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昭和17年(1942年)後半、ガダルカナル島とニューギニア島で日本軍が苦戦しているころ、ヨーロッパ戦線でも、ソ連に攻め込んだドイツ軍の苦戦が始まっていました。
目標とした、モスクワ・レニングラード(現サンクトペテルブルグ)は陥落せず、ドイツ軍はボルガ川による軍需物資の補給路を遮断しようとして、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)に兵力を集め攻撃しました。 ドイツ軍の空爆に曝されるスターリングラード市街 ドイツ軍は、一時、スターリングラード市街の8割まで占拠しましたが、ソ連軍は頑強に抵抗し、街中を廃墟と化す市街戦が続きました。 スターリングラード勝利の旗を掲げるソ連兵 昭和18年(1943年)2月2日、スターリングラードのドイツ軍は、ついに降伏。総指揮官・パウルス元帥と生き残りのドイツ将兵9万6千人が捕虜となりました。捕虜たちの運命は残酷で、多くは病死や凍死、銃殺により死亡しました。 降伏して収容所に送られるドイツ兵 スターリングラード攻防戦による、ドイツ軍と枢軸国軍の戦死者は約30万人、ソ連軍は約50万人、現地の民間人の死者は20万人以上といわれます。 スターリングラードでの敗北を機に、ドイツ軍の士気は次第に衰え、東部の全戦線で後退し始めました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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