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《櫻井ジャーナル》

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2013.03.06
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 ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が58歳の若さで死亡した。南アメリカの結束を強めてアメリカの巨大資本に対抗する流れを作り上げた人物であり、その影響は中東やアフリカへも及んでいた。「キューバを筆頭に、後ろ盾を失った地域の反米左翼陣営が今後苦境を迎える可能性は高い」と朝日新聞の岩田誠司記者は書いている(3月6日付け夕刊)が、これこそがアメリカ支配層の望んでいることにほかならない。

 一昨年の12月、チャベスはアメリカ政府が南アメリカの指導者を癌にしているのではないかと発言している。確かに、癌を誘発する物質やウイルスはあるようで、不可能なことではない。

 この発言の背景には、ブラジルのジルマ・ルセフ大統領、ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領、そしてパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が相次いで癌になった事実がある。同じ時期にアルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領も甲状腺癌だとされ、手術したが、後に癌でなかったとされている。なお、キルチネル大統領の夫、ネストル・カルロス・キルチネル元大統領は2010年に心臓病で死亡している。享年60歳。

 死の前、ネストル・キルチネルはオリバー・ストーンに対し、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が戦争は「経済活性化」の手段だ力説していたと語っている。その様子はドキュメンタリー映画「国境の南」に納められている。

 1999年にチャベスは大統領に就任、2001年から2期目に入る。その年、アメリカの大統領はビル・クリントンからジョージ・W・ブッシュへ交替していた。そこで、ブッシュ政権はチャベス排除に乗り出し、クーデター騒動に結びついたと見られている。

 アメリカ側で実際に動いたとされているのはネオコンでイラン・コントラ事件のも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテだ。

 そのほか、駐在武官だったジェームズ・ロジャーズ中佐の関与も指摘され、クーデターの際にはアメリカ海軍がベネズエラ沖で待機していたともいう。チャベスを排除した後の新政権は実業家のペドロ・カルモーナを中心に作る予定だったようだが、勿論、このクーデターは失敗に終わった。

 20世紀に入る直前からアメリカの支配層は中南米を「裏庭」だとみなしていた。16世紀から膨大な量の金や銀を持ち帰っていたスペインに対する抵抗運動が激しくなっていた19世紀の終盤、アメリカは南への侵略を始める。国内で先住民を殲滅、土地の支配も一段落し、新たな略奪先としてスペインが支配する地域に目をつけたわけである。

 そうした中、1898年にアメリカの軍艦、メイン号がキューバのハバナで爆沈した。船に積まれていた火薬が爆発、アメリカは水雷による攻撃が原因だと主張、戦争に発展したのだが、事故説やアメリカ側の自作自演説を信じる人は少なくない。

 事件の前からキューバをめぐってアメリカとスペインとの間では軍事的な緊張は高まっていた。ウィリアム・マッキンリー米大統領は外交的に問題を解決したいと考えていたのだが、アメリカの新聞はアメリカ国民を煽り、戦争へと駆り立てる。メイン号の事件は外交的解決への道を閉ざすことになり、大統領は開戦に踏み切ることになった。

 戦争はアメリカの勝利で終わり、スペインはキューバの独立を認める。つまり、アメリカがキューバを支配することになった。さらにプエルトリコ、グアム、フィリピンをアメリカは買収する。

 戦争に反対だったマッキンリーは1901年にニューヨークで暗殺され、副大統領から昇格したのがセオドア・ルーズベルト。新大統領は軍事力を使った侵略に前向きで、「棍棒外交」を展開することになる。最初のターゲットがベネズエラだった。次のウィリアム・タフト大統領も棍棒外交を継続するのだが、そうした侵略の先兵として働いたのが海兵隊である。

 こうした流れを見てもわかるように、最初からアメリカは侵略/略奪者にほかならない。略奪の手先として利用してきた勢力も分け前を貰い、巨万の富を築いた。この連中のマネをしようとしているのが現在、日本を支配している「エリート」たちだ。

