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パレスチナ解放闘争の象徴的な存在だったヤシル・アラファトが死亡して9年になる。そのアラファトの遺体を調査していたスイスのローザンヌ大学病院放射線物理学研究所のチームは、少なくとも通常レベルの18倍という放射性物質のポロニウム210を発見、ロシアの調査団も同じ物質を検出したという。死亡した直後から暗殺説は流れていたのだが、今回のポロニウム検出で疑いは強まったと言えるだろう。
暗殺を実行したと疑われているのはイスラエル。2001年にイスラエルの首相となったアリエル・シャロンはアラファトを排除する計画を立てたとその年、ル・モンド紙は報道した。2003年に暗殺が決まったという情報も流れている。 ポロニウム210による毒殺と聞いて、2006年に死亡したアレクサンドル・リトビネンコを思い出す人も少なくないだろう。ボリス・エリツィン時代のロシアで巨万の富を築いた「オルガルヒ」のひとり、ボリス・ベレゾフスキー(亡命後、プラトン・エレーニンへ改名)のボディー・ガードを務めていた人物で、ロシアの情報機関FSBの元メンバー。イギリスではMI6(イギリスの対外情報機関)の仕事をしていたと言われている。 リトビネンコの体調が悪くなった日、ロンドンの「寿司バー」で彼と会っていたイタリア人のマリオ・スカラメッラはECCP(環境犯罪防止プログラム)という組織を運営、その一方でナポリの犯罪組織、カモッラともつながっていた。 その一方、スカラメッラはイタリアの情報機関とも緊密な関係にあり、2002年にローマの近くで開かれた秘密会議では、情報大臣だったフランコ・フラティニ、SISDE(治安機関)のマリオ・モッリ長官、SISMI(対外情報機関)のニッコロ・ポッラーリ長官、ルイジ・ラムポーニ元SISMI長官と同席している。後にポッラーリ長官はCIAによる拉致事件に絡んで解任されるが、この拉致にはスカラメッラも協力していたという。 リトビネンコは殺される数週間前にイスラエルを訪れ、ロシアの石油会社ユーコスの元幹部レオニド・ネフツーリンと会っているのだが、ベレゾフスキーは少なくとも一時期、イスラエルの市民権を持っていた。亡命後、ベレゾフスキーが親しくしていた人物には、ニール・ブッシュ、マイケル・ミルケン、ルパート・マードック、ジェイコブ・ロスチャイルド卿、ナサニエル・ロスチャイルドがいる。 ベレゾフスキーは蓄財の過程でチェチェンの犯罪組織と結びつき、反ロシア勢力ともつながっていていたと言われる。現在、その勢力のメンバーがシリアへ入り、体制転覆を目指して戦っている。また、エリツィンが失脚した後、相当数の犯罪組織メンバーがイスラエルへ逃れ、情報機関とも結びついたとも指摘されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.11.09 13:57:13
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