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オージー生活

オージー生活

結婚できるの?

気まずい大分旅行から戻ってきてからも、両親との打開策は見つからない。仕事は忙しく、彼も日本語学校に行き始めていたので、相変わらず毎日会ってたものの、バタバタと過ごしていた。

彼が日本語学校に行き始めて、滞在資格であるビザが、ワーホリから学生に変更になっていた。これであと6ヶ月はいられる。でも、その後は?先は見えなかった。

途中、彼は水疱瘡にかかり、大人になってからなので重く、看病してあげ、逆に私が結膜炎になったときには髪まで洗ってもらったり、、、といった形で、確実に仲は深まっていってたと思う。
毎日会っても飽きないのも不思議だったし、私の父にあそこまできつくされながらも、私に対する態度が変わらない彼に対する思いも強くなっていた。

そんなとき、6月くらいだったと思う。彼が、今住んでる部屋を出なければ、と言い出した。もともと二部屋もあり、彼女とシェアしてたので彼一人では広過ぎて家賃も大変。更新の時期にも入っていて、ワンルームのマンションを借りたい、と言う。
当時住んでた千駄木は好きだというので、探してみた。が、不動産屋が

「外人さん一人で住むの?大家さんが嫌がるのよねえ。。。ねえ、あなたの名前で借りたら?聞かれたら婚約者ですって言って。。」

と言う。まあ、それでもいいかなあ、と話していた。いっそのこと私のアパートも解約して一緒に住むか、とも話してたけど。

7月の海の日に、御嶽山までハイキングに出かけた。山の上の茶店でお昼ご飯を食べていると、彼が、

「学生ビザももうすぐ切れるんだ。日本語学校は高くてとても続けられないし。どうしようかと思ってる」

と話し始め、[Tokyo classfied]という雑誌の話になった。この雑誌は英語のフリーペーパーで、日本にいる外人向けの売ります買います情報やら、友達募集や恋人募集までいろいろ載っている。恋人募集などは、外人って自分のことよく書くみたいで、みんな『自分はブラピに似てる』とか『背が高くて青い眼で金髪』とか書いたひとばっかりで、私は読んでは笑っていた。
彼が言うには、そういった募集記事の中に
『ビザが欲しいんです。協力してください。あなたには何の負担も要りません。書類作成だけつきあってくれれば、同居もしなくていいです』
といった、明らかに偽装結婚を希望しているような記事もあったのだと言う。

「もう、俺もこれしかないかなあ、と思い始めたよ。。。」

と言う彼の言葉を聞いて、ああ、このひとはよっぽど私と結婚したくないんだな。ここまでしてビザの相手を捜すなんて。。。と悲しくなった。え、でも何でそんなに日本にいたいわけ??
と、彼は続けて、

「だって、君はまだ結婚したくないだろう?」

と言う。えっ?いや、考えてなかっただけで。。。いや、いいよ。しましょ。そうするればややこしいことみんな解決しそうだし、毎日会ってるんだから、一緒じゃない。うん、好きだよ。好きなひとと結婚するのが私の夢でした。と、告げた。彼は一瞬驚いて、

「ありがとう。俺も考えるよ」

と言った。御嶽山から帰って来て次の日の夜、いつものように居酒屋でご飯を食べていると、彼が

「あれから君の申し出を考えてみた」

と来た。え?私が申し出たことになってんの??嘘。と思いながらも、

「受けようと思うよ。結婚しよう」

となった。なんか私がプロポーズしたみたいじゃん!と納得いかなかったけど。。。。え、あの、映画とかで見た、西欧スタイルの片膝ついて『ウィル ユー メリー ミー』ってやつは??まあ、いいや。なんかはめられたような気もするが。。。

それからが大変だった。

彼はオーストラリア大使館に問い合わせて、結婚のために必要なことを聞く。私は『国際結婚のノウハウ』みたいな本を買って、何がいるのかを調べた。一番大変なのは、言うまでもなく私の親。

母は喜んだけど、父はまだ許さない。どうしても勝手に結婚するなら勘当だ、と言う。兄嫁からも説得され、とりあえず次の週末に大分に帰ることになった。ひとりで。

父と実家で対面。また気まずかったし、泣いたけど。とにかく許してもらうには何がこれから必要なのかということになった。で、父は

「とりあえず、やつの釣書でも身上書でも持ってこい。あと、どうやって収入を立てるつもりなのかもきちんと書け。話はそれからだ」

と言った。ゲッ、そんなことやってくれるかな、と思いながら、一泊二日の大分行きを終えて、私は帰った。

彼に告げると、

「身上書とかは分からない。でもなんとか俺自身を説明する文章は書いてみるよ」

と言ってくれた。
翌日渡してくれた手紙は、レポート用紙5、6枚に及ぶもので、彼の生まれ、実の父のこと、母のこと、妹のこと、今までやった仕事のこと、未来のことなど、誠実に、私も聞いたことが無かった話が細かく書かれていて、最後に、

「これが今のところの私の書ける全てです。何か分からないところなどがあれば、どんなことでも聞いてください。次にお会いするときは、笑ってお会いしたい」

と書いていた。私は訳しながら、嬉しくて泣けて来た。

やっと、父も渋々折れて、母の送ってくれた戸籍謄本と、オーストラリア大使館で発行してもらった『結婚無障害証明書(重婚でないことの証明)』
を持って、入籍準備となった。

家は、たまたま彼のバイト先の喫茶店のマスターが紹介してくれた千葉の柏の一軒家を貸してもらえることになり、1997年の8月の終わりに結婚することになったのだった。


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