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2012年07月30日
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 エピローグ (7)

カテゴリ:カテゴリ未分類


平成4年(1992年)3月 に 定年退職 してから、20年以上が過ぎました。平成11年(1999年) に 京都 へ行ってからも10数年が経ちました。年齢も 85歳 間近 になりました。その間、私 にも 日本 にも良いことはあまりなかった、と思います。

私の場合は、平成11年(1999年) の京都旅行の年の秋に 腹腔内腫瘍 が見つかり、入院して 開腹手術、またその3年後に、別の箇所の 良性腫瘍 で入院手術、その間に 膝痛 も起こって、旅行も出来なくなりました。それで、パソコン の扱いを習得して、楽しむことを始めました。

私は 老年者 ですから、これらの身体の障害の起こるのは仕方のないことですが、先進国 日本 も良くない事が続きました。

天災や事件としては、 香川県大渇水松本サリン事件阪神淡路大震災地下鉄サリン事件新潟県地震、そして 東日本大震災 と、大津波による 原子力発電所損壊・放射能汚染、などなど。

政治については、自民党 の長期政権が平成5年(1993年)の選挙に敗れ、日本新党 の 細川内閣 にとって代わられましたが、細川政権 も1年とは持たず、再び 自民党政権 に戻り、10年ほど続きました。それがまた、民主党 に政権を奪われて、今にいたっています。



             ブログ日の丸.jpg


その間、どの政権も 国家財政 を建て直しできず、政権維持のためにバラマキを続け、今や 日本国財政累積赤字、つまり 「国の借金」 は 千兆円 を超えています。この先、日本経済と国民の暮らし は、いったいどうなるのでしょうか ・・・・・。

さて、2年あまり続けてきた、私の ブログチューさんの今昔ばなし」 も、昭和3年 のころのことから書き始めて、今の時代 に来てしまいました。現在のことは、若い方々もよくご存知のことばかり。、私の  想い出日記  もそろそろ終わりにしたいと思います。

ブログは、 「始めのころに書いた箇所が見にくい、面倒だ」 と、よく言われます。それで、この ブログ を、私の ホームページ に組み込んで、見ていただくことにしました。

このブログを、書き初めの 昭和3年 から 最終ページまで、ホームページ 用 に改訂し、内容も書き加えて、公開しています。  目次 から、どのページでも見られます。

  ホームページアドレスは  http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55


     題 名 は   「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド


なお、このエピローグ以後のことは、 ホームページ  の方に書いていますので、そちらでご覧ください。   

永い間、私のブログをご覧いただき、コメントも数々頂戴して、ありがとうございました。この ブログ は、このまま置いておきます。
私の寿命があって体力が続くようでしたら、また テーマ を替えて、新しい ブログ を書き始めたいと思っています。

では、最後に、皆々様のご健勝をお祈りいたします








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最終更新日  2013年01月15日 08時46分30秒
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2012年07月25日

 退職後の京都旅行(2)・・・故郷の町よさらば! (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

平成11年(1999年)3月、若いときから引き立てていただいた先輩・TM先生米寿祝賀会 に出席のため 京都 へ出かけました。

この年の2年前、顔に異物ができて、診断の結果、皮膚がん と分かりました。すぐに手術を受けて、患部を切除してもらいました。入院はせず、通院で事後の処置と追加観察を続けましたが、自分ももうこんなものができる年代に入ったかと感しました。

兄姉も、みな世を去り、私の体にも異物ができるようになったことから、京都 に来るのも終わりかもしれない、との思いがしました。京都 も、繁華なところは以前よりも美しくなったなと思っていましたが、昔を知る者としては、ずいぶん派手なけばけばしい街になったな、とも感じていました。

以前から、京都 へ来て帰る日には、円山公園 のなかの料理店で、昼食をとるようにしていました。この店は公園内の奥の南端にあって、その南側には長い白い土塀が続いています。土塀には狭い入口があって、一歩南へ入れば、東大谷本廟 の 墓地。東山 の中腹に見渡すかぎり 墓石また墓石。私の姉二人 もここに眠っています。

この1枚の土塀を隔てて、こちら側 は、桜が咲き観光客のざわめきがにぎやかな、この世の世界。そして、あちら側 は、この世のつとめを終えた人たちの眠る、静寂安楽 の世界。私はここへ来るとき、いつもその思いがしました。年とってからはなおさらです。


