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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
この映画の失敗の原因について更に考えてみよう。
前回はシナリオについて述べたが、今回はこの映画の製作または 演出方針について。 宣伝コピーや登場人物たちのセリフにもあるように、「国家とは何か」、 「戦争と平和とは」、あるいは「国を守るとは」といったテーマが 潜んでいることは確かである。 こうしたテーマに正面から向き合ったのかというと、それは 大いに疑問である。娯楽性をある程度犠牲にしても、こうしたテーマに 正面から取り組む方法もあったはずであるが、それが出来たとは、 とてもではないが言えない。 では、監督が言う「娯楽映画として楽しんで欲しい」という姿勢が作品 を貫いているかというと、スリルもサスペンスも大して感じられない。 これは「ダイハード」や「沈黙の戦艦」と比べると落ちる。 何故、そうなったのか。それは脚本家、監督も含めた製作者たちに 遠慮があったのではないか。 右にも、左にも、政界にも、経済界にも。 また北朝鮮という国名を具体的に出さなかったという点にも、それは 感じられる。 作品の中で何かを追求しようとしたら、他のものを犠牲にすることは 当然であるはず。その摩擦や緊張関係こそが作品を面白くして、社会的 にも認知させるもののはず。 やはり、ここは「バトル・ロワイアル」の時のように国会議員から異論 が出るくらいの内容にして欲しかった。 戦後60年の夏に最も相応しい作品となったはずで、それを実現できな かった製作者たちの罪は大きい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月03日 10時23分58秒
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