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カテゴリ:演劇、観劇
シェイクスピアの最後の悲劇作品と言われているものです。(プログラムより)
舞台を観て思うのは、コリオレイナスは、なんて孤独な男なのだということ。 冒頭の自国ローマのために戦う姿には、リーダーとしての資質を兼ね備えた男のイメージがありました。 そして次の彼のステップ、執政官という役職につくには、市民の投票により選ばれねばなりません。 しかしコリオレイナス(唐沢寿明)は、戦い以外には無頓着で無骨な男のようです。 貴族という身分以上に将軍としての実力を持つコリオレイナスですが、自分たちを蔑むような傲慢な態度を嫌う平民の代表、護民官の二人の工作により、ローマの平民たちはコリオレイナスのことを、勇者ではあるけれど自分たちをバカにしている、と彼の追放に加担してしまうのです。 自分の居場所を自国に失った彼が訪ねた先は、ローマを勝利に導くために戦い、負かしたヴォルサイのオーフィディアス(勝村政信)。 ヴォルサイの兵を率いて、今度はローマに攻め込もうとします。 かつて父のように慕っていたメニーニアス(吉田剛太郎)の説得をも拒むコリオレイナス。 しかしオーフィディアスやその家臣の者たちは、時を経るにつけ高慢に見えるコリオレイナスに難色を示し始めていました。 彼の本当の居場所は、いったいどこにあるのでしょう・・・。 コリオレイナスの戦での仕事には抜かりがありません。むしろかつての敵も尊敬の念さえ抱いています。が、彼には常に居場所がない。 結局、戦場でしか彼は評価を得られないのでしょうか。 貴族と平民という身分差別や政治色の濃い作品と言われていますが、なんだか現代における仕事に没頭するビジネスマンの姿を見たようにも思いました。 シンプルな設定の物語だからこそ、観客も様々な思いを投影して作品を観ることができます。コリオレイナスの立場を何に置き換えてみるかは、観る人それぞれ。 偶然、同じ回を観ていたえびす組のコンスタンツェの弁。「シェイクスピアが、あてがきしたのかと思った」・・・彼女が投影して観ていたものは。 この作品の救いは、家族が一番の理解者だったということかもしれません。 さて、今回の舞台美術も意外性のある美しさで魅せてくれました。 回り舞台もセリも出てきませんが、ローマとヴォルサイの距離を連想させる「こういう方法があるのか!」という興味深いものでした。まさしく‘コロンブスの卵’? 演出・蜷川幸雄、作・ウィリアム・シェイクスピア、翻訳・松岡和子 美術・中越司、照明・原田保、衣裳・小峰リリー、音楽・笠松泰洋 この後、大阪、福岡、名古屋公演を経て、英国(バービカンシアター)で上演されます。 (彩の国さいたま芸術劇場 大ホールにて) ※芸術劇場の一階では、写真のように過去の作品の衣裳や台本、舞台模型に加え、『コリオレイナス』の香盤(場面ごとに出演する俳優がひと目でわかるように書かれた表)が展示されています。 ☆講談社「シェイクスピア(8)」に収録 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.02.05 12:22:12
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