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2011年03月04日
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昭和21年(1946年)5月3日、戦争犯罪を裁く、極東国際軍事裁判が東京で始まりました。一般には東京裁判といいます。


         極東国際軍事裁判
                      極東国際軍事裁判

逮捕収監されたA級戦犯は、最初70名以上にものぼりましたが、取調べののち、半数以上が不起訴になりました。近衛文麿(元総理大臣 2011年2月21日のブログ参照)・本庄繁(陸軍大将)は、逮捕前に自決しました。

開廷前の4月29日に起訴された被告人は、次ぎの28名です。

元総理大臣 東条英機 小磯国昭 広田弘毅 平沼騏一郎
元大臣    松岡洋右 東郷茂徳 重光葵(以上3名・外務大臣) 賀屋興宣(大蔵大臣)
         木戸幸一(内大臣) 
陸軍軍人  畑俊六(元帥・陸軍大将)  荒木貞夫 松井石根 板垣征四郎 南次郎 
         梅津美治郎 土肥原賢二 木村兵太郎
(以上7名・陸軍大将)
        武藤章 佐藤賢了(以上2名・陸軍中将)  橋本欣五郎(陸軍大佐)
海軍軍人  永野修身(元帥・海軍大将) 嶋田繁太郎(海軍大将) 岡敬純(海軍中将)
外交官    大島浩(駐ドイツ大使) 白鳥敏夫(駐イタリア大使)
企画院総裁 鈴木貞一(陸軍中将) 星野直樹(官僚)
民間人    大川周明(思想家)


         極東国際軍事裁判 被告席
                   極東国際軍事裁判所の被告席

アメリカ国内では、アメリカに宣戦布告し、多数のアメリカ人を殺傷した、天皇・裕仁(ひろひと)を裁判にかけ、極刑に処すべし、との意見が、アメリカ国民の3割を占めていたといいます。

しかし、マッカーサーは、フィリピン在住が長く、若い日に日本に住んだこともあり、日本の国情や国民感情については、よく調べて知っていました。

マッカーサーは、昭和天皇を刑に処すよりも、占領支配に利用する方が得策と考えたようです。極東国際軍事裁判所キーナン主席検事は、ワシントンで、昭和天皇を訴追しないと言明しました。


           被告席の東条英機
                  極東国際軍事裁判での東条英機
                (画面中央、マイクを前に坐っている人物)


被告のうち、大川周明は精神障害と認められて訴追免除となり、松岡洋右永野修身は裁判中に病死したので、判決を受けたのは25名です。被告らのおもな罪状は、軍事力による世界支配の陰謀の協同謀議だといわれます。

裁判所の判事には、アメリカ・イギリス・中華民国・フランス・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・ソ連・イギリス領インド帝国 (現在のインド) から派遣された者がなりました。

ドイツのニュールンベルク裁判では、自国ドイツの法律家も裁く側に参加協力しましたが、日本では、弁護側のみの参加でした。

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極東国際軍事裁判は1年半続き、昭和23年(1948年)11月に判決が言い渡されました。判事のうち、インドの パール判事 は、長文の意見書を提出し、全員無罪を主張しましたが聴き入れられませんでした。

判決は次ぎのとおりでした。東条英機らに対する絞首刑は、昭和23年(1948年)12月23日に執行されました。起訴の日が4月29日(昭和天皇の誕生日)、死刑執行が12月23日(当時の皇太子の誕生日・今の天皇誕生日)というのは、何か意図があったのでしょうか。


  極東国際軍事裁判 判決

極東国際軍事裁判は、戦勝国が戦敗国を裁く裁判でした。戦勝国側の非戦闘員大量殺戮(さつりく)や、戦後の日本人捕虜連行と強制労働などの違法行為は、対象とされませんでした。 

 「勝てば官軍、負ければ賊」 という言葉そのものの裁判ではないか、という人もあります。

この裁判にかかった費用29億円は、日本が負担させられたと聞いています。

  






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最終更新日  2011年03月04日 12時16分38秒
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