         長楽寺門前
                        長楽寺門前

この境界の公園側を奥へ登っていくと、お寺があります。名は 長楽寺。小さいお寺ですが、歴史は古く、源平合戦 で敗れて都へ連れ戻された、平清盛 の娘・中宮徳子 (建礼門院) は、ここで落飾したと伝えられています。


       安徳天皇遺品
                        安徳天皇遺品


       崇徳上皇念持仏
                       崇徳上皇念持仏

お寺には、安徳天皇崇徳上皇 の遺品が今も残されています。最奥には 鐘楼 があって、遺品を拝観したものは、鐘を突いてもよいということでした。この釣鐘は、まさに “祇園精舎の鐘” 。突き鳴らす鐘の音は “諸行無常” と響いているように聞こえました。


         長楽寺の鐘を突く妻                                  
                         長楽寺の鐘を突く妻






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最終更新日  2012年07月25日 14時39分43秒
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2012年07月18日

 退職後の京都旅行(1) (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

停年退職後、京都へは毎年行っていました。私も妻も永く京都に住んでいましたから、たいていのところは見ていますが、その後公開するようになったところを見たり、まだ訪れていない店で食事をしたりしました。

まずは墓参。私の両親兄姉の墓は東山の西大谷の最奧、清水寺に近いところにあります。以前は静かな場所でしたが、近くの道路が、近ごろは “ちゃわん坂” と言うようになり、観光客の声が聞こえるようになりました。


         大谷本廟(西大谷)
                   東山・大谷本廟(西大谷)入口

東山の高台寺も観覧できるようになって、豊臣秀吉の妻・高台院の遺品や高台寺蒔絵などを見ました。


       高台寺
                          高台寺


有名料理店のうち、七条大和大路近くの「わらじや」で、名物の “うぞうすい” を食べました。

この店は、私が通学した小学校の学区内にあり、創業4百年といわれています。すぐ東の 国立博物館 一帯が、昔、方広寺大仏 の境内だったことから、店の名は、この場所で 豊臣秀吉 がわらじを脱いで休息した、との故事からというそうです。店先には、大きなわらじが吊るしてあります。

この店は戦前、私の店の得意先で、私も小学生のころ何回か配達に行ったことがありますが、客になって料理を食べたことはまだありませんでした。この店の名物は “うぞうすい” です。“うぞうすい”というのは、鰻の骨を抜き、ほかの具も加えて雑炊仕立てにしたものです。


               うぞうすいを食べる妻
                       うぞうすいを食べる妻

わらじや」 の帰りに、通学した小学校やその付近一帯を歩いて見ました。60年昔と大きくは変わっていないな、という印象でした。自分の年齢も70歳に近くなり、将来よりも過ぎた昔を振り返ることが多くなっていました。






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最終更新日  2012年07月18日 14時30分28秒
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2012年07月13日

 著書出版 (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

停年後の楽しみに、旅行とともに、日本の古典文学書朗読を始めたことを、6月18日のブログに書きました。

古事記から読み始めて萬葉集に進みましたが、こんな古典の中にも野菜が時々出てくる、それも食べ物としてだけでなく、物語や歌での情景表現の材料としても使われていることに興味を持ちました。

それで一旦初めに戻って、野菜についての記載のある箇所に、ラベルを付けていくことにしました。

4年ほどかかった古典文学書朗読を終えてから、もう一度、野菜の登場する箇所を読み返しました。そのころ購読していて、ときどき投稿もしていた新聞社にこの話をしたら、取材に行くと言って記者がやって来ました。

それからしばらくして、この新聞の文化欄に   「古典文学に野菜いっぱい」  との題で写真のような記事を掲載してくれました。


             「古典文学に野菜いっぱい」の新聞記事
                 古典文学に野菜いっぱい」の新聞記事

これが掲載されると、 「記事を読んだ」 といって古い友人から手紙が来たり、他の 新聞社 からの取材を受けたりしました。また、これをまとめて本にしろと、いくつかの 出版社 から誘いがありました。

今までも同じ専門の先輩たちが大昔の野菜を調べて著書を出していますが、どれも野菜の渡来・来歴・昔の食生活を記録的に調べたものばかりでした。

私は、それよりも、野菜がそれぞれの古典文学作品での、季節の表現や情景描写や比喩などの材料としての使われ方に重きを置いて、著書を書いてみようと考えました。

ただ、今まで、論文調や教科書式の固い文章ばかり書いてきた癖が付いているので、それを直して、小説風の砕けた文体で書くのに苦労しました。それにモノクロながら野菜挿絵も描いたので、原稿の出來上がりまで1年近くかかってしまいました。

