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2012年01月04日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 

年が改まって、今回から2012年。いつも、私のブログ「チューさんの今昔ばなし」を見てくださって有難うございます。

今、私のブログは、昭和40年代前半のころを書いています。新年早々、殺伐な話を書かなければなりません。

昭和43年(1968年)、東京を中心に各大学で 学生運動 が急に活発になりました。どこの大学でも、日常的に、時の政府や大学の運営に批判的なグループがありました。

活動家の多くは左翼政党に属しているか、その共鳴者でしたが、中には政党色のない ノンセクトラジカル と呼ばれるグループもありました。彼らは自分たちで立て看板を作り、アジビラやポスターを貼り付けて各所に立てたり、その前で演説をしたりしました。

活動の内容は、学費値上げ反対学生会館の学生自主管理要求 などの学内問題もありましたが、反戦運動・反米行動 などの政治的活動もありました。

1960年代末から 学生運動 が過激化したのは、日本だけでなく、アメリカでは 「いちご白書」 で有名になったコロンビア大学の学生闘争のほか、フランス・イタリア・西ドイツなどでも、大学当局や政府に対する反対闘争が起こり、スチューデント・パワー と呼ばれました。

スチューデント・パワー と称する反対闘争は、そのころ続いていた、アメリカの ベトナム戦争介入反対運動 や、中国の 文化大革命 の影響があったと思います。

日本での 体制反対闘争 は、はじめは、それぞれの大学で、学費値上げ反対・医学部での研修医の身分保証要求・学生会館の学生自主運営要求 などから始まりました。それが団体交渉の中で、大学の体制攻撃や、ひいては政府の政策批判に、急速に広がりました。

それまでの日本の大学では、講座の 教授 に権限が集中し、教授 が構成員となる 教授会 が、学部の方針や人事などをすべて決めるのが普通でした。そして教授の中から選出される 各学部長 が、学長(または総長) を中心として、大学の重要事項を決めていました。

こうした大学の体制に対して、学生だけでなく、助教授(現・准教授) や 助手(現・助教)・研究員 などからも批判が起こり始めました。

学生の闘争は次第にエスカレートし、学長・学部長・教授 たちとの 大衆団交 から、授業放棄建物の占拠バリケード設置 などを始めました。こうした 学生闘争 は、またたく間に、国立・公立・私立を問わず、全国の大学に広がり、高校でも同じ動きが始まりました。

長時間の 大衆団交 で、事実上監禁状態に置かれた高年の 役職教授 たちは、心身の疲労から体調を崩す人が続出しました。

大学紛争 を主導した学生集団は、はじめは各大学の 学生自治会の連合体 “全日本学生自治会総連合(全学連) ”を母体とする “全学共闘会議(全共闘)”でしたが、思想や戦術の違いから、いくつにも分派しました。

おもな集団は、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)民青(日本民主青年同盟) などです。

この中でも先鋭化した学生たちは、大学の施設や建物を占拠して、ヘルメットをかぶり、手にゲバ棒(ゲバルト棒・ゲバルトはドイツ語のGewalt:暴力・権力の意) を持って立てこもり、退去を求める大学当局者に暴力を振るうようになりました。

ゲバ棒 の材料の主なものは、手で握れる太さの角材でしたが、中には鉄パイプを持つ者もいました。

そのなかで、主義主張の異なる学生の各派は、時には暴力をふるって、学生のグループ間で互いに争いあうこともありました。いわゆる “内ゲバ”です。

大学だけでは収拾がつかなくなって、学生の暴力排除を、警察にゆだねるところが出てきました。昭和40年代前半(1965年前後)の日本の若者の大学進学率は、まだ10%ほど。それで世間での大学生を見る眼もやさしいところがあり、警察も穏便に対応しようとしました。

ところが、日本大学岡山大学 で、コンクリートの投下や投石で、警察機動隊員 が殺傷される事態が生じ、学生間の 内ゲバ でも死傷者が出ました。このため、政府も警察も大学当局も対応を一変し、暴力学生の徹底排除 にかかりました。

その象徴的事件が、東京大学安田講堂攻防戦 です。安田講堂 は、安田財閥の創始者・安田善次郎 の寄付によって、大正14年(1925年)に竣工した講堂です。

東京大学では、昭和43年(1968年)1月から、医学部を皮切りに紛争が起こり、総長が 警察機動隊 の出動を要請して、いったんは 安田講堂 に立てこもった学生らを退去させました。

