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《櫻井ジャーナル》

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2012.07.16
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 シリアの体制を転覆させるため、イギリス、アメリカ、フランス、トルコなどのNATO諸国やサウジアラビア、カタールなどの湾岸産油国はシリアの反体制を様々な形で支援している。資金援助、プロパガンダ、国連などでのロビー活動だけでなく、将兵を訓練したり武器を提供、さらに自国の特殊部隊をシリア領内に潜入させ、戦闘を指揮しているとも言われている。

 イラクとは違って地上軍を侵攻させることができず、リビアとは違ってシリア政府軍を空爆できないでいるが、何もしていないとは言えない。本ブログでは何度も書いているように、すでに軍事介入している。

 例えば「独裁」や「虐殺」を理由して特定の国の態勢を転覆させるために武器を供給することが許されるならば、イスラエル軍に繰り返し軍事侵攻され、建造物を破壊され、住民が虐殺されているパレスチナ人に武器を供給することも許されて当然、という議論がある。シリアの場合、「虐殺」が理由にされたのだが、この情報が正しくないことはフランスの駐シリア大使も本国に報告していた。

 パレスチナ人の場合、問題の根っこにはイギリス政府の政策がある。1917年、イギリスのアーサー・バルフォア外相の名前でロスチャイルド卿宛に出された書簡に「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と書かれていることは有名だが、そのはるか前、1840年にはイギリス政府が「ユダヤ人の復興」を考えているとタイムズ紙が報じている。その延長線上にイスラエルの建国がある。

 1948年4月4日にパレスチナ征服を目的とした「ダーレット作戦」が発動され、8日にはデイル・ヤーシーン村で254名のアラブ系住民が虐殺され、恐怖に駆られてアラブ系住民が逃げ出す。そして5月14日にイスラエルの建国が宣言された。

 その前、パレスチナで生活していたアラブ系住民は約140万人いたが、5月だけで42万3000年がガザ地区やトランス・ヨルダン(現在のヨルダン)に移住、結局、イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎなかったという。

 1967年にイスラエル軍は奇襲攻撃(第3次中東戦争)でアラブ軍を蹴散らし、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領、今でもガザやヨルダン川西岸では破壊と殺戮を繰り返している。その間、「国際社会」とやらは有効な手立てを講じることがなかった。国連も機能していない。アラブ諸国の政府も傍観者の域を出ていない。

 つまり、パレスチナ人は孤立無援の状態。このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはファタハ。この組織でスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。

 そして1993年、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名した。少なからぬ問題があることは事実だが、和平に向かって大きな一歩を踏み出したとは言える。

 が、この合意に強く反発する人たちがいた。パレスチナ人社会はアラファトの影響力でまとめられるとしても、イスラエルの軍事強硬派やアメリカのネオコン(親イスラエル派)を抑えることは困難だった。因果関係は不明だが、合意後、交渉の当事者には苛酷な運命が待っていた。これは偶然だろうか?

 交渉を仲介していたアメリカのビル・クロントン大統領に対するスキャンダル攻撃が本格化するのは1993年の終盤。1995年11月にはラビンが暗殺され2000ねんにはリクードの党首だったアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、そして2004年にアラファトが死亡する。その死因として浮かび上がってきたのが放射性物質、ポロニウム210だ。

 オスロ合意の前、アメリカでは、少なくとも一部の支配層は旧ソ連圏のほか、中東を軍事的に制圧する意志があった。つまり、オスロ合意は彼らの青写真をメチャクチャにする許し難いことだったのだろう。

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1991年の段階で、旧ソ連圏の国々、シリア、イラン、イラクを5年から10年の間に掃除するとポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は語っている。

 また、ニューヨークの世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された2001年9月11日の直後には、攻撃予定国として、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンをジョージ・W・ブッシュ政権はリストアップしていた。


 さらに、ジョージ・W・ブッシュ政権がサウジアラビアなどの国々と手を組んでシリアやイランを攻撃する秘密工作を始めたと、2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは警告している。

 シリアの反政府派を支援するのも、あるいはガザでの破壊と虐殺を黙認するのも、結局は一部の「西側」支配層やイスラエルが描く支配戦略に基づいている。民主化、人道、独裁、虐殺といった標語は全く意味がない。





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最終更新日  2012.07.16 17:32:54



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