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《櫻井ジャーナル》

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2011.05.25
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 言うまでもく、日本へ原子力を導入する突破口を開いたのは中曽根康弘である。ドワイト・アイゼンハワー米大統領が「原子力の平和利用」を宣言したのが1953年12月、その3カ月後に中曽根は原子力予算を国会に提出、修正を経て4月に可決されている。その中曽根について、考えてみた。

 元内務官僚の中曽根が政界で「出世街道」を歩き始めるのは1950年。この年の6月、スイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席したことが切っ掛けだと言われている。この団体はアメリカの「疑似宗教団体」で、CIAと結びついている可能性が高い。ちなみに、岸信介や三井高維もMRAに所属している。

 その3年後、つまり1953年に中曽根は「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加しているのだが、その責任者がヘンリー・キッシンジャー。スクールのスポンサーにはロックフェラーやCIA系団体が名を連ねていた。アイゼンハワーの演説はこの年の暮れだ。

 岸信介内閣が安保改定を強行して間もない1961年、ふたりの子供がCISVという団体が主催するキャンプに参加した。この団体に参加するためには厳格な資格審査で合格する必要があり、必然的に金持ちの子供しか入会できない。要するに、ふたりの子供は金持ちの家に生まれていた。その後、ふたりはCISV日本協会に関わるようになり、親しくなる。

 当時、協会の会長は中曽根康弘であり、副会長は鹿島建設の社長だった渥美健夫。ふたりの子供とは、中曽根の娘である美恵子と渥美の息子である直紀だった。直紀は慶応大学の大学院で法律を学び、美恵子はNHKアナウンサーになる。そして1974年、ふたりは結婚した。

 渥美健夫の妻、伊都子は鹿島守之助の娘。伊都子の妹にあたる三枝子が結婚した相手は自民党宮沢派の平泉渉。鹿島建設の専務から政界へ飛び込んだ人物である。核武装を目指していた佐藤栄作内閣で科学技術庁長官を務めた。佐藤は鹿島守之助の親友だったという。ちなみに、平泉渉の父親は「皇国史観」で有名な平泉澄だ。

 福島第一原発の事故で福島県はおろか、東日本、いや太平洋や大気を介して全世界が放射能に汚染されつつある。こうした事件の原因を作った中曽根の足跡をたどると、内務省、CIA、キッシンジャー、原子力、鹿島建設、皇国史観という不気味な名詞が並んでしまう。あ、それから中曽根のボスと言われていた人物は、「右翼」でCIAの協力者でもあった児玉誉士夫。この関係も忘れてはならない。原子力の奥に広がる闇は深い。





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最終更新日  2011.05.25 18:50:41



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