単行本にしてくれるという大阪の出版社を選び、数回の校正を経て、平成10年(1998年)8月、  「古典文学と野菜」  の書名で刊行。この種の本は珍しいと思われたのか、この年の日本図書館協会選定図書に選ばれました。おもに各地の図書館が買ってくれたようです。


       著書「古典文学と野菜」
                     著書「古典文学と野菜」

停年退職後、何か仕事らしいことができたらと思っていましたが、あとに残るものができたのは、ほんとに嬉しいことでした。気がつくと、私の60歳代も終わりになっていました。








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最終更新日  2012年07月13日 16時54分47秒
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2012年07月07日

 停年旅行(3)・・・先祖の地へ (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

平成6年(1994年)5月金沢観光旅行に続いて、隣の福井県に入り、父の出身地を10年余ぶりに訪れました。峠を越せば石川県という山間地です。昔はひとつの村でしたが、今は合併して、坂井市の一地区になっています。夏は涼しいのですが、冬は豪雪の地です。

田畑は少なく、林業が主体の山村。以前は交通機関がなく、電車の終点から2時間ほども歩かねばなりませんでした。私どもは芦原温泉駅からタクシーに乗り、川沿いの道を通って地区に入りました。私は10回目、妻は2回目の訪問です。

着いて驚いたことには、地区の中央を貫通して幅8メートルほどの道路ができていました。国道364号線だそうで、いずれは石川県の山中温泉へ延伸するとの話でした。旧村道と交わるところが交差点になって、信号機が付いているのを見て、時代も変わったなと思いました。


         父の郷里の家
                       父の郷里の家

人一倍元気だった当主の従兄弟も、70歳になって年老いた感じでしたが、従兄弟の孫3人が中学生、小学生となってにぎやかでした。

先祖代々の墓に参り、無事に停年まで勤め終えられたことを報告しました。地区に住んでいた伯父や伯母たちもすでに亡く、これらの親類の墓にも詣で、各家へも訪れて仏壇を拝みました。

自分たちも高年者となり、再びこの地を訪れることが難しいだろうと思い、地区の中をあらためてよく見て回りました。父の実家のすぐそばを流れる川をまたいで、国道に新しく橋が架けられていました。名付けて “ひろせばし” 。


         ひろせばし
                         ひろせばし

地区を流れる川は、このあたりで浅く広がっているので、昔から この付近一帯を 広瀬 と呼んでいたようです。

父の実家で一泊した翌日、別れを惜しみながら、タクシーで新しい国道364号を南へトンネルを抜け、坂道を降り,九頭竜川を渡って永平寺へ。


         永平寺
                           永平寺

永平寺は、開祖・道元(どうげん)禅師が、京都の宗派争いを避けて、北陸のこの僻地を選び、ここに禪の修行道場を開いて800年、今も、京都の観光地化した寺院と違って、曹洞宗(そうとうしゅう)のきびしい禪の修行場としての気風が感じられる寺でした。

この年の北陸行きは、金沢から始めて、父祖の地を訪れて先祖の霊を拝み、永平寺で真の仏道の修行場を見る良い旅でした。






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最終更新日  2012年07月07日 16時44分02秒
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2012年06月29日

 停年旅行(2)・・・金沢へ (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

鹿児島 に続く、妻の希望旅行先の 金沢 へは、平成6年(1994年)5月 に行きました。最初に 石川美術館 へ、国宝の 野々村仁清作・雉の香炉 を見に行きました。美術館 には 九谷焼 の名品もたくさん展示してありました。

美術館を出て、加賀友禅金箔作りの工房・ 九谷焼 の店などを見て回り、夕食は 加賀懐石料理 を賞味しました。

翌日、観光タクシーで、名所を見て回りました。金沢 は、前田家 百万石 の城下町。街路は城を取り巻くように通っていたと思います。


              尾山神社
                         尾山神社

まず 藩祖 前田利家 を祭る 尾山神社。ついで 卯辰山公園 に登って 金沢 の町並みを見下ろし、市街から離れて、加賀江戸村 という江戸時代の家屋などを再現したところを見ました。


