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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
「セプテンバー11」では11のエピソードがある。
ある種、政治性を期待される映画であるが、このうち日常 の身の回りに限定して政治性など全くなく、想像もさせな い内容が2つ。 クロード・ルルーシュとショーン・ペンの作品である。 しかし、この2作品では9.11のあの出来事をこのような 視点から切り取ることで現代の一断面を描き出した。 11のエピソードのうち過去の出来事に拘ったものが2つ ある。 ひとつはケン・ローチ作品。 彼が描いたのは1973年の9月11日のチリ。 アメリカが背後から操った軍事クーデターであり、強烈な までの批判精神であった。チリの軍事クーデターのみを語り ながら、2001年9月11日を描き出した。 過去を描いたもうひとつが今村昌平作品である。 ここでは過去の戦争が描かれるが、それはあくまでも過去に 留められ、現代に向かって突き付けられるものはない。 戦争が現代に忍び寄るというものではなく、あくまでも個人 の思念情念の中である。ここから9.11をあぶりだすもの はない。過去に拘りながらも現代を鋭い批判精神で描き出した ケン・ローチとは大違いである。 この11分の作品が、今村監督の独立した作品であれば、 彼らしい作品としてプラスの評価をするかも知れないが、 9.11の事件をモチーフとして世界の代表的な作家たち のオムニバス映画のひとつのエピソードとしてなら、これは 失敗作だと思う。 しかし、今の日本の映画作家で「現代」を鋭く描くことの出来る のは誰であろうか? 今村監督が出来なかったことを次の世代は実現させるべきでは ないか。これは日本映画界に突き付けられた課題である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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