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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
この映画では怪人二十面相の正体は意外な人物である。
しかし、それほど意外ではない。未見の方の楽しみの 為にこれ以上は書かないでおくが、考えてみれば、そ ういうこともありうる。 しかも、この映画の舞台設定は身分社会であり格差社会 である。その正体となった人物は当然、上流社会に属し ているが、本来は下層階級。 その階層を抜け出して上流に入り込むためにも、そのよ うな売名行為、偽装行為が必要であったということだ。 本来の己の実体を隠す為に敵をでっち上げて世間の話題 を集めるという手法。 実際は大変なタカ派であり、ファシストでありながらそ れを隠す為に既存の権威を攻撃し、国民に我々の味方だ と安心させているのが小泉純一郎であり、橋下徹である。 映画「K-20」は、こうした社会批判に絞っても面白く 痛烈な作品になったのではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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