       加賀江戸村
                         加賀江戸村


       金沢城・石川門
                         金沢城・石川門

金沢市街 に戻って、泉鏡花(すずみ きょうか) の旧宅や室生犀星(むろおさいせい) の住居跡を訪れたあと、大通りの裏側に残っている昔の 武家屋敷 の町並みを歩いてから、金沢城・石川門 の前でタクシーを降り、お城を眺めながら昼食をとって 兼六公園 に入りました。

兼六公園日本三名園 の随一というだけあって、面積は広く、樹木や池・石の配置もすぐれていて、高台にあるために展望にも恵まれた美しい公園です。高台にあるのに水が豊富なのは、作庭時に、遠くの水源からたくみに水を引く工事がなされたから、と聞きました。


       兼六公園にて
                         兼六公園にて

金沢 は街路がやや複雑ながら、落ち着いた良い街でした。私どもは、金沢 をあとに、福井県の 先祖の地 へと向かいました。







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最終更新日  2012年06月29日 15時04分14秒
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2012年06月25日

 停年旅行(1)・・・・・・鹿児島、霧島へ (1)

カテゴリ:カテゴリ未分類

停年退職 した平成4年(1992年)5月京都へ行き、両親・兄姉の墓 に参って、退職の報告 をしました。私も妻も実家が 京都市内 にあり、墓地の場所は離れていますが、どちらも 東山山ろく です。

洛西・等持院山内 の、若いときに将来の進路を示してもらった K農場長 の墓にもお参りしました。

さて、

退職して毎日が休日になったのだから、海外旅行をしよう。ヨーロッパでもアメリカでも連れて行くよ

と妻に持ちかけたところ、

   「外国へは行きたくない。それより国内でまだ行ったことのないところを見たい

との返事。それで、まずは 鹿児島 へ行くことになりました。


       鹿児島空港      >
                         鹿児島空港

平成4年(1992年)秋。そのころはまだ、高松 から 鹿児島 への直行便はなく、大阪空港 で乗り換えて 鹿児島空港 着。始めの宿の、霧島高原林田温泉ホテル へ入りました。


       林田温泉ホテル
                        林田温泉ホテル

ここに泊まって、えびの高原霧島高原霧島神宮 などを観光。韓国岳高千穂の峰新燃(しんもえ) もよく見えました。


       霧島高原
                          霧島高原


       霧島神宮
                          霧島神宮

霧島 から 鹿児島市内 の宿に移って、フェリーで 櫻島 に渡り、島を一周。南岳 はときどき轟音とともに灰を吹き上げていました。


       櫻島の噴煙
                          櫻島の噴煙

市内では、大久保利通・西郷隆盛・大山巌ら、明治 を創った偉人たちの 屋敷跡 を見ました。ただ、山本権兵衛 の家のあとは病院の中、東郷平八郎 のは高校の敷地内になって、小さい標識が立っているだけなのが残念でした。日露戦争での日本海海戦 の大勝利は、この二人のおかげなのに。


       鶴丸城址で
                          鶴丸城址で


       仙巌園御殿
                         仙巌園御殿

鶴丸城址城山南州墓地仙巌園(磯庭園) も見て回りました。仙巌園御殿 でお茶をいただいたときに出たお菓子・飛龍頭 はとても美味しかったので、その後、毎年注文して送ってもらっています。

鹿児島旅行。 妻は初めてでしたが、私は3度目。でも 鹿児島 は観るところが多く変化のある街で、何回行っても良いところです。妻も楽しんでいました。






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最終更新日  2012年06月25日 12時36分55秒
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2012年06月18日

 停年退職・・・働く人生終る・・・家事と古典朗読 (2)

カテゴリ:カテゴリ未分類


平成4年(1992年)3月31日、私は63歳定年退職 の日を迎えました。昭和27年(1952年)4月1日に前の勤務先・KF大学に就職してから、ちょうど40年間の “働く人生” でした。

退職前に、阪神のある女子大学から 「園芸学の教授として来てくれないか」 と頼まれて、妻に話したところ、

単身赴任までして、第二の勤めなどしないでください。年金で何とか生活して行けるはずです。退職後は、今まで私がしてきた家事を分担してもらいます

との返事。この 鶴の一声 で、第二の勤めは、もったいないが断ることになりました。

4月になって、後進の人や卒業生たちが、高松市内のホテルで “退官祝賀会” を開いてくれました。県内農業団体役員・学長・学部の教官・卒業生の方々に加えて、前の勤務先の卒業生の人まで参加して、退職 を祝っていただきました。


