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《櫻井ジャーナル》

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2015.05.29
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 先週、イエメンで「サウジアラビア」とペイントされたF-16戦闘機が撃墜されたと伝えられている。その前にはモロッコのF-16が撃ち落とされたようで、攻撃側がイエメンの防空能力を甘く見過ぎていたことは明らかだ。

 この「サウジアラビア」機はイスラエルの戦闘機ではないかという疑惑が持ち上がっている。ペイントが真新しということもあるようだが、F-16の中でも中東地域ではイスラエルにしか供給されていない機種だったからである。反撃する能力のない人びとを殺戮する作戦ばかり繰り返してきて、反撃されることを忘れていたのだろうとも皮肉られている。

 この戦闘機撃墜と絡んで注目されているのが、その直前にあった大規模な爆発。映像を見た情報活動に関する専門家で「ベテランズ・トゥデイ」の編集長でもあるゴードン・ダフと核物理学者で元IAEA査察官のジェフ・スミスはMOAB(GBU-43/B)級だと推定しているのだが、この爆弾の重量は約1万0300キログラム(2万2600ポンド)で、爆撃にはC-130輸送機などを使うという。

 攻撃の際、そうした航空機が飛行していた事実はないようで、F-16と見られる単発エンジンの音が映像から聞こえるだけだった。F-16に搭載できるのは2000ポンド爆弾までらしく、MOAGを積むことは不可能。そこで出てくるのが小型中性子爆弾説だ。1986年にイスラエルの核開発に関する内部告発をしたモルデカイ・バヌヌによると、1984年までにイスラエルは中性子爆弾を大量生産していたという。

 2013年5月や14年12月にはシリアで大きな爆発があったと報告されている。まるで地震のようで「巨大な金色のキノコに見える炎」が目撃され、小型核爆弾、いわゆる「スーツケース爆弾」が使われたという噂も流れていた。今回の爆発と似ているようだ。

 このイスラエルと日本は核関連の分野で関係がある。2011年3月に東電福島第一原発が「過酷事故」を起こし、燃料がメルトダウンしたが、その際、同原発のセキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラをイスラエルのマグナBSPが設置したとエルサレム・ポスト紙ハーレツ紙は報道している。

 こうしたこともあり、日本政府や東京電力が外部の専門家を原発へ近づけなかったことに疑惑を抱く人は少なくなかった。発電以外の何らかの作業が行われていたのではないかというわけだ。

 1965年に佐藤栄作首相はアメリカのリンドン・ジョンソン大統領に対して核武装の意志を伝え、69年には政府内で核武装について本格的な話し合いを行い、西ドイツ政府とこの問題で秘密協議をしていることが判明している。

 この協議で西ドイツは日本の申し出を断ったようだが、コンラッド・アデナウアー西独首相はイスラエルの核兵器開発へ協力していたことが判明している。1960年3月に同首相ニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談、核兵器を開発するため、1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めているのだ。

 もっとも、イスラエルの核兵器開発で最大の資金提供者はほかにいる。エドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。その祖父、エドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドは1882年にユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供している。

 日本における核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、プルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で生産することになった。高純度のプルトニウムを1年に100キログラム余りは作れると志垣は見積もっている。

 1980年代、ロナルド・レーガン政権のときに日本の核兵器開発が本格化すると主張しているのはジャーナリストのジョセフ・トレント。CIAに情報源を持つことで知られている。彼によると、1980年代以降に日本が兵器級プルトニウム70トンを蓄積、IAEAは黙認してきたと主張している。

 アメリカ側の支援で本格化した日本の核兵器開発だが、CIAなどの情報機関は警戒、監視してきた。そのCIAをブロックしてきたのが日本の後ろ盾になった勢力。

 資金はあったイスラエルだが、核兵器の開発に必要な核物質は不足していた。そうした核物質入手に重要な役割を果たした会社がアメリカのNUMEC。この会社の核物質管理に不自然な点があることをAEC(アメリカ原子力委員会)は1960年頃に察知、65年にはウェスチングハウスや米国海軍からNUMECへ持ち込まれた濃縮ウランのうち90キログラム以上が行方不明になっていることに気づいている。

 これを含め、NUMEC関係の「紛失核物質」の総量は178キログラムから270キログラムに達するとも言われている。1964年にイスラエルではディモナの原子炉が本格的な操業を開始しているので、行方不明になった濃縮ウランはイスラエルに運ばれたと疑われているが、CIAもFBIも事件を追及することはなかった。イスラエルに厳しい姿勢で臨んでいたジョン・F・ケネディが大統領だったなら別の展開があったかもしれないが、1963年11月に暗殺されている。

 このほか、イスラエルは200トンの酸化ウラニウムをソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックから1968年に購入、さらにアメリカで3600キログラム以上のウランとプルトニウムを盗み出したとする報道もあった。





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最終更新日  2015.05.30 01:26:46



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