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哲0701の日記 [全2201件]
「路上のソリスト」の主人公の記者ロペスは非常に 真摯で誠実な人物だと思う。ナサニエルに対する行 動についても記者としての取材対象以上のものを感 じたし、そこにはいい記事になりそうだという野心 を超えたものがあったと思う。 この映画の良さはロペスを何事にもまじめで誠実な 正義の新聞記者としてのみ描くのではなく、仕事を する者が持つ、野心や小市民的なずるがしこさなど も併せて自然に描いている点であろう。 それは決して露悪的ではなく、非常に説得力のある 描き方だと思う。 「沈まぬ太陽」に欠けている点は、まさにその部分 である。「沈まぬ太陽」には人間が全く描けていな い底の浅い作品であることは「路上のソリスト」と 比べるとよくわかる。
クララを中心としてロベルトとヨハネスの音楽の神に 支配されたような不思議な三角関係。 このところ、サガン、ココ・シャネルと創造的な女性 を主人公にした映画が続いているが、クララ・シュー マンは働き社会進出をする女性の先駆的存在ではない かと、この映画を見て気づく。 この映画を見終わって、ブラームスの人生とは一体、 何であったのだろうか、また、彼はあの人生に満足し たのであろうかという疑問、そして彼とクララとの間 の関係はどうであったのかという疑問など、実は俗世 間のつまらない伝説だとして吹き飛ばすものを感じさ せる3人の天才の物語であったことに気づく。 それでも3人を神格化するでもなく、また通俗的な偉 人伝として描くでもなく、ある種、奇跡的な3人の関 係を見事に描ききった作品であるといえよう。
音楽が重要なモチーフであるが、華々しい音楽的な成功が 描かれるわけでもなく、いわゆる感動的なラストシーンが あるわけでもないが、都会を描くにも全体的にモダンアー ト的感覚があり、非常に魅力的な装いである。 内容としては難民とホームレスとの違いはあるが、「扉を たたく人」とどこか共通したものがあるように思えるが、 その比較が正しいかどうかは判らない。 支援とか、援助とかいう言葉を我々は簡単に言うが、それ が一方的な価値観の押し付けになっている場合があるので はないか。自分の価値観と成功体験の押し付けになってい ないか。 この映画を裏目読みすると、アメリカのおせっかいな外交 政策への批判ではないかと思う。
この映画は時系列をバラバラにして進んでいく。 60年代、70年代、そして80年代の出来事を描くエピソード が交互につなぎ合わされて展開する。この時系列バラバラ の構成が効果的であるのかどうかは疑問である。 ここはむしろ、登場人物たちの心情の変化、とりわけ行天 の変貌を描くためにも時系列に従って描いた方が良かった のではなかろうか。 とりわけ、冒頭の恩地の象狩りのシーンにはいろんな意味 で疑問が残る。恩地が放った銃弾が象に命中して崩れ落ち るように倒れるシーンと御巣鷹山にジャンボが墜落する瞬 間を重ね合わせるカットのつなぎにはどのような意図があ るのだろうか? そもそもこの映画の作者たちは、恩地のアフリカでのハン ティングにどのような意味を持たせているのだろうか? 私は冒頭の象狩り、恩地のアフリカの住まいの中の動物た ちの剥製の置物、日本の自宅での象の牙の装飾品などが非 常に違和感というか、嫌悪感を抱いた。 やはりこの映画の作者たちのアフリカ観はおかしい・・・。
長崎ならではのことといえば、異国情緒とか、近代日本の 黎明期を創った場所であるとかが連想されますが、猫もま た長崎独自のものです。 長崎の猫は尾が曲がったり、短いのが多いのです。 それは何故か? このテーマを楽しく研究している<日本「長崎ねこ」学会> がシンポジウムを開催します。 かって長崎には海外から多くの人たちがやってきました。 でもやってきたのは人間たちばかりではなかったようです。 今でも長崎のまちなかで多く見かける「尾曲がり猫」(尻 尾が曲がっていたり、短かったり、丸かったり)、彼らも 海外からやってきた猫の子孫らしいのです。 日本「長崎ねこ」学会は、尾曲がり猫は長崎の歴史を象徴す るシンボルではないかという想いから「長崎ねこ」と名付け、 ルーツの探究や実地調査など、様々な活動を行っています。 〜「長崎ねこ」シンポジウム2009〜 ■日時 平成21年11月23日(月・祝日) 14:00〜16:30(開場13:30) ■場所 長崎歴史文化博物館1階ホール 長崎市立山一丁目1番1号(Tel.095-818-8366) ■内容 ・基調講演:野澤 謙(京都大学名誉教授) テーマ:猫の形質に関する遺伝 ・パネルディスカッション:長崎の歴史 街並みと「ねこ」 ■入場無料 ■主催 日本「長崎ねこ」学会 Tel.095-829-0031 参加ご希望の方、問い合わせの方は、 このブログの私書箱からどうぞ!
心を持った空気人形が働くことになったレンタルビデオ店の ポスター類がなかなか面白い。 ローランド・エメリッヒのあまり上手とは言えないギャグが 目立つ中で、「道」、「赤い風船」、「大人は判ってくれな い」の典型的な名作が見える。これらは単なる装飾ではなく、 「空気人形」のテーマと関わるものではなかろうか? 「道」のジェルソミーナは男たちの慰み者として扱われ、や がて捨て去られる運命にあるのだが、ジェルソミーナと空気 人形の存在は重なっていく。 「赤い風船」と空気人形とは共に中身が空気であることが共 通している。「大人は判ってくれない」の主人公アントワー ヌ・ドワネルは、自我、つまり心を持ち始めて社会に目覚め ていくという点では、心を持った空気人形と共通した状況に ある。 「大人は判ってくれない」のラストのアントワーヌ少年の海 辺でのある種、不安な茫然とした表情と空気人形の表情が、 重なるような気がする。 「道」、「赤い風船」、「大人は判ってくれない」をさりげ なく見せているのは決して無意味ではないと思う。
「空気人形」の魅力は何といっても主演のペ・ドゥナに よるものが大きいが、同時にリー・ピンビンのキャメラ もまた素晴らしいのである。 彼の仕事の結果をどのように表現すべきか、どのような 言葉を使うべきかなかなか言い表すことができなかった のであるが、ここに的確なフレーズがあった。 映像が持っている光に「詩情」が感じられました。 まさにその通りである。リー・ピンビンの光の捉え方の 圧倒的な素晴らしさがこの映画の魅力、つまり映像詩を 生み出しているのである。 アメリカ撮影監督へのインタビュー集のタイトル「マス ターズ・オブ・ライト」の通り、まさにキャメラマンと は、光のマスターであり、光でで書く者のことなのだ。 リー・ピンビンは、まさにペ・ドゥナの魅力ある演技を 光で書いたのである。 |一覧| |
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