         退官祝賀会での挨拶
                   退官祝賀会での挨拶とお礼

今までに教わった先生方の退職祝賀会に何回も出席してきましたが、とうとう自分が祝ってもらって送り出される日が来たかと感無量でした。妻も並んで出席して、祝辞をいただくやら、花束の贈呈を受けるやら、大変嬉しくありがたい日でした。


         花束を贈られる妻
                       花束を贈られる妻

         退官祝賀会を終えて
                      退官祝賀会を終えて

退官祝賀会 のあと、出席してくださった人たちや、祝い金を頂戴した人たちに、丁重にお礼状を書き送りました。

まだまだ勤められるのに・・・」 との気もありましたが、大学同級27人のうち、5人もの級友が停年を待たずに亡くなっていることを思えば、元気に停年を迎えられたことを感謝しなけれはならないのでしょう。

まだ身体は別段どこも故障はなく、人並みに動けるので、家庭菜園庭の管理 は在職時よりももっと丁寧に、それに加えて家事に励むことになりました。家事と言ってもいろいろあって、掃除・洗濯物干し・炊事・買い物 などなど、きちぅめんな妻の指導 ? を受けてやり始めました。

ただ、一方では、毎日こんな日常的なことばかりでは ! との思いもあって、妻とともにできる楽しみのひと時を作ろうと、毎晩、日本の古典文学 を読むことにしました。

古典文学 は今までにも断片的に読んできましたが、時間ができたのだからと、古い 「古事記」 から時代を追って順に読みくだることにしました。退官祝賀会 で頂戴した記念品料で、大手出版社が刊行している 日本古典文学シリーズ を何組か買って読み始めました。


            日本古典文学書の一部
                     日本古典文学書の一部

読む といっても古文ですから、私が朗読し、妻は聴き役です。本には現代語訳も付いていますが、なるべく見ないで、「古語辞典」で調べるように努めました。

日本古典文学 にも、「源氏物語」のように半年もかかる長編もあれば、「方丈記」のように2~3日で読み終わる短いものもあります。

毎晩1時間あまりの朗読。主なもの60篇ほどを読み終わるのに4年近くかかりましたが、二人にとってとても楽しい時間の連続でした。
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このブログを、書き初めの 昭和3年 から 最終ページまで、ホームページ 用 に改訂し、内容も書き加えて、公開しています。  目次 から、どのページでも見られます。

  ホームページアドレスは  http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55


     題 名 は   「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド


なお、このエピローグ以後のことは、 ホームページ  の方に書いていますので、そちらでご覧ください







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最終更新日  2013年01月21日 13時11分01秒
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2012年06月09日

 ソビエト連邦消滅・・・共産主義国総本山の崩壊

カテゴリ:カテゴリ未分類

人間社会に転変は付き物。それは、個人にも集団にも国家にも、やってきます。日本も、昭和 から 平成 になり、経済成長神話 がバブル化して崩壊しました。

第二次世界大戦 終結から40年。アメリカ を盟主とする 自由主義陣営 と、ソ連(ソビエト連邦)を中心とする 共産主義陣営 とに別れて、冷戦状態を続けてきた世界にも、双方に変化が起こってきました。

共産主義 は、19世紀の思想家・ユダヤ系ドイツ人の カール・マルクス が唱えた、将来あるべき社会の姿でした。

当時、貴族や資本家と労働者や農民との社会的経済的格差はあまりにも大きく、いずれは変革を経て平等となり、富を共有する社会となるべきである・・・。これが マルクス主義 といわれる 理想的社会形態・国家の体制 とされました。

貴族や資本家に見下げられ搾取されている(と思っている)無産の労働者や農民たちは、この思想に共鳴しました。そして、その変革が革命という形で最初に起こったのが ロシア でした。


           マルクス・レーニン・スターリン

第一次世界大戦 末期、レーニン 率いる無産階級の力によって革命が起こり、帝政ロシア は崩壊。ロシア皇帝・ニコライ2世 は処刑され、貴族たちは亡命。レーニン 死去後は、権力闘争に打ち勝った スターリン が独裁体制を確立し、周辺諸国を併合して ソビエト連邦 を形成しました。

