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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
ラストでVとイヴィーとの関係は、
レオンとマチルダとの関係に相当することが 示されるが、さほど効果はない。 また、「レオン」におけるゲーリー・オールドマン 演じるスタンフィールドに相当する魅力ある悪役 がいない。 独裁管理社会の描写も「未来世紀ブラジル」のよう な毒のある美はない。 確かに、独裁政権下の苛酷な弾圧支配の有様が描か れてはいるものの、迫ってくるものではない。 現実の日本では、ビラ入れしただけで逮捕拘留、 次は話しただけで逮捕という共謀罪が国会審議 入りである。もはや現実の方が進んでいる。 そのような現実の前では、この作品程度の演出では まったくインパクトはないのかも知れない。 ところで、この作品のベースには1605年の「ガイ・ フォークス事件」が隠し味になっている。 また、この映画と同じ日に初日の「ニューワールド」 も1600年代初頭にイギリスからアメリカへ渡った 人々の物語。 「リバティーン」は1600年代中期が背景。 今、映画作家たちは17世紀に注目しているのだろうか? それは何故? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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