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平成元年(1989年)6月24日、歌手・美空ひばり が亡くなりました。享年52歳。間質性肺炎 による 呼吸不全 での死去、と伝えられています。あとで知ったところでは、ひばり の病気はこの4年前から始まっていたそうです。 昭和60年(1985年)から腰痛を訴えるようになり、2年後、公演先の福岡市で入院。大腿骨骨頭壊死 並びに 肝硬変 と診断されました。退院後ハワイで静養したのち、復帰しますが、病状は回復してなくて、体は衰え、激痛をこらえながらの舞台だったそうです。 デビュー当時の美空ひばり 美空ひばり は、10歳のころから芸能活動を始め、ボードビリアン・川田晴久 の弟子となります。舞台のほかに映画にも出演するようになり、12歳で主演した映画で、シルクハットをかぶり燕尾服を着て歌った 「悲しき口笛」 が大ヒット。そして大スターの道を駆け登ることになります。 私は、こうした 美空ひばり が嫌いでした。はじめは こましゃくれた子供、 中年になった ひばり は、歌のうまさから来る傲慢とも見える感じ。 「ひばりは譜面が読めない」 とそしる人もありました。後援者の黒いうわさもあって、NHK には長く出演しませんでした。 若いころの美空ひばり(出典 Wikipedia) しかし、元気いっぱいに歌う 「柔(やわら) 」 と、涙をこぼしながら歌う 「悲しい酒」 と、正反対の感情移入を必要とする歌をほとんど同じ時期に歌う、ファルセット を巧みに使い、地声 に戻る境目が分からない、など、天才と思わざるを得ない、とも感じていました。 病気から復帰後の ひばり は、顔は青白く、やせていました。しかし、舞台での歌唱力に衰えはなく、表情にも以前の傲慢な感じはなくなり、すべてを悟った人のように見えました。おそらく本人は自分の死期が近いことを知っていたのでしょう。 最後の歌「川の流れのように」を歌う美空ひばり 復帰後の歌 「みだれ髪」 と 「川の流れのように」 の2曲は、どちらも100万枚を越える大ヒットとなりました。そしてこの 「川の流れのように」 が最後の歌になりました。 生まれながらの歌の上手、52年という、あまりに短い生涯。これらが没後20数年を経てなお、演歌・歌謡曲の女王 として慕われ続けるゆえんでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月06日 12時34分16秒
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