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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
昨日の日記ではこの映画を批判したが、この映画で
面白い点がある。それはこのドラマの核となる茶川 のことだ。 茶川、ヒロミ、そして淳之介はそれぞれ3人が一緒 に暮らすことを夢見ている。 この3人には全く血のつながりがない。いわば擬似 家族である。ヴァーチャル家族とでもいうべきもの だ。現代なら進んだ家族としてそのような擬似家族 とでもいうべきものが周辺から認知されることもあ ろうが、血縁が重視されていた昭和30年代を背景 としたかなりリアルなドラマに、このような擬似家 族を設定したこと自体、かなり大胆であると思う。 鈴木家もまた、働く六ちゃんも家族同様であり、 今回は親戚の美加ちゃんが加わり、擬似家族のよう な感じを出している。 このような設定がどのような意図を持つのか、その 点いついて監督の意図を尋ねてみたい。 戦後の貧しい時代、日本人全体が豊かな生活を目指 して家族のような一体感があったということであろ うか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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