第二次世界大戦 で、ソ連ナチス・ドイツ軍 に国土深く侵攻されましたが、アメリカ の援助を得てこれを押し返し、ついに勝利。中立条約を結んでいた 日本 にも宣戦して、日本領土を占領しました。

第二次世界大戦後 は 東欧諸国 を勢力下におき、アメリカ を中心とする 自由主義諸国 と敵対して、鉄のカーテン と呼ばれる境界を造りました。朝鮮戦争・ベトナム戦争は、実質上 ソ連・中国対アメリカ の戦争でした。

スターリン 死去後に権力を掌握した フルシチョフ は、キューバ に ミサイル基地 を作るなどして、互いに原爆・ミサイル を保持しながらの 東西冷戦 は、およそ40年も続きました。

しかし 冷戦継続 によって、統制経済下の ソ連 は国家予算の大半が軍事費に消え、民製品の生産や改良が大きく遅れて、国民の不満が次第に高まりました。

フルシチョフ を失脚させた ブレジネフ 死去後の ソ連 は、強い独裁的指導者を欠き、東欧諸国 の自由化要求も強まりました。ソ連 最後の指導者となった ゴルバチョフ は、ペレストロイカ(再構築の意) を唱えましたが、もはや自由化への圧力を抑えることはできなかったようです。


                 ゴルバチョフ
                       ゴルバチョフ

1989年(平成元年)、ポーランド が複数政党による選挙によって民主化を果たし、ハンガリー・ブルガリア が続きました。

ベルリンの壁崩壊 によって チェコスロバキア で革命が起こり、ブッシュ・アメリカ大統領ゴルバチョフ との マルタ会談 冷戦終結 が決まると、ルーマニア でも革命が起こりました。

ソ連 内でも次第に自由化への動きが広がりました。それを先導したのが エリツィン です。ソ連 の正式名称は、“ソビエト社会主義共和国連邦”。その中で最大かつ中心となっていたのが ロシア共和国 です。


                   エリツィン
                        エリツィン

エリツィン は、ソ連共産党 の中での改革派・ゴルバチョフ のもとで頭角を現してきましたが、ついに 共産党 を離党し、1991年(平成3年)6月 ロシア共和国 大統領選挙 に出馬して、大勝しました。ソ連国民も、長い 共産党支配 からの脱却を望んでいたのです。

これを見た ヤナーエフ・ソ連副大統領 らの ソ連共産党守旧派 は、同年8月19日に国家権力奪取の クーデター を起こしました。守旧派 は、当時クリミヤ半島にいた ゴルバチョフ を軟禁し、軍を動員して モスクワ 市内の重要拠点を占拠しました。

しかし ソ連国民 は各地で抵抗し、軍の大部分も 守旧派 に応ぜず、守旧派 に命じられて出動した戦車部隊なども エリツィン の説得によって寝返り、クーデター は失敗しました。クーデター 首謀者たちは逮捕または国外逃亡。エリツィン は勝利を宣言しました。


         戦車の上で演説するエリツィン
                   戦車の上で演説するエリツィン

この クーデター事件 によって、ゴルバチョフ の権威も失墜し、ソ連共産党書記長 を辞任。ソ連最高会議 は 共産党 の活動全面停止を決定。ソ連共産党 は廃止されました。次いで バルト3国 が独立。ウクライナ などの ソ連邦諸国 も連邦離脱を決定。

その結果、1991年(平成3年)12月25日に、ゴルバチョフソビエト連邦大統領 の辞任を表明し、東側陣営共産主義諸国 の 総本山・ソビエト連邦 はついに崩壊。クレムリン に翻っていた “鎌と鎚の赤旗” は降ろされ、ロシア連邦 の “白・青・赤の三色旗” が掲げられました。


       ブッシュ・アメリカ大統領 とエリツィン・ロシア大統領 との握手
        ブッシュ・アメリカ大統領 とエリツィン・ロシア大統領 との握手(1993年)

マルクス によって理想の国家体制と理論付けられ、レーニン とその後継者たちによって実践された 共産主義体制 は、70年もの壮大な社会実験を経て、労働者の 理想国家 を実現することなく、独裁下の 全体主義国家 のまま終焉を迎えました。








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最終更新日  2012年06月09日 13時24分30秒
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2012年06月01日

 明仁天皇即位の礼・・・皇位継承を内外に宣言 (3)

