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《櫻井ジャーナル》

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2013.11.28
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 60年前に同じ病院で生まれた子どもが取り違えられていたことがわかり、東京地裁は取り違えた病院に対して3800万円の賠償を命じたという。訴えた男性の実の親は豊かで教育熱心だったのに対し、育った家は母子家庭で生活保護を受け、工場で働きながら定時制高校に通う環境だった。そのことから、「男性の本来の家庭は裕福だったのに、高等教育を受ける機会を失わせて精神的な苦痛を与えた」と裁判官は認定したようだ。

 実の親から引き離されて生じた精神的な問題は別にして、経済力と教育との関係は政策の問題である。実の親に育てられていても、さまざまな理由から経済的に苦しい環境にある人は少なくない。そうした環境の中に置かれた子どもをどう考えるのか?

 斎藤貴男の表現を借りるならば、日本は「機会不平等」の社会になっていて、向学心も能力もある子どもが経済的な理由から進学できないケースもある。そうした子どもも「重大な不利益」を被っているのではないのか。

 「家庭環境だけで必然的に学歴が決まるわけではない」とはいうものの、日本では家庭環境が圧倒的に重要な要素だということは明らか。バーテルスマン基金が算出した指数によると、日本の「社会的公正さ」はOECDの中で22位。(PDF)日本が不公正社会だということは世界が認めているということ。

 こうした不公正な社会を作り上げた「理論」は新自由主義。「神の見えざる手」が支配する架空の「理想的市場」を絶対視する一種の宗教だ。実際の市場は圧倒的な資金力と情報力を持つ個人や集団に動かされているわけで、新自由主義のキーワードは「操作」であり、新自由主義に基づく教育も社会的に有利な立場にある人びとによって操作されることになる。

 安倍首相の私的諮問機関だという「教育再生実行会議」が提出した「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」は、アメリカのように情実入学を公然と認める内容。恣意的に合格者を選べる仕組みを作ろうとしている。

 教育課程審議会の会長を務めた作家の三浦朱門はかつて、「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年)と主張していた。

 しかし、「教育再生実行会議」の提言を見ると、日本の「エリート層」は自分たちの仲間の子どもを「できる者」と位置づけ、庶民の子どもは「限りなくできない非才、無才」として切り捨てようとしている。こうした政策を推進すれば、能力のある子どもを切り捨て、「非才、無才」が「エリート」として社会に君臨することになる。

 不公正な社会は衰退していく。日本がそうした仕組みの国だということを今回の子ども取り違えは示している。子どもの取り違えで教育環境が大きく変わってしまうのは社会的な犯罪だ。





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最終更新日  2013.11.29 03:00:46



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