所かどこかに行ったらどうかと薦められて、長男が、そうしたら4人一緒で暮らせなくなる、前もそういうことがあって大変だった、と答えたのですが、ここが重要です。このわけの分からない価値観、死んでもいいから離れたくない、ということでしょうか。この感覚は長男のエゴであるのは間違いないのですが、これが賞賛される風土というものが明らかにありそれは「一家心中」という犯罪(以外なにものでもない行為)を引き起こす原因にもなりうるものです。この価値観、風土を仮に「家族的自我拡大妄想」と名づけましょう。実はこの因習と真っ向から戦った人がいます。それも2千年以上前にです。 「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイによる福音書書 第10章34~39節) この部分に結構、キリスト教系の方はつまずく部分らしいです。いろいろ研究もなされていますが、私が思うに、「家族的自我拡大妄想」を断ち切らなければマズいとイエスは考えたのでしょう。ここから長くなりそうなので今回はここまでにしますが、私が思うに、例えば人間が生きるためには他者と関わらなければならない、農耕や狩猟をするのにも家族の外にでて努力しないと生きていけない、ということです。そこから「血」以外の関係が生まれてきてます。友情から果ては男女間の深い関係が生まれるのです。子孫を残すためにも我々は他者と交わらなければなりません。これが出来ない共同体は滅びる以外にないのです。民族として強くなるためには家族を捨てる強さを肯定する思想が必要ではないでしょうか。フイリピンにはそれが皆無だと私は思うにですが、どうでしょうか。 『誰も知らない』はそのあたりの欺瞞、つまり家族愛の功罪に製作者が無自覚なような気がしてしまい私はいまいち乗れなかったのです。 ま、以上が私がこの映画で感じたことを大急ぎでまとめたものです。
全ての諍いの根源になるのが、この「家族愛」であると、捉えております。いかがでしょうか?
ピンとは外れているかもしれませんが、幼少の時代に、両親が突然いなくなったyon君のBlogです。 リアルですよ。 http://yon.ameblo.jp/?bid=yon (2005.03.15 13:39:56)
Gianさん
>全ての諍いの根源になるのが、この「家族愛」であると、捉えております。いかがでしょうか? いやー、、どうでしょうか。「全て」と捕らえるとアナーキズムに近くなるようで抵抗ありますが、、。 >ピンとは外れているかもしれませんが、幼少の時代に、両親が突然いなくなったyon君のBlogです。 >リアルですよ。 そのようですね。まだ全体を把握するほど読めてないので感想はまたの機会にします。 ありがとうございます。 > http://yon.ameblo.jp/?bid=yon ----- (2005.03.16 09:30:42)
拙いながらも、小説を書いております。TB失礼致します。(2005.04.06 20:53:18)
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