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《櫻井ジャーナル》

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2012.02.01
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 破壊、略奪、殺戮。イスラエルやアメリカの好戦派は暴力で人間を支配できると信じているのかもしれないが、現実は憎しみと抵抗を生み出しているだけである。パレスチナ、アフガニスタン、イラクといった地域で起こっていることを見れば明白だろう。

 ところが、日本ではそうした支配方法に心酔している人が少なくない。石原某や橋下某もそうした類の人らしい。そうした好戦的な政策に賛成する国民を作るために「教育」が欠かせない。国民をロボット化、奴隷化、家畜化するために。

 もっとも、こうした「信仰」は彼らだけのものではなく、巨大な背景が存在している。「日の丸」の掲揚や「君が代」の起立斉唱を学校に強制するのは個人的な信念に基づくものではなく、日本の支配層が目指している社会の仕組みを築く上での一里塚だと言えるかもしれない。

 1月30日、東京地裁で開かれた判決公判で古久保正人裁判長は、都立高校の職員会議で教員の挙手や採決を禁じた都教育委員会通知を「教職員の言論の自由の封殺」と主張するのは短絡的だとして、原告の土肥信雄都立三鷹高校元校長の訴えを退けた。

 日本の裁判所が支配層の代弁機関にすぎないことは原子力(核)発電問題に対する姿勢でも明確であり、土肥元校長の訴えを退けたのも支配層の意志を代弁したということだろう。教育委員会が職務命令で「君が代」の斉唱を強制することを裁判所が認めたのも同じことだ。

 まつろわぬ人びとを屈服させるためには、そうした人びとを支える信念、プライドを砕くことが効果的だとする考え方がある。その信念を粉砕すれば、自分たちに絶対服従するようになるというわけだ。ロボット化、奴隷化、あるいは家畜化のための重要な儀式であり、そうした儀式のひとつが「日の丸」の掲揚や「君が代」の起立斉唱を強制することなのだろう。

 最近では、こうした政策の効果なのか、嫌な思いをしないために回避行動する教師も増えているらしい。そもそも、こうした強制策が功を奏したのは、「長い物には巻かれろ」と考える教師が多かったからであろう。自分たちの「サークル」に閉じこもって社会との交流に消極的で独善的だった教師の側にも問題はあった。一方、社会の方では、学校へ通う子どもが自分にいないと、教育の世界での出来事に無関心な人が少なくない。

 勿論、教師だけが「サークル」を作っているわけではない。昨年から話題の「原子力ムラ」も一種の「サークル」である。サークルの中だけで話をしたり、つきあったりしていると、事実を無視した妄想の世界に入りやすく、議論が暴走することもある。旧日本軍の作戦参謀や学生運動の党派でもそうしたことが起こっていた。無謀な戦争や内ゲバなどはその結果だろう。

 管理体制の強化は庶民が通うような学校で特に進んでいるようだ。ある受験産業の資料を読むと、国立校や私立の一部進学校の特徴として「自由な校風」という点が指摘されている。将来のエリートは自立心や思考力を高める必要があり、調教する必要はないということかもしれない。

 ピーター・フランクルは『ピーター流らくらく学習術』(岩波ジュニア新書)の中で、日本の教育は「子供を集団生活に慣れさせる手段」にすぎず、その結果「日本人は、一人では心細いと、グループをつくりたがります」と書いている。また、彼の両親は広島を訪れた際、「強制収容所の監視」のような高校の教師を見て「第2次世界大戦でドイツと日本が同盟国だったことがわかったような気がする」と言ったそうだ。

 日本の教育が始まるのは1890年、「教育勅語」が発布された時だと言えるだろう。この「勅語」に基き、「忠君愛国」と「儒教的道徳」を国民に植えつけていった。国民を洗脳する軸に据えられたのが「皇国史観」であり、その史観を国民に植えつける役割を果たしたのが京都学派と東大朱光会だ。

 その延長線上に「新教育懇話会」や「東京教育懇話会」があり、1970年代の半ばからは管理教育の傾向は強まる。そして「ゆとり教育」という名前のエリート教育につながった。そうした教育の目的は支配層の命令に唯々諾々と従う「考えない庶民」を作り出すこと。福島第一原発後に日本人がどのような言動をしているかを見ると、こうした教育が機能していることがわかる。

 教育改革国民会議で議長を務めていた江崎玲於奈は、「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。」と語っている。ここまでくるとナチスだ。

 現在、欧米では一部の人間が庶民から富を搾り取るシステムを批判する「占拠運動」が広がっている。「格差」という現象を問題にしているのではなく、不公正な仕組みに対する怒りである。

 日本でも中曽根康弘内閣以来、一部の「エリート」だけが富を享受できる社会システムを築いてきた。こうした仕組みを作り上げた既存の政党や官僚に対する怒りは日本でも高まり、社会には不満が蔓延しているのだが、そうした不満を政治に反映させる政党は事実上、ない。そうした行き場のない怒りを吸い上げているのが石原某や橋下某。ところが、目指す先は不公正な仕組みで甘い汁を吸っている勢力と同じだ。

 富の偏在が進む社会で庶民に残された道は、貧困のうちに死んでいくか、蜂起するしかない。蜂起を防ぐためには「考えない庶民」を育てる必要がある。それが日本で推進されている「教育」。教育はファシズム化の重要な柱だ。





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最終更新日  2012.02.02 09:58:32



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