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カテゴリ:言語の起源
人類が誕生して一番最初に発した言葉、この疑問は古代から人間がもっているものである。これに関する研究の最たるものがインド=ヨーロッパ語研究である。ヨーロッパの全ての言語はインドに起源を発しているとする説で、かなりの研究がされている。最近では、ヨーロッパだけでなくこれを世界中の言語を対象にしようと言う研究者まで出てきている。
これは「嘘」ではないのだが、私には、あまり稔りのある研究とは思えない。まず、明らかに観察出来るデータが不足している。観察対象は、現存使われている言語と、過去に文字によって書き留められた言語だけである。ある程度まで溯れたとしても限界は目に見えている。まだ文字が発明されない以前、人間はどういう言語を使っていたか、謎のままである。 個人的な意見だが、人類の黎明期、人は音声だけでなく、手話を使っていたと思う。何故かというと、手話というのは一代だけでもきちんとした構造をもった言語になりうるからである。ろうのコミュニティーを知らずに(つまり既に使われている地域の手話を知らずに)育ったろうの人達が、家族と身振りで意思の疎通を図ろうとする時、彼等はそれを言語に域にまで一代で高める。これをlangue des signes emergeanteと呼ぶ。日本語訳は「(自然)発声的手話」であろうか。ニカラグアのろう学校の例は、かなり知られていると思うが、これはそれぞれのろう児の「(自然)発声的言語」が、一緒に生活する事により標準化され、特にまだ幼い子ども達が入ってくる事により、公的言語としての性格を備えた言語にまで発展したのである。 ただここで音声言語の様な「文法・シンタックス(語順)」を想像してもらうとちょっと外れてしまう。手話には、手話独自の表現方法があり、これはかなりの部分で世界共通である。といっても、単語単語は違うし、ろう者の住んでいる聴者の社会の文化の影響も大きく、国際的な場所で、ろう者同士がすぐに会話出来るわけではない。でも基本的な事は、かなり通じてしまう。これは音声言語ではあり得ない話である。 余談だが、手話研究で、語順、つまりサインの順番が話題になる事があるが、これは一種ナンセンスな議論である。手話における語順は、確かにある程度の傾向を見る事は出来るが、その場その場に応じて変化しうる。音声言語のような、絶対に崩せない語順という概念があてはまるかどうかはなはだ疑問である。 言語の起源に話を戻そう。音声言語できちんとしたコミュニケーションが成立する為には、音韻システムが確立され、それに乗っ取った単語がそろっていて、しかもそれをどう組み合わせて意味を構築するかが、確立されていないと不可能である。初めからこれが一夜にして出来たとは考えにくい。音声がまだ効率的な形で利用出来ない間、聴者であっても手話のもつ図像性を駆使し、会話をしていたと考えるのはそれほど難しい事ではない。しかしこれもあくまで憶測の域を出ない。当時の事を記録したビデオは存在しないからである。 ろう者は人類が生まれてからずっとこの世に生を受けている。今でも約1000人に1人が、ろうとして生まれる。でも、ろう者が二人そろえば、手話が1つの手話が成立する条件が整ったと言えるのである。(ただそのろう者達が、音声言語を解しなくても、人間社会の一員としてコミィ二ティーの活動に積極的に参加している事が絶対条件であるが) ろう者達が共通の手話を通じてろう者独自のコミュニティーを作る為には、ろう学校の存在が非常に大きい。ニカラグアの例も見ればそうだが、その中で手話を通じて「ろう者」としてのアイデンティティーを獲得し、相互の交流も盛んになり、ろう文化とともに手話を伝えて行く。歴史的には、多くのろう学校(フランス・日本等)では手話が禁止されてきた。しかしろう者達は隠れてこの文化遺産を継承し続けてきた。中にはろう学校を卒業してから初めて、手話を使うろう者と出会い、手話に傾倒して行く人もいる。 最初の手話を取り入れたろう学校を始めたフランスのレペ神父の功績はここにある。彼のメソッドに問題がなかったわけではないが、手話でも音声言語と同じく抽象的な概念も操作しうると主張し、ろう者が手話と書記フランス語で教育を受ける機会を初めて与えたのである。その成果は目覚ましいものがあったが、1880年のミラノ会議で、手話が教育の場で否定される事により、フランスのろう者の「黄金時代」は終焉を迎える。100年後の20世紀後半に、これを改善しようとする動きがようやく出てきたが、社会の偏見も手伝って中々前進しないのが実情である。日本も実は同じような(実はもっと悪いかもしれない)状況にあるが、ようやく手話と書記日本語で学べる小学校が誕生した。明晴学園である。 言語の起源から、手話の話になっていしまった。どちらにしろ、手話をどう扱うか、これによって言語学者の質が試されるのだと思う。現在、手話研究に携わっている人達も、自分達のしていることが、音声言語の研究の成果を踏襲する形になっていないか再考する必要があると思う。音声言語を優先(意識的・無意識的に)することにより、手話と言う対象物を歪めていないか、きちんと向き合えているか、自問自答して欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.13 23:02:13
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