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月が替わって、今回から
2012年5月。いつも、私のブログ 「
チューさんの今昔ばなし」 を見てくださって有難うございます。
この
ブログでは、昭和の初めから、私が見たり、聞いたり、体験したり、したことを、ほぼ年代順に書いています。今日は、
昭和の終わりの日(
1989年1月) のことを書きます。
この
ブログは、
私の想い出日記 ですが、同時に一庶民が体験し見てきた、
日本国 の移り変わり でもあります。
歳とった者には、もはや力はありませんが、国の盛衰、世の中の移り変わりは、充分に見てきました。過去を振り返りながら、資料を調べながら、さらに続けて行きたいと願っています。
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このブログを、書き初めの 昭和3年 から 最終ページまで、ホームページ 用 に改訂し、内容も書き加えて、公開しています。 目次 から、どのページでも見られます。
ホームページアドレスは http://chusan.info/
題 名 は チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド
なお、エピローグ以後のことは、 ホームページ の方に書いていますので、そちらでご覧ください。
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昭和64年(1989年)1月7日朝、昭和天皇 崩御(ほうぎょ)。天皇の死去を 崩御 といいます。
天皇は、この1年半ほど前に十二指腸のガン治療の手術を受け、しばらくは回復の様子が見られましたが、崩御 の前年9月に大量の吐血があり、輸血が続いていました。
天皇崩御を報じる新聞紙面
憲法 と 皇室典範 の規定により、直ちに 皇位継承儀式・剣爾(けんじ・三種の神器のうちの宝剣と勾玉)等承継の儀 が皇居内で行なわれ、明仁親王 が 新天皇 となり、美智子皇太子妃 が 皇后 となりました。
この日が 昭和の終り。時の 総理大臣 は 竹下登。竹下内閣 は新元号を “平成” と決め、当時の 小渕官房長官 が発表しました。そして翌日は、平成元年1月8日 となりました。
竹下登首相と新元号を発表する小渕官房長官
昭和天皇 は享年87歳8ヶ月。在位期間は62年余。歴代天皇 のなかで最長命、在位年数も最長といわれています。
戦後の団塊の世代以後の人は、昭和 というと、昭和20年代後半以後 の 発展の時代 ばかりを思うようですが、私どものように、昭和初年 からの 戦前・戦中・敗戦直後 の悲惨な時代を経た者は、昭和 は決して良い時代ばかりとは思えないのです。
戦前・戦中の昔、天皇 は 日本の統治者 であり、現人神(あらひとがみ) として崇められていました。実態は内閣や軍部がしていることも、すべては 天皇 の名によって行なわれ、批判や反対はできない国柄でした。
とくに 軍隊 は 天皇直属の組織 で、内閣に属するものではなく、内閣の 陸軍大臣・海軍大臣 は軍の最高司令官ではなくて、軍の事務局長 のような役目だったと思います。それは 明治時代 に決められた“軍人勅諭” の中に、次のような言葉があったからです。
「わが国の軍隊は、世々 天皇の統率 したまうところにぞある」
「朕(ちん)は、汝ら軍人の 大元帥(だいげんすい) なるぞ」
英邁(えいまい)な 明治天皇 の時代は、これで国政に何の支障もなかったのですが、その後、軍部、とくに 陸軍 は、天皇直属 を盾にとって、内閣や議会に圧力を及ぼし始めました。
そして、いわゆる “国体明徴問題” などを提起し、五.一五事件 や 二.二六事件 で内閣の重臣たちを殺害し、これで日本は急速に 軍国主義化 して行ったと思います。
昭和天皇 は、戦後ずいぶん経ってから当時の回想を述べ、その内容は雑誌にも掲載されました。それを読むと、
「日本は 立憲君主国 だったから、ほとんどは内閣の決めたとおりにし、総理大臣 が判断できなくなった 二.二六事件 と ポツダム宣言受諾 の2回だけ、自身で決断し行動した」
「もし私が戦争に反対しても、軍は私を押し込め、代わりの皇族を立てて戦争を強行しただろう、それなら、私が皇位 に居る方がまだよいだろうと思った」
という主旨の話が書いてありました。これを読んで、 「昭和天皇は、自身が軍の 大元帥・統率者 であることを放棄していたのか、そして、天皇までが自分の保身を考えていたのか」 と思いました。
昭和天皇 は相撲が好きで、戦後たびたび国技館を訪れていましたが、テレビで相撲を熱心に見入っている 昭和天皇 を見ると、「この人は、あの大戦争で何百万の国民が死に、何千万人もの国民が財産を失ったことを、どれだけ覚えているのか」 とも思いました。
国技館で相撲を見る昭和天皇
昭和天皇崩御 の翌日、1月8日。この日から平成となり、新天皇 が公務を執り始められました。
新天皇・皇后両陛下
敗戦後間もないとき、たまたま 京都御苑 内で 明仁親王殿下 にお会いして、「この方が早く成人されて、天皇になっていただきたい」 と思った日(2011年4月11日のブログ参照)から、40数年が過ぎていました。
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昭和天皇 の葬儀・“大葬” は、2月24日に執り行われました。世界各国から 国家元首 が参列しましたが、多くは日本から経済援助を受けている国々の 元首 たちでした。
ブッシュ(父)アメリカ大統領
第二次大戦での交戦国 だった国からは、ブッシュ(父)アメリカ大統領 が参列しただけで、イギリス・オランダ・中国・ソ連 からは、元首 の来日はありませんでした。その ブッシュ大統領 でさえも、
「今日、この日になって、やっと心から日本人を許す気になった」
と述懐したそうです。ブッシュ大統領 は、若い日に、空軍パイロットとして太平洋戦線で日本軍と戦い、マリアナ沖と小笠原諸島近海で2度も撃墜されて、自国の潜水艦に救助された戦争経歴の持ち主です(2010年11月17日のブログ参照)。
あれだけの大戦に敗北してなお、そのまま最後まで在位した皇帝や国王は、ほかにないでしょう。
古くは、フランス皇帝・ナポレオン一世 の流罪。第一次大戦では、ロシア皇帝・ニコライ2世 は自国民による処刑、ドイツ皇帝・ウィルヘルム2世 と オーストリア皇帝・カール1世 は外国に亡命。
第二次世界大戦では、イタリア国王・エマヌエーレ3世 は、退位ののち、王制廃止により国外追放。ドイツの ヒトラー総統 は遺体の完全消滅を命じて自殺。満州国皇帝・溥儀(ふぎ) は、退位後、ソ連軍の捕虜から中国の一市民となって終っています。