 第2次世界大戦後、世界各地で植民地が独立していく。こうした中、「民主主義」の看板を掲げたアメリカは海兵隊を送り込むのでなく、破壊工作を採用した。

 例えば、1954年にはグアテマラのヤコボ・アルベンス政権を軍事クーデターで倒している。この政権は1950年の選挙で圧勝していた。民主的なプロセスを経て成立した政権を暴力で倒すのが「民主主義国家」を自称するアメリカ。クーデターの背後ではアメリカの秘密工作、PBSUCCESS進められていた。

 「民主主義は独裁、独裁は民主主義」という声が聞こえてきそうだが、そうした話を広めるためにアメリカはプロパガンダを展開している。その責任者は、後にウォーターゲート事件で登場するE・ハワード・ハントだ。

 キューバに対しては1961年に「亡命キューバ人」による軍事侵攻が試みられている。黒幕はアメリカの軍や情報機関。この侵攻作戦が失敗することは予想されていたことで、本当はアメリカ軍が直接介入する道を作ることにあったと考えられている。が、ジョン・F・ケネディ大統領はアメリカ軍の直接介入を拒否、CIA幹部の責任を問い、アレン・ダレス長官らを解任した。

 その後、統合参謀本部ではキューバを装って破壊活動を展開、その責任をフィデル・カストロ体制に押しつけて軍事侵攻するというノースウッズ作戦が練られたが、これもケネディ大統領に阻止されることになる。この作戦で中心的な役割を果たしたライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長は再任が拒否されている。

 アメリカ軍の直接的な軍事侵攻というシナリオが困難になると、カストロの暗殺を試みるようになる。その回数は600回を超すともいう。CIAがとんまだったという見方もあるが、ある元CIAエージェントによると、明るみに出るのは失敗した工作だけ。キューバ以外では成功していると言いたかったようだ。その元エージェントが1980年代に話していたことだが、その当時、特殊な噴霧器にサリンを入れて吹き付けるという方法が使われているということだった。

 1973年にはチリで軍事クーデターがあった。1970年の選挙で勝利したのは、アメリカ支配層にとって都合の悪い社会党のサルバドール・アジェンデ。クーデターの際にアジェンデは死亡、彼を支持していた3000名以上の人も殺されたと言われている。

 この当時の大統領はリチャード・ニクソンだが、ウォーターゲート事件で身動きのとれない状況。事実上、アメリカ政府を動かしていたのはヘンリー・キッシンジャーだった。クーデターの黒幕はこのキッシンジャーだ。

 ウォール街にとって都合の悪い政権を倒し、邪魔な勢力を一掃した後に乗り込んできたのが経済学者のミルトン・フリードマンの一派。いわゆるシカゴ・ボーイズだ。国有企業を私有化、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、そして外国からの投資を促進する政策を推進する。後に、健康保険、年金、教育なども私有化しようと試みている。こうした政策の結果、チリの国内産業はダメージを受けて経済の根幹部分を外国の投資家が支配することになる。(ここにTPPの本質が示されている。)

 こうしたアメリカの支配が1980年代に入ると崩れ始め、チャベスの登場につながったわけである。リビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィもチャベスに影響を受けたようで、自国が保有する金、あるいは産出する石油を利用してアフリカ諸国を欧米のくびきから解放しとうとしている。その象徴が金貨ディナール。ドルと決別しようとしたのだ。が、彼は「アフリカのチャベス」になることはできなかった。NATO、湾岸諸国、そしてアル・カイダによって体制が倒され、虐殺されてしまったのである。

 現在、欧米の支配システムは自壊し始め、アメリカやイギリスなどはこうした歴史の流れを力ずくで止めようとしている。「反米左翼陣営が今後苦境を迎える」ことを願っているわけだが、すでに南米の民衆は覚醒している。中東のように殺戮と破壊を持ち込むことはできても、かつてのような独裁体制を復興させることは難しいだろう。





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最終更新日  2013.03.07 14:31:49



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