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《櫻井ジャーナル》

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2013.07.28
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 エジプトでムスリム同胞団を支持母体とするハメド・ムルシの支持者に対し、治安部隊はゴム弾や催涙弾だけでなく実弾を発射し、多くの死傷者が出たようだ。あのアル・ジャジーラは、健康省の情報として60名、同胞団側の主張として120名という死者数を示し、欧米のメディアは120名という数字を前面に出している。

 これだけ軍側が強硬な大きな理由は3つ考えられる。国内的にはムスリム同胞団によって自分たちの利権が脅かされているということであり、国際的にはアメリカ政府の容認、あるいは指令があるということ、そしてカタールの首長交代である。

 ムルシ政権が誕生する背景にもアメリカが存在していた。そもそもムルシも自分をアメリカ政府の手先だと自覚していた人物。その関係を過信、自分たちの暴走も許され、クーデターはアメリカ政府が許さないと思い込んでいたようだ。

 ムルシは1982年に南カリフォルニア大学で材料科学の博士号を取得、82年から85年までカリフォルニア州立大学で助教授を務めた後、航空宇宙局(NASA)でエンジニアとして働いた経験がある。

 ただ、このムルシを排除した軍最高評議会のアブデル・ファター・エル・シーシ議長もアメリカの手駒で、1992年にイギリスの統合指揮幕僚大学で学んだ後、また2006年にはアメリカの陸軍大学に留学した経験がある。

 アメリカとムスリム同胞団との関係を象徴する人物がヒラリー・クリントンの側近だったヒューマ・アベディン。母親のサレハはムスリム同胞団の女性部門を指導している人物で、夫は親シオニスト派のアンソニー・ウィーナー元下院議員。セックス・スキャンダルで2011年に議員を辞職し、現在はニューヨーク市長選を目指して活動しているようだが、最近も女性関係のスキャンダルで話題になっている。

 軍が動く直前、エジプトでは反ムルシの抗議活動が活発化した。ムルシ大統領が自分の権力を無制限に拡大したことが切っ掛けで始まったが、その前からキリスト教徒など少数派が襲撃される事件が続発していたと報告されている。

 こうした抗議活動では、デモの参加者が掲げたバナーやプラカードに汎アラブ主義、ナショナリズム、社会主義などを支持するフレーズが書かれていたようで、反米/親露的な空気も広がっていた。こうした運動がムルシ政権を倒したなら、反米的な政権が誕生する可能性があり、ガマール・アブドゥン・ナセルが急死してから封印状態だったアラブ・ナショナリズムが復活することも軍やアメリカ政府は懸念しただろう。

 もうひとつ、注目されているのがカタール。6月下旬に首長がハマド・ビン・ハリーファ・アールサーニーから息子のタミーム・ビン・ハマド・アールサーニーへ交代になったのである。前首長時代、カタールは「アラブの春」の背後で暗躍、自国のメディア、アル・ジャジーラをプロパガンダの道具として使い、体制転覆を仕掛けていた。

 カタールはエジプトのムルシとは密接につながり、中東/北アフリカのイスラム武装勢力を動かしていた黒幕とも言われているのだが、その背景にはムスリム同胞団の精神的な指導者、ユスフ・アルカラダウィが数十年間、ドーハ(カタールの首都)に住み、活動の拠点視してきたということもある。そのカタールで首長が交代したことも、ムルシには痛かっただろうが、この首長交代もアメリカ政府の意思が影響していた可能性がある。

 かつて、アメリカの支配層は手駒だったはずのタリバンをコントロールできなくなったという経験もある。ムルシも同じようにコントロール不能になったのかもしれないが、エジプト軍もアメリカに忠誠を誓っているとは言いがたい。アメリカの軍事援助も30年の間増えていないようで、影響力の低下は否めない。アメリカ国防総省はエジプトへのF-16供与を延期したようだが、これも、そうした微妙な関係が影響しているのだろう。

 似た構図がトルコでも当てはまる。





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最終更新日  2013.07.29 14:29:46



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