27420595 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

《櫻井ジャーナル》

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

バックナンバー

2012.12.06
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 アメリカの空母アイゼンハワーがペルシャ湾からシリア沖へ移動、強襲揚陸艦イオージマを中心とする両用即応グループと合流したようだ。戦闘員は約1万人、戦闘爆撃機が70機、艦船は少なくとも17隻になるという。

 トルコへの「愛国者ミサイル」配備もそうだが、相当怪しい「化学兵器話」を口実にしてNATOは戦闘態勢に入りつつある。そうした中、1957年に米英が目論んだシリアの体制転覆作戦が注目されている。

 この年、アメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領とイギリスのハロルド・マクミラン首相はシリアがシリアの体制転覆に乗り出した。シリアがソ連に接近することを恐れてのことだ。米英両国の情報機関、つまりCIAとMI6はシリアと親西側の隣国の国境で軍事衝突を演出、それを口実にしてシリアへ攻め込み、シリアの中枢を殺すという計画をたてた。

 ターゲットになったのは軍情報部を統括していたアブド・アル・ハミド・サラジ、参謀総長だったアフィフ・アル・ビズリ、そして共産党の指導者だったハリド・バクダシュ。シリア国内で破壊活動を実行、ムスリム同胞団を焚きつけ、クーデターに持っていこうと計画していたという。この計画は周辺国を説得できなかったことなどで中止になったようだが、こうした過去が現在のシリア情勢に反映されている可能性は高い。

 ところで、シリアの作戦にはアメリカ側からカーミット・ルーズベルトなる人物が参加している。この人物はセオドア・ルーズベルトの孫で、1953年にはイランの体制転覆作戦でも中心的な役割を果たしている。ターゲットの3人を決めたのはカーミットだったようだ。

 その当時、イギリスはAIOC(アングロ・イラニアン石油)を通し、イランで石油利権を握っていたのだが、ムハマド・モサデク政権がAIOCの国有化を打ち出したのだ。利権を守るためにモサデクを排除しようと考え、アメリカのアレン・ダレスに話を持ちかけたのが始まりだった。

 シリアには歴史的にフランスも深く関与している。1920年から46年にかけてフランスの委任統治領だったのである。その背後にはイギリスとフランスが1916年、秘密裏に結んだ「サイクス・ピコ協定」があった。衰退していたオスマン帝国の領土をフランスとイギリスは乗っ取ろうと考えて結んだ協定だ。

 大雑把に言って、この協定ではヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが支配、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンを支配下に置くことになっていた。

 協定が結ばれた翌月、「アラブの反乱」が始まる。この「反乱」で中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにはトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。

 アラブ民族が抱いていたオスマン帝国への不満を利用、イギリスやフランスなどが「反乱」という形で中東/北アフリカを支配していく。「アラブの春」も基本的に同じだと言える。「アラブの春」は中東/北アフリカに悲劇をもたらすのか、あるいは笑劇をもたらすのか・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.12.07 03:34:57



© Rakuten Group, Inc.