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《櫻井ジャーナル》

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2015.05.17
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 アメリカのジョン・ケリー国務長官が5月12日にロシアのソチを訪問し、ウラジミル・プーチン大統領らと会談した。その際、ウクライナでの戦闘を終わらせるためにミンスク合意、つまり2月11日にベラルーシのミンスクでウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの首脳が集まって決めた停戦合意を支持する姿勢を明確にし、クリミアやドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)に関する作り話をすることもなかった。さらに、イランやシリアの問題も話し合ったようだ。すでにバラク・オバマ大統領はネオコン/シオニストの反対を押し切ってイランとの話し合いを進め、シリアでもオバマ政権は別の道を模索しているようで、ネオコン離れを明確にしてきたように見える。

 しかし、ウクライナではネオコンを後ろ盾にするネオ・ナチは健在であり、シリアではネオコン、イスラエル、サウジアラビア、カタール、トルコといった勢力や国々は反政府軍を支援を続け、バシャール・アル・アサド政権は軍事的に押されているとする話がネオコン/イスラエル系の人びとから流れて来る。トルコに近い北部でISは支配地を広げているようだが、イスラエルやヨルダンが空からISを支援しているという情報も伝えられている。イスラエルとISとの連絡係がアル・ジャジーラ(カタールのテレビ局)の取材スタッフに紛れ込んでいるという情報もある。

 イスラエルは何度かシリアを空爆しているが、今年1月18日にはISを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊を攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。イスラエルが負傷した反シリア政府軍の兵士を治療しているともいう。

 2013年9月、退任間近だった駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンは、シリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っているように、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権はアサド体制を倒すためならアル・カイダやISとも手を組むという姿勢だ。

 アル・カイダ/ISへの支持を隠していないイスラエルとは違い、アメリカ政府は戦っているという立場。5月16日には、シリアの東部でアメリカ陸軍の特殊部隊がISの幹部を殺害したとオバマ政権は発表している。イラクに駐留している部隊がV-22オスプレイとブッラクホーク・ヘリコプターでシリア領内へ入り、作戦を実行したのだという。オバマ政権がISを押さえ込みにかかった可能性もあるが、これまでも嘘の戦果を宣伝しているので、何とも言えない。

 ISが広く知られるようになったのは昨年6月、イラク北部の都市、モスルを制圧してからのことだろう。この武装集団の動きをアメリカは事前にスパイ衛星、通信の傍受、あるいはスパイ網などで把握していたはずなのだが、全く反応しなかった。

 2011年10月にリビアで侵攻軍はムアンマル・アル・カダフィを惨殺しているが、その時はまずイギリスの偵察機が発見し、フランスの戦闘機が2発のレーザー誘導爆弾をカダフィの車列に投下、アメリカ軍の無人機プレデターも攻撃したとされている。最後は反政府武装グループがリンチのうえで殺している。この程度のこともISに対しては行っていない。

 モスル制圧の3カ月前、イラクの首相だったノウリ・アル・マリキはサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると批判しているが、これは事実だと考えられている。その反政府勢力とはISだ。その後、アメリカへの不信感を強めていたマリキはロシアへ接近、選挙でも勝利するのだが、首相になることはできなかった。

 そのISの指揮系統が不明確で、誰がトップなのかもはっきりしない。昨年1月に死亡した元イラク空軍大佐のサミル・アブド・ムハンマド・アル・フリファウィ、通称ハジ・バクルが残した文書には、シリア北部で「カリフ制国家」を樹立する詳細な計画が書かれていて、情報活動、殺人、拉致などの手法も記されていたという。虐殺は「狂信者」の行為ではなく、元情報将校による冷徹な計算の元で行われていたのだという。

 つまり、フリファウィがISの中枢にいたというのだろうが、イランの義勇兵組織、バスィージのモハマド・レザ・ナクディ准将はISの司令部がイラクのアメリカ大使館にあると語り、ISを実際に指揮している、あるいは生みの親はアメリカ陸軍の退役少将で心理戦の専門家であるポール・バレリーだとする情報も伝えられている。バレリーは、アメリカのFOXニュースに「軍事アナリスト」の肩書きで登場していた人物だ。

 アル・カイダの象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンについての話も怪しげなものばかりだ。2001年7月にビン・ラディンが腎臓病を治療するため、アラブ首長国連邦ドバイの病院に入院していたとル・フィガロ紙は報道している。その入院患者を見舞うために家族のほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪れているのだが、それだけでなく、CIAのエージェントも目撃されている。

 そうした病人が山岳地帯でゲリラ戦を指揮しているという話に疑問を持つ人は少なくないが、それだけでなく、エジプトで出されているアル・ワフド紙の2001年12月26日付け紙面にはオサマ・ビン・ラディンの死亡記事が掲載されている。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。

 しかし、アメリカ政府によると、ビン・ラディンはその後も生き続け、2011年5月にパキスタンで特殊部隊のSEALチーム6が殺害したことになっている。住民の証言ではその家にオサマ・ビン・ラディンは住んでいなかったのだが、それだけでなく、10人から12人のグループを運んできたヘリコプターは、そのグループを20分に回収して飛び立ったところで爆発、炎上したという。この作戦に参加していた人びとはパシュトゥーン人の言葉を話していたとも住民は証言している。こうした証言や情報は反映されていないが、シーモア・ハーシュもビン・ラディン殺害に関するオバマ政権の発表は嘘だとする記事を発表している。

 アメリカ/NATOやペルシャ湾岸産油国から流れてくる話には嘘が多く、状況を把握することは難しのだが、アメリカ/NATOがシリアを直接、軍事的に攻撃する計画を止めたことは確か。

 2013年9月3日、NATOによるシリア攻撃が決定的であるかのように西側で伝えられる中、地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、明らかにされるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。それ以降、アメリカ政府はシリアを攻撃する姿勢を見せず、イランとの交渉に入った。

 ロシアとの軍事衝突は得策でないとオバマ大統領は考えているようだが、ネオコンは「凶人理論」や「狂犬戦術」に固執、脅せばロシアでも中国でも思い通りになると思っているようだ。ネオコンの背後には強大な利権構造が存在するが、オバマ大統領の周辺は利権を手にするより核戦争を避ける道を選んだようだ。そのネオコンに付き従っているのが日本の「エリート」である。





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最終更新日  2015.05.17 23:31:08



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