12年前の2月の第一週の日曜日であった平成12年の2月6日(日)に、私は泉佐野市議会議員の補欠選挙で初当選させていただきました。定数3に対して10人が立候補するという凄まじい激戦で、5,548票(2位)いただき、政治の世界の第一歩を踏み出しました。
その時の泉佐野市は、大阪府知事選挙、大阪府議会議員補欠選挙、泉佐野市長選挙、泉佐野市議会議員補欠選挙の4つの選挙が一度におこなわれた日でした。現職の向江市長に対して、新人の前市議会議員であった新田谷候補が挑むという市長選挙で、新田谷市政がスタートした選挙でもありました。
新田谷市長は、その時の選挙で首長の多選禁止を掲げていましたので、3期12年以上はしないとの公約でもありました。それから12年という月日が流れましたので、本来ならば、この2月の第一週の日曜日あたりに新田谷市長の任期満了による市長選挙がおこなわれる予定でした。
私自身も、4度目の市議会議員選挙に当選させていただいてから、この2月の第一週の日曜日あたりにおこなわれるであろう市長選挙を本格的に意識し始めたのが正直なところです。
しかしながら12年前の選挙で同じく当選されました大阪府議会議員の山下清次先生(自由民主党)に新田谷市長が大阪維新の会から府議会議員選挙で挑むということになり、市長辞職に伴う市長選挙が昨年4月の統一地方選挙の後半でおこなわれ、現在、私が市長の職に就かせていただいています。
新田谷市長が辞職したきっかけは、橋下大阪府知事(当時)の登場でした。橋下知事からの強い要請で市長職を辞して府議会議員選挙に出馬しました。その橋下現大阪市長からの依頼で私は大阪市の区長公募の選考委員となり、現在、論文審査による一次選考をしております。
人の一生、運命、とりわけ政治の世界というのは、色々なめぐり合わせや人と人との縁、そして様々な機会によって、複雑に絡み合い、予期せぬことを次々と生み出していくんだなあということを、つくづく感じている今日この頃であります。
しかしながら今回のブログで一番、お伝えしたいことは、この12年間、私を本当に励まし、力強く支えてくれました全ての方々に心の底から深く感謝を申し上げ、また引き続いてのご支援、ご協力を心からお願いを申し上げます、ということです。本当にありがとうございました。