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《櫻井ジャーナル》

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2014.01.15
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 1月11日に死亡したアリエル・シャロン元イスラエル首相はパレスチナ人虐殺を指揮しただけでなく、武器商人として中米の軍事独裁政権とつながっていた。

 シャロンが行った最初の「英雄的行為」は、1953年に第101部隊(特殊工作を実行する)を率いて行ったガザの難民キャンプ襲撃。イスラエル側の記録でも住民50名が殺されている。1971年にガザへの軍事侵攻を指揮した際には住民虐殺と住宅破壊だけでなく、ブルドーザーを持ち込み、その後の侵攻が容易になるように、広い道を作っている。

 1973年に退役してリクード党の創設に参加、国会議員選挙に当選するのだが、すぐ辞職し、1975年から77年にかけて武器商人として活動した。シャロンのネットワークに所属していたひとり、マイク・ハラリはモサドの「元作戦部長」。

 1972年9月、ミュンヘン・オリンピックの開催中にイスラエルの選手団を襲撃した「黒い九月」のメンバーを追跡、暗殺する作戦をハラリは指揮したのだが、73年7月に無関係の人間をノルウェーのレストランで殺害、その後にハラリはメキシコへ渡り、パナマのマヌエル・ノリエガと緊密な関係を築くことに成功していた。

 オリンピック襲撃の目的は人びとの関心をパレスチナに向けることで、当初、人質の殺害は意図していなかった。イスラエルのゴルダ・メイア首相も暴力を使わずに解決する方針だったのだが、モシェ・ダヤン国防相が反対する。イスラエルの強硬姿勢を示すため、人質は犠牲にするということ。結局、ダヤンの主張が通り、襲撃グループ5名と人質9名が殺された。ちなみに、このダヤンは第890空挺大隊でシャロンと一緒だった人物だ。

 シャロンの取引相手はパナマのほか、メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、コスタリカも含まれ、ロナルド・レーガン大統領の時代に行われたニカラグアの反体制ゲリラ「コントラ」支援にもシャロンのネットワークが利用されたと考えられている。

 レーガン時代、グアテマラではエフライン・リオス・モント政権が民主化勢力を虐殺、拷問、レイプなどで弾圧していた。この人物はアメリカ支配層の傀儡で、1982年の軍事クーデターで実権を握り、弾圧にはUH-1Hヘリコプターも使われているのだが、こうした武器/兵器を直接軍事政権へ渡せないレーガン政権はイスラエル情報機関のネットワークを使っている。当然、シャロンが関係してくる。

 第2次世界大戦が終わる前からグアテマラは民主化された。1944年には初めて選挙で大統領が決められ、1951年の選挙で勝ったのがヤコボ・アルベンス・グスマン。新政権は農地改革法を公布して国有地の分配、大地主の土地買い上げを実施する。つまり、アメリカの巨大資本は利権を失ってしまう。そこで1954年にアメリカ政府は軍事クーデターでグスマン政権を倒したわけだ。この前年、アメリカはイランで合法的政権をクーデターで倒しているが、その秘密工作人脈がグアテマラへ移動している。

 この当時、モントはパナマにあったアメリカの軍事訓練施設、SOAに派遣されていた。この施設の訓練内容は、反乱鎮圧技術、狙撃訓練、ゲリラ戦や心理戦、軍事情報活動、そして尋問法など。なお、SOAは1984年にパナマを追い出されてアメリカのジョージア州へ移動、2001年にWHISECへ名称が変更されている。

 グアテマラの軍事政権は民主化勢力を弾圧するため、監視システムも使われている。不特定多数の人びとを追跡し、情報を集積、分析するシステムPROMIS(日本の法務省も注目していた)を導入したのだ。このシステムを使うために傀儡政権は「IT化」を進めている。

 このシステムはアメリカ司法省が民間企業から詐取したという判決、あるいは下院の報告書が出ている。そのシステムにアメリカとイスラエルの情報機関がトラップ・ドアを組み込み、全世界に売り、さまざまな機関の情報を盗む仕組みを作り上げた。

 このシステムは、あらゆる個人情報を集め、分析することで反体制派を追跡することが可能。偽名を使っても身長、頭髪の色、年齢などで特定され、友人の家に隠れても水道やガスの使用量が不自然に増えれば警察に踏み込まれてしまう。その結果、1985年の後半になると、グアテマラでは反体制派が壊滅状態になった。この間、約2万人の反体制派が殺害されたり行方不明になったと言われている。

 こうした監視システムが「テロ行為」を防いだことは皆無に等しいが、民主化勢力を潰すためには、きわめて有効だというわけだ。

 シャロンはパレスチナ周辺で破壊と殺戮を繰り返しただけでなく、武器商人として中米が民主化する動きを潰し、虐殺を支援していたと言えるだろう。





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最終更新日  2014.01.15 18:57:05



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