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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
「青い鳥」の中に出てくる反省文のエピソードは、この国
における反省のあり方を見事に言い当てている。 反省文というものは、その真に反省すべき人の為ではなく、 「このように反省しています」というポーズを示す為のも のであるということだ。つまり、それは反省したというこ とにする為のセレモニーのようなものだ。 「もうこの件は忘れて、これまで通りつきあってくれよ」 という意図なのである。 真の「反省」とは無縁なものである。 これは、この映画「青い鳥」のことだけではなく、企業な ど諸団体の不祥事、事故、そしてあの戦争についてもすべ て言えることではなかろうか? あの戦争について「一体、いつまで謝罪すればいいのだ」と いう声があがるが、現状の政治を見れば「反省していない」 のは明らかで、「反省したことにした」態度が見透かされて いるのであるから、いつまでも謝罪を求められるのは当然で あろう。 この「青い鳥」は学校のいじめ問題を扱いながらも、実は 大変に辛らつな政治批判映画になっていると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月14日 08時23分06秒
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