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★一生涯保証付・一点もの★[直筆サイン入スチール写真] (ローマの休日) オードリー・ヘプバーン オードリー・ヘプバーン、彼女を初めて見たときは清新な衝撃だった。知的で可愛くて高貴で、その輝くばかりの姿にたった一度で”虜”になってしまった。確か私が高校2年の年である。 「ローマの休日」を見終わったとき、私は映画館のシートから立てなかった。朝から夜の最終回まで何度アン王女に拝謁したことだろう。外に出て星空を見上げて感動を反芻しながら歩いたのを覚えている。 1929年5月4日、オードリーはベルギーの首都ブリュッセルで生まれた。アイルランド系イギリス人貿易商の父とオランダの男爵孫娘との間に生まれ、ロンドンでバレリーナを志し、バレエ学校に入学した。 バレエ学校在学中、イギリス映画会社の目にとまり、端役から準主役で6本の映画に出た。どれも全く話題にもならなかった作品だが、ロケ中の彼女に引かれたのが、女流作家のコレットだった。 「私のジジをみつけたわ」と彼女は叫んだそうだ。オードリーは新しいブロードウェイの舞台劇「ジジ」の主役に抜擢され、大成功。 それを目にしたウイリアム・ワイラー監督が「ローマの休日」のヒロインにキャメラ・テストし、王女役に決定した。 「若さの化身だ。王女そのものだ! あっという間に、世界中が彼女に恋してしまうだろう」--撮影が終り、ラッシュを見たハリウッドのベテラン監督は、感動のあまり涙をおさえることができなかった、そうである。監督が涙を見せる、よほどのことだったのだろう。 私事だが、日活時代に私はそんな場面にぶつかったことは一度もない。悲恋映画でもである。 かくして「ローマの休日」は監督の予言通り、世界中を席巻した。”ヘップバーン旋風”は世界を駆け巡ったのである。そして、アカデミー主演女優賞を何と一発でしとめたのだ。 オードリー・ヘプバーン スタイル 日本でも”王女さま”の人気は物凄く、有楽町の日比谷劇場はずらりと並ぶ行列の若い女性が申し合わせたように”ヘプバーン・カット”の髪型だったそうだ。1週目に観客7万人(通常は約3万人)を動員したという。 かくしてシンデレラ・ストーリーが誕生、続く「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「昼下がりの情事」「パリの恋人」と次々にヒットを飛ばした。 更に話題を呼んだ「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」「シャレード」など名作、傑作が絶えなかった。 彼女がジバンシーのミューズであった事は有名。作中の彼女の衣装は全てジバンシーが手がけている。 1954年に俳優のメル・ファーラーと結婚、息子ショーンが生まれた。メルとは結局、離婚した。そして二人目の精神科医と再婚したが一児を儲けて離婚。 1993年1月20日、63歳でスイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村で天国への道を辿った。 まだ若すぎる死であったといえよう。 2009年現在、アカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞を全て獲得した9名の中の一人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.09.10 12:20:31
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