カテゴリ:カテゴリ未分類

月が替わって、今回から2012年6月。いつも、私のブログ「チューさんの今昔ばなし」を見てくださって有難うございます。

このブログでは、昭和の初めから、私が見たり、聞いたり、体験したり、したことを、ほぼ年代順に書いています。今は、平成2年(1990年)のこと、私が60歳代に入ったころです。

このブログは、私の 想い出日記 ですが、同時に一庶民が体験し見てきた、日本国の移り変わり でもあります。

歳とった者には、もはや力はありませんが、国の盛衰、世の中の移り変わりは、充分に見てきました。過去を振り返りながら、資料を調べながら、さらに続けて行きたいと願っています。

            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

このブログを、書き初めの 昭和3年 から 最終ページまで、ホームページ 用 に改訂し、内容も書き加えて、公開しています。 目次 から、どのページでも見られます。

  ホームページアドレスは  http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55

     題 名 は   「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド


なお、エピローグ以後のことは、 ホームページ  の方に書いていますので、そちらでご覧ください。 このブログ各ページの画像や文章には著作権があります。無断転載転用はお断りします。

            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


平成2年(1990年)11月12日今上天皇即位の礼 の式典が東京の 皇居内 で執り行われました。また、即位の礼 のあとに 大嘗祭(だいじょうさい・おおなめまつり) も行なわれました。即位の礼 にかかわる一連の行事は、この年の1月の 期日奉告の儀 からすでに始められていました。

即位昭和天皇崩御 のときに行なわれているのですが、即位の礼 は、改めて 皇位継承 を内外に宣言する行事です。これを正式には “即位の礼・正殿の儀” というのだそうです。


              即位の礼の日の新聞記事
                    即位の礼の日の新聞記事

このときの 内閣総理大臣海部俊樹(かいふとしき)。 “即位の礼・正殿の儀” は、国事行為として、158カ国もの外国からの賓客を迎えて行なわれました。


                   海部俊樹首相
                        海部俊樹首相

新天皇 は、高御座(たかみくら) という特別の座に上り、新皇后 は、高御座 よりやや小さく飾りの少ない 御帳台(みちょうだい) という座に入ります。 高御座御帳台京都御所 に置いてあるのを空輸したそうです。


         高御座
                          高御座

高御座 に立った 天皇 は、皇位 に就いたことを内外に宣言。そののち 天皇 は参列者の祝福を受けます。今上天皇 のときは、海部首相天皇 の前に立って、万歳を三唱 しました。


         万歳を唱える海部首相
                     万歳を唱える海部首相

儀式を終えた 両陛下 は、束帯(そくたい) から 燕尾服(えんびふく) に、十二単衣(じゅうにひとえ) から 純白のドレス に着替えて、皇居正門 から 赤坂御所 まで パレード をされました。


         パレードに出発の両陛下
                     パレードに出発の両陛下

即位の礼・正殿の儀” から10日後の 平成2年(1990年)11月22日大嘗祭 が行なわれました。大嘗祭 というのは、毎年行なわれる 新嘗祭(にいなめさい) を、天皇即位式 の年だけとくに大掛かりにて、2日間にわたって行なわれる 皇室の公的行事 です。

新嘗祭 というのは、その年に収穫された新しい穀物を 天皇 が神に捧げ、天皇 自身も食する行事で、これが行なわれる11月23日は、現代では “勤労感謝の日” として、国民の祝日になっています。

この、即位式 の年にとくに行なわれる 大嘗祭 は、大和時代 から続いてきた皇室の伝統行事です。大嘗祭 を行なうために、数ヶ月前から 大嘗宮(だいじょうきゅう) というかなり大掛かりな建物が造られます。


         平成の大嘗宮
                       平成の大嘗宮

大嘗祭 の行事は、大嘗宮 の中で神代の昔に倣って、深夜に行なわれる日本神道の宗教色の濃いもののようですが、秘儀とされているために、詳しいことは分かりません。

即位の礼” は本来、京都御所 で行なわれる儀式とされ、大正天皇昭和天皇 も京都へ出向いて式を挙げましたが、時代も変わり、警備のこともあって、明仁天皇 の場合は、東京の皇居内で行なわれました。

こうした事情への配慮から、両陛下 はこの年の12月初めに、伊勢神宮神武天皇陵 に参拝のあと、京都に入って 孝明天皇陵明治天皇陵 に参拝し、京都御所 で茶会を開催されました。







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最終更新日  2013年01月17日 21時27分28秒
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