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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
「今世界には5億5千丁の銃がある。ざっと12人に1丁の計算だ。
残る課題は――“1人1丁の世界”」 まるで自動車やテレビを1人1人に売るような調子で武器を売る 武器商人ユーリーが主人公。 その彼も家庭ではごく普通の夫であり、父親だ。子どものピストル のおもちゃには顔をしかめる。 「私は殺し屋じゃない。人を撃ったこともない。戦争で稼いではい るが、人が死なずに済めばと願ってる」と彼は語る。 言動に矛盾があるようだが、彼は、あくまで銃を「人殺しの道具」と してではなく、自動車、テレビ、あるいはコーラと同じ商売道具と 割り切っているのである。 武器商人といえば、我々は非常に特殊な人、あるいは冷血で異常な人 を連想しがちであるが、そのように考えることが、そもそも間違いで はなかろうか。 世界の軍需企業で14位にあるこの会社に働く人々のことを考えてみ よう。この会社の軍需部門に働く人々が常に人をいかに殺すかだけを 考えているわけではないであろうし、そもそもそういう人々ではない であろう。 戦争、殺人、武器に関わる人々を「特殊な人々」と捉えたときに、 思考停止になるのである。 この映画は最後に武器商人の元締めがアメリカ大統領であることと、 国連の安保理常任理事国の欺瞞性を明言して終わる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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