この 警察機動隊導入 がかえって学生たちの反発を招き、闘争は東京大学のほぼ全学部に広がりました。11月には総長や各学部長がそろって辞任。新たに 学長代行 となった 加藤一郎 は、大衆団交を重ね、一部学生の同調もあって、全学バリケード封鎖 は阻止しました。

しかし、あくまで闘争貫徹を唱える強硬派の学生たちは、安田講堂 の占拠を続け、そこに他大学からの集団も加わって立てこもりました。

年末に 加藤学長代行 は 文部大臣・坂田道太 と会談。文部大臣から 「現状のままでは入学試験中止」 との通告を受け、まもなく 東京大学の入学試験中止 が公表されました。


             安田講堂に立てこもる学生たちへの放水
              安田講堂に立てこもる学生たちへの放水
                 (YAGI GONTAのブログより引用)


昭和44年(1969年)1月総長となった 加藤一郎 は、あらためて警察に 機動隊出動 を要請。機動隊はバリケードを撤去し、1月18日から19日にかけて 安田講堂 に立てこもる集団に、放水や催涙弾などによる攻撃を実施したのち、講堂に突入して600名以上を逮捕しました。


           東京大学安田講堂の占拠排除を報じる新聞
             東京大学安田講堂の占拠排除を報じる新聞記事

大学での 学生闘争 はその後も続きましたが、この状態を憂えた時の与党・自民党は、幹事長・田中角栄 の議員立法の形で、国会に 「大学の運営に関する臨時措置法」 を提出し、この法案は、昭和44年(1969年)8月に成立しました。

当時の日本は いざなぎ景気 の最中。経済状況も社会情勢も至極順調なのに、大学だけが荒れていました。そのゆえに、一般の人の 大学過激派学生 を見る眼は、60年安保 のとき以上に冷ややかでした。

ただ、この 大学紛争 で、私の出身大学の 農学部長 だった SD教授 が、学生との 大衆団交 の結果、体調を崩し、持病の高血圧が進行して、半年後に亡くなりました。学生や後輩の面倒をよく見る立派な先生でした。こうした尊い犠牲もあったのです。

            * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

この 大学紛争 から十数年後、私は園芸学会の役職に就いて、会議などでたびたび 東京大学 へ行きました。安田講堂 へも行って見ましたが、1階の一部が事務室に使われていただけで、ほかは廃墟のような状態のままでした。

安田講堂 は、その後、昭和60年ごろから数年かけて改修され、今は元の姿に戻っています。


         現在の東京大学・安田講堂
                   現在の東京大学・安田講堂

大学紛争 で逮捕された学生たちの大部分は釈放されましたが、殺傷にかかわった者は、相応の刑に服しました。

そして、この紛争に深くかかわった学生は、急速に発展してゆく日本の社会になかなか溶け込めず、社会も受入れを拒み、不本意な人生を送る人が多かったと聞いています。

紛争時の大学生は、昭和20年代前半に生れた、いわゆる “団塊の世代”です。 この世代は今でも世代別の人口が突出して多く、そのためのストレスが多いと思います。

この世代は戦争・敗戦の苦難期を体験せずに育ち、育つ間に技術と経済が急進した日本で、成人となって、競争社会に入ることになる、その精神的ストレスが、この大学内での闘争に走らせたのではないか、と私は思うのですが、どうでしょうか。

現在、この世代の人たちが60歳代となって、労働人生を終えつつあります。今となっては、大学闘争 に加わった人たちも、当時のことについてほとんど語ろうとしないそうです。







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最終更新日  2012年01月04日 12時40分55秒
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■コメント


 Re:大学紛争始まる・・・東京大学 安田講堂攻防戦(01/04)   flamenco22 さん
こんにちは~
学生紛争の話は、小説とかでも取り上げられてるのがありますね。
安田講堂は、有名ですよね・・・
家の父も団塊の世代です。
60歳で、公務員を定年退職後、再就職先(天下り?)で、働いてます。
(2012年01月04日 13時27分06秒)

 昭和40年   mangiare mama さん
私の生まれた頃の話ですね。
私が社会へ出た頃に出会った団塊の世代の方々は、
余裕があり、憧れる存在でした。
自分も40代で、こうなれたらいいな~と。 (2012年01月09日 14時43分23秒)

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