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テーマ:映画から何かがはじまる(568)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
この映画はスピルバーグ作品の中では「シンドラーのリスト」
と同系列に扱われるが、必ずしも同じ系統の作品ではない。 「シンドラーのリスト」にはシンドラーというユダヤ人を虐殺 から救う正義の主人公とユダヤ人を虐殺するナチスという明確 な対立軸があった。 しかし、この「ミュンヘン」にはそのような明確な対立軸は ない。 更に、この映画には泣かせるシーンはない。サスペンスを盛り 上げるシーンはあるが、情緒的なシーンはない。 だから見ていてもカタルシスを得ることはできない。 そして、ここで投げられる課題に対して回答も示されない。 作家も観客も混迷の中で試行錯誤をしながら考えることを迫ら れる。 そのような回答を示されない作品には救いを感じることはでき ないし、さらにはそれゆえに失敗作というレッテルを貼られる こともありうる。 これはスピルバーグのフィルモグラフィーの中では「呪われた 作品」と位置づけられるかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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