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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
異色作である。
この作品が他の作品と決定的に違うところは、ひとつ の共同体がよそ者を受け入れたときにそれによる変化 が、従来の作品におけるそれとは、大きく異なるので ある。 数多くのドラマは、ある場によそ者がやって来たこと でドラマが起きる。 「シェーン」も、「弓」も、「レッスン!」も、物語の 骨格は「よそ者による場の変化」である。その顕著な例 がパゾリーニの「テオレマ」であろう。 これらの作品における場の変化は、やってきたよそ者に よる、良いか悪いかは別にして、一方的な変化である。 しかし、この「めがね」では、相互に作用しあっている。 作用しあい、変化してどこへ行こうというのか? これはこの作品の問題提起ではないかと思いながら、 「殯の森」を思い出した。 この映画は一見すると癒し系の作品のようであるが、 もしかしたら、死と向き合いながら人間の存在を問い詰 める厳しい作品ではないかと思いはじめた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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