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《櫻井ジャーナル》

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2012.01.11
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 グルジアで病院が新設されていると話題になっている。それだけなら何ら問題はないのだが、アメリカのプロジェクトだと聞くと、途端に焦臭くなる。自国の医療制度を崩壊させ、貧困層から治療を受ける権利を奪っているアメリカという国の政府が他国で病院を建設するのはなぜなのか?

 グルジアの反政府派は病院建設をイラン攻撃の準備だと主張している。ミヘイル・サーカシビリ大統領がアメリカやイスラエルと緊密な関係あることを考えれば、確かにありそうな話だ。南オセチアをグルジア軍が2008年8月に奇襲攻撃しているが、その前からアメリカやイスラエルはさまざまな支援をしてきた。

 2003年11月に行われた議会選挙で不正があったとして自らの勝利を宣言、「西側」の支援を受けて実権を握ったのがサーカシビリ。このいわゆる「バラ革命」のパトロンはバドリ・パタルカツィシビリという富豪だった。

 ロシアのウラジミール・プーチンと対立、イギリスのロンドンに逃亡したボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンに改名)とパタルカツィシビリは親しく、2003年にはベレゾフスキーもグルジアを訪問している。

 後にサーカシビリとパタルカツィシビリは仲違いし、2008年2月にパタルカツィシビリはロンドンで急死している。ちなみに、ベレゾフスキーはウクライナに親米政権を樹立した「オレンジ革命」のパトロンとしても知られている。

 2000年にはユーゴスラビア、2003年にはグルジア、そして2004年から05年にかけてはウクライナで「革命」があり、親米政権が誕生している。こうした政変の黒幕がアメリカの「外交官」、リチャード・マイルズだと報じたのはイギリスのガーディアン紙だ。

 マイルズは1999年から2002年までセルビアの首都、ベオグラードにアメリカ大使として駐在、2002年から2005年まではグルジアで大使を務め、サーカシビリを勝たせるために同陣営をコーチしている。

 実権を握ったサーカシビリはNATOへの加盟を画策している。グルジアに限らず、すでにNATOは旧ソ連圏を侵食しつつあるが、これは1990年にドイツが統一される際にアメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外相(サーカシビリが倒した相手)に約束したことに反する。ベイカーはシュワルナゼに対し、統一後もドイツはNATOにとどまるが、東へNATOを拡大することはないとしていたのだ。

 NATO拡大の背後には親イスラエル派のネオコン(新保守)がいる。例えば、グルジア政府のロビイストとして活動したランドール・シューネマンはジョン・マケインの顧問。マケインがサーカシビリ政権にとって都合の良い発言をするたびに、シューネマンの懐へグルジア政府からカネが入る仕組みのようだ。このシューネマン、ネオコンが組織したPNAC、あるいはイラク攻撃を熱心に主張していた「イラク解放委員会」でも中心人物のひとりとしても知られている。NATOの拡大にも熱心だ。

 2008年8月、サーカシビリはロシアが実効支配する南オセチアに奇襲攻撃を仕掛けた。南オセチアの分離独立派に対話を訴えた約8時間後、深夜近くにミサイル攻撃を開始したのだ。ロシア軍の反撃で侵攻作戦は失敗するが、その一因はアメリカやイスラエルに対する妄信があったようだ。

 グルジアへは2002年にアメリカ政府が特殊部隊を含む約40名を派遣、その翌年にはグルジアの軍事パレードでアメリカ国歌が最初に演奏されているのだが、アメリカよりも早くイスラエルが軍事支援に乗り出している。2001年からイスラエルの会社がロシアとの戦争に備え、武器を提供すると同時に軍事訓練を行ってきたのである。

 2008年1月から4月にかけてアメリカの教官がグルジアに入って特殊部隊を訓練、侵攻作戦を始める数日前にも訓練のために教官がグルジア入りしたという。グルジア軍を訓練した傭兵会社とはMPRIとアメリカン・システムズだ。

 2008年の軍事衝突の後、ロシア軍のアナトリー・ノゴビチン将軍はイスラエルの関与を非難している。2007年にイスラエルの軍事専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器や電子機器、戦車などを提供したとノゴビチンは主張している。

 ところで、ロビイストのシューネマンと親しいブルース・ジャクソンは「暫定民主国家プロジェクト」の会長として、また「米NATO委員会」の委員長としてNATO拡大のために活動している。元情報将校のジャクソンは1996年の大統領選挙ではボブ・ドール陣営で活動、97年にはPNACの創設に参加した。2002年まではロッキード・マーチンの副社長だ。

 言うまでもなく、ロッキード・マーチンは世界有数の軍需産業であり、ヒラリー・クリントン国務長官のスポンサーとしても知られている。軍事的な緊張を高めて武器を売っているとも言われているが、だからといって戦争が起こらないとは言えない。軍需産業の思惑だけで世界が動いているわけではないのだ。





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最終更新日  2012.01.11 16:25:42



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