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カテゴリ:マウンテンバイクレース
小林可奈子がマウンテンバイクレースに復帰しました。
多くの皆さんの応援と協力により、価値ある4位という成績を残しました。 たった2ヶ月でどうやって競技レベルに戻すのか。 連休前・・・・近所の山道で、ストローク200mmのオールマウンテンバイク乗る自分についてこれなかった「ハルちゃんのママ」が、なんだかかっこいい走りを魅せてくれました。 ・連休明け 本気でトレーニング開始。 ・5月末 急激な高負荷トレーニングで体調崩して練習不能に。 ・6月 くじら雲の皆さんの協力で、主婦としてできるトレーニングを行う。 ・7月 やっとトレーニングのトレーニングから、競技を意識したトレーニングができ始めたが、時間切れ。本番へ・・・ 大会当日6時起床。可奈子選手はウォーミングアップを兼ねて、部屋の掃除をして、家庭ごみを出しにごみステーション往復して、家族の朝食の準備。 子供たちはいたって日常。のんびりしてるので出発が遅れる。 安曇野の仲間と8時に自宅を出発して会場へ。 バイクのゼッケンプレートを見ていたらやっと、全日本選手権の実感がわいてくる。 あまりにも短い2ヶ月だったけど、可奈子選手はスタート地点にいた。緊張感は無い。可奈子のチャレンジにみんなワクワクしていた。 スタートして全力で片山選手の背後につく可奈子選手を見て、とても楽しい気分になりました。林間に入ってすぐに片山選手や中込由香里さんの背中は見えなくなったと思うけど、8年間で忘れたもの、失ったものは、この4周回で取り戻せたと思う。3位>4位>5位>4位と、他の現役選手とポジション争いを続けられたことが、わずかな期間のトレーニングが間違っていなかったことの証明です。これを、可奈子自身とクラブの子供たちと分かち合い、マウンテンバイク競技の裾野が広がればいいですね。 くじら雲とマウンテンバイククラブのみんなからいただいた金メダル。 9年前、可奈子選手はマウンテンバイクのレースで得たトロフィーやメダル(アジア大会の銀メダルも)はすべて捨てました。それはただの結果だから。 でも、このメダルは一生の宝物。結果じゃないから。みんなの心だから。 さぁ!!ここからが本当のスタート。 それと、修二さんが「甦る女」なんて書いていた。 ありがとう!! 大先輩の中込辰吾・由香里夫妻。お忙しい中、浦島太郎状態故の細かい質問に答えていただき、本当にありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.07.22 00:38:02
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