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《櫻井ジャーナル》

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2014.04.18
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 ポーランド政府がキエフのクーデターに協力していたとポーランドで報道されている。ウクライナのネオ・ナチは2004年以降、バルト3国にあるNATOの訓練施設でメンバーを軍事訓練していると言われているが、ポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練をしたという。

 訓練の内容には、追跡技術、群集操縦、ターゲットの特定、戦術、指揮、緊張した状況における行動制御、警察のガス弾に対する防御、バリケードの建設、そして銃撃のクラスにも参加して狙撃も学んだという。そうした訓練をキエフで生かしたわけだ。

 ロシアに対抗するため、ポーランドのトマシュ・シモニャク国防相はNATO軍を派遣しろと主張しているようだが、これもポーランドがクーデターを支援していることを示している。

 ところで、アメリカが東ヨーロッパへの揺さぶりを本格化させるのは1970年代のこと。1979年にハンガリー生まれの投機家、ジョージ・ソロスは「オープン・ソサエティ基金」を開始、84年にはハンガリーでも基金を創設した。

 1979年にはポーランド生まれのズビグネフ・ブレジンスキー米大統領補佐官がソ連軍をアフガニスタンへ誘き出すための秘密工作を始め、エルサレムではアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとが「国際テロリズム」に関する会議を開き、「ソ連がテロの黒幕」だというキャンペーンを開始している。

 そして1980年には「連帯」が設立されるが、この反コミュニスト労組は「西側」から支援を受けていて、活動資金のほか、当時のポーランドでは入手が困難だったファクシミリ、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたと言われている。「連帯」の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年)

 資金の一部はバチカン銀行の不正融資という形で送られ、こうした取り引きが発覚してイタリアの金融界は大騒動になり、アンブロシアーノ銀行の倒産にもつながった。このとき、バチカン銀行の頭取だったのがシカゴ出身のポール・マルチンクス。アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは1980年5月、ポーランド生まれの教皇ヨハネ・パウロ2世が銃撃された1週間後に逮捕され、翌年の6月にロンドンで変死体が発見された。

 マルチンクスはローマ教皇パウロ6世(ジョバンニ・バティスタ・モンティニ)の側近で、このパウロ6世はモンティニ時代からCIAと緊密な関係にあった。したがって、マルチンクスもアメリカの情報機関とつながっている可能性が高く、「連帯」への不正融資も背後にはCIAが存在していたと考えるべきだろう。CIAと関係があると見られている人物が「連帯」に接触していたとも言われている。

 ヨハネ・パウロ2世を銃撃したモハメト・アリ・アジャが所属していたトルコの右翼団体「灰色の狼」は「NAP(民族主義行動党)」の青年組織で、「NATOの秘密部隊」につながっていると見られているのだが、こうした背景を「西側」は無視する。そして3名のブルガリアが起訴されたが、1986年3月に無罪の判決が言い渡された。

 CIAの秘密刑務所が設置された国のひとつであるポーランドは現在、アメリカの手先として活動している。そのポーランドをアメリカが支配する突破口を作った「連帯」。その労組で議長を務めたワレサはポーランド大統領を経て2002年にアメリカのソフトウェア会社の重役に就任、資本主義社会の「成功者」になったと言えるだろうが、大多数のポーランド人やウクライナ人には縁のない話だ。





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最終更新日  2014.04.18 05:19:36



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