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《櫻井ジャーナル》

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2014.07.07
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 今から77年前の7月7日、中国の北京(南京を首都と定めた国民政府は北平に改名)郊外の盧溝橋で日本軍と国民革命軍(国民政府の軍隊)と軍事衝突、全面戦争に突入した。この事件を記念する式典が中国で開かれ、習近平国家主席が出席して演説、中国への侵略行為を批判したという。

 盧溝橋事件は中国側の銃撃が引き金になったとされているが、銃弾は上空へ向けて発射されているので攻撃でないことは明らかだった。銃弾の発射には迷子になった日本兵が関係しているとする証言もあるが、そうした事情よりも重要なことは、日本軍が中国に駐留し、軍事的な緊張が高まっていたことにある。

 この事件を考えるには、少なくとも「琉球処分」までさかのぼる必要がある。言うまでもなく、琉球王国を潰して「沖縄県」を設置した「処分」だ。

 徳川体制を倒した薩摩藩や長州藩を中心とする勢力は新政府を樹立、強い自治権を持っていた「藩」を廃止、中央政府が派遣する知事によって支配される「県」を置くことにする。これが1871年7月に行われた「廃藩置県」だが、その翌年に「琉球藩」を設置している。

 廃藩置県の3カ月後に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺されるのだが、この事件を利用して台湾を軍事制圧しようと考えた人物が明治政府の中にいたようで、宮古島を日本領だという形を作ろうとする。そして琉球王国を潰して琉球藩を設置したということだ。

 こうした事情があるため、第2次世界大戦後、ダグラス・マッカーサーは記者団に対して「沖縄人は日本人ではない」と発言し、昭和天皇もアメリカによる沖縄の軍事占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」のもとでおこなわれることを求めるという内容のメッセージを出しているのだろう。

 第2次世界大戦の終盤、一般民衆約50万人を巻き込む激しい地上戦が戦われた沖縄は、日本が「独立」した後もアメリカ軍に支配され、軍事訓練、兵站基地、出撃拠点などのために利用されてきた。

 そうした体制を整えるため、アメリカ軍は「沖縄占領と同時に、住民を収容所に入れている段階で、白地図に線を引くようにして広大な軍用地を接収し、これを無償で使用し」、武装米兵を動員した暴力的な土地接収も行われている。(中野好夫、新崎盛暉著『沖縄戦後史』岩波書店、1976年)

 その間、「移民政策」も進められ、1952年にはフーバー研究所のジェームズ・ティグナーは移住先としてボリビアの東部地域を強く推薦し、最初の移民400名を移民させるための予算として16万ドルを要求している。

 土壌の豊かな50ヘクタールの土地が無償で提供されると約束されて移民した家族が送り込まれた場所は鬱蒼としたジャングルで、そこから鉄道までの道もなかった。大きな川に橋も架かっていないうえ、水を得るためには何キロメートルも歩かねばならず、その水には塩分が含まれていたという。

 1954年には人民党中央委員の林義己や畠義基に退島命令が出され、同党の瀬長亀次郎書記長らは逮捕されているが、その直後、55年から57年にかけて琉球民政長官を務めたのが後の統合参謀本部議長、ライマン・レムニッツァー。議長時代、キューバ政府を装って爆弾攻撃を実行、旅客機の撃墜を演出してキューバへアメリカ軍を軍事侵攻させるという「ノースウッズ作戦」(ジョン・F・ケネディ大統領が阻止した)で中心的な役割を果たしている。ソ連への先制核攻撃を妄想していたカーティス・ルメイの同志だ。レムニッツァーが琉球民政長官だった1956年に比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死している。

 それはともかく、1874年に日本は台湾へ軍隊を派遣、その翌年には軍艦を李氏朝鮮の首都「漢城(現在のソウル)」近くにある要衝、江華島へ接近させて挑発、軍事衝突に発展し、「日朝修好条規」を結ばせることに成功した。1894年に朝鮮半島南部で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると「邦人保護」を名目にして軍を派遣、朝鮮政府の依頼で出兵した清国の軍隊と軍事衝突、日清戦争、そして日露戦争へとつながる。

 さらに、1927年に日本軍は「日本人居留民の保護」を口実として山東に派兵、その翌年に張作霖を爆殺し、31年には柳条湖で南満州鉄道を爆破して中国東北部を制圧することになる。そして「盧溝橋事件」につながった。日本人の発想なのか英米人の考えなのかはともかく、琉球処分から盧溝橋事件まで、そして今も東アジアを支配するという一貫した戦略に基づいて日本は動いているようにしか見えない。その背後では米英が蠢いている。





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最終更新日  2014.07.08 00:55:20



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