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《櫻井ジャーナル》

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2015.03.11
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 全面核戦争になるであろう第3次世界大戦の危機が高まる中、西側支配層の内部で対立が生じている。好戦派の暴走にブレーキをかける動きが出てきたのだが、日本は好戦派に従属したまま。その関係を象徴しているのが世界第10位の金持ちで、2013年にはイランを核攻撃で脅すべきだと主張していたシェルドン・アデルソンだ。この人物は賭博を稼業とし、昨年2月には日本を訪れて100億ドルをカジノのために投資したいと語っている。

 日本には競馬、競輪、競艇、オートレース、さらにグレーゾーンながらパチンコといった博奕が存在、政治家や官僚の利権になっている。そうした人びとの世界でカジノを合法化したいという思いは昔からあり、2010年4月には超党派でカジノ議連(国際観光産業振興議員連盟/IR議連、通称:カジノ議連)が設立された。その時に参加した議員は74名、現在は224名に達するという。

 アデルソンは日本でカジノ・ビジネスを展開するため、2013年11月にはIS議連の細田博之会長(自民党幹事長代行)にプレゼンテーションを行い、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想の模型を披露しながらスライドを使って説明したという。その翌月、自民党などはカジノ解禁を含めた特定複合観光施設を整備するための法案を国会に提出した。

 そして2014年2月にアデルソンは来日、日本へ100億ドルを投資したいと語る。世界第2位のカジノ市場になると期待、事務所を開設するというのだが、安倍晋三首相はすぐに反応、翌月の衆議院予算委員会でカジノを含む「統合型リゾート(IR)」に前向きの発言をしたのだ。そして5月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙が今年2月5日付け紙面で伝えている。

 アデルソンを単なる賭場の胴元だと考えてはならないことはイランへの好戦的な発言からもわかる。アデルソンに動かされていると言われるネタニヤフの好戦性はイスラエルの情報機関、モサドの長官を務めたメイル・ダガンらからも批判されるほど危険なもの。カジノに目が眩んでいるのかもしれないが、日本の政治家は自分たちが誰に取り込まれようとしているかを理解しなければならない。カジノも地下経済と深く結びつき、オフショア市場(タックス・ヘイブン)ともつながっているわけで、情報機関や犯罪組織も関係してくる。

 アデルソンはアメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営している。現在、マカオは中国領だが、1999年まではポルトガルの植民地。第2次世界大戦でポルトガルは「中立国」だったが、1942年から45年までは日本がマカオを占領していた。

 大戦中、ドイツや日本は占領地で金塊や財宝を略奪したが、戦争の終盤にそれらを隠し始める。ドイツは「中立国」のスイスやポルトガルへ持ち込み、日本はフィリピンに集積させて一部は日本へ持ち帰った。フィリピンでは山間部に埋められたと言われているが、金塊が東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行へ運び込まれたとも言われている。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)(注)

 こうした財宝の存在をアメリカはつかみ、情報はヘンリー・スティムソン陸軍長官(戦争長官)へ伝えられた。その下にいたのがジョン・マックロイ、ロバート・ラベット、そしてロバート・アンダーソン。1944年7月に連合国の44カ国から代表がアメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズに集まって国際通貨金融会議が開かれたが、その際、極秘裏に略奪財宝の処理方法について協議されたとも言われている。

 その後、金の取り引きが規制されるのだが、マカオは「見落とし」で協定の対象外になり、日本に利用されることになった。ヨーロッパではスイスにある国際決済銀行(BIS)がナチスの略奪財宝をロンダリングしたと信じる人は少なくない。マカオやBISは戦後の闇へ通じている。

 西太平洋の情報活動はダグラス・マッカーサーがOSSを排除していたことから、チャールズ・ウィロビーが指揮することになる。ウィロビーはドイツ生まれで、親ナチスとして知られている。占領時代の日本ではGHQ/SCAPのG2(情報担当)部長を務め、「怪事件」の黒幕と噂されている。フィリピンでの財宝捜索はマッカーサーと親しい「超保守的な企業弁護士」のコートニー・ホイットニー中佐が行う。企業弁護士ということは、OSSの長官だったウィリアム・ドノバン、破壊活動を指揮していたアレン・ダレスたちのようなウォール街の弁護士と同じ世界の人間ということだ。

 後にフェルディナンド・マルコスは財宝の一部を探し出したと言われている。マルコスにビューティー・クィーンだったイメルダ・ロムアルデスを紹介したフィリピン系アメリカ人のサンタ・ロマーナはマッカーサーやホイットニーと親交があり、何らかのつながりから財宝に関する知識を得たと言われている。その情報がイメルダを介してマルコスへ伝わった可能性がある。

 財宝に関する情報は捕虜になっていた日本軍の将校からロマーナが聞き出し、エドワード・ランズデール大尉(当時)へ伝えられたのは日本が降伏した後の1945年10月。その情報を持ってランズデールは東京へ向かい、マッカーサー最高司令官のほか、G2のウィロビー少将やGS(民政局)のホイットニー准将へ伝え、さらにワシントンDCでジョン・マグルーダー准将へ説明した。マグルーダーはOSS出身。つまりドノバンの部下だった人物である。マグルーダーの命令でランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当スタッフにも会ったという。そしてスティムソン陸軍長官が知るところになり、財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考えたようだ。

 ちなみに、OSS(アメリカの戦時情報機関)のメンバーだったランズデールは山下奉文大将が降伏した8日後にフィリピンへ入り、ウィロビー少将の下へ配属になっていた。ランズデールは戦後、CIAの幹部として秘密工作を指揮することになり、その中にはキューバの革命政権を倒す工作も含まれている。

 この財宝に関する情報が外部へ漏れる切っ掛けはマルコスがアメリカ軍に国外へ連れ出されてから。1983年8にマルコスの政敵だったベニグノ・アキノが空港で射殺され、フィリピン国内で反マルコスの声が高まっていく。1986年2月には大規模な抗議活動が展開され、100万人がマニラの通りを埋めたとも言われている。そうした混乱の中、マルコスは家族と一緒にハワイへ連れ出された。この作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだという。そして、マルコスの財宝に関する裁判が起こされ、情報が漏れ出すことになった。

 なお、アデルソンが仲間とラスベガスのサンズ・ホテルを買収し、カジノの世界へ入るのは1989年のことだ。

(注)現在、ギリシャ政府はドイツに対し、大戦時に盗んだ財宝を返すように要求しているが、その根拠はここにある。その要求が拒否されたことからギリシャ政府はドイツ資産を押さえるとしている。





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最終更新日  2015.03.12 02:34:11



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