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《櫻井ジャーナル》

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2015.06.08
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 衆議院の憲法審査会へ参考人招致された3名の憲法学者が、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案(戦争法案)を憲法違反だと主張した。その学者の中には自民党が推薦した人物も含まれている。

 こうした学者に言われるまでもなく、安倍晋三政権が憲法を無視して戦争する準備を進めていることは明白だが、安倍がその流れを作ったわけではない。何度も本ブログでは書いてきたことだが、その始まりは1992年にアメリカ国防総省で作成されたDPGの草案である。

 ソ連が1991年に消滅したことを受け、アメリカが「唯一の超大国」になったと思い込んだネオコン/シオニストが作成した世界制覇プランで、そのベースは国防総省のシンクタンクONA(ネット評価室)で室長を務めてきたアンドリュー・マーシャルの戦略。当時の国防長官は好戦派の中核で活動してきたリチャード・チェイニー、実際に書き上げたのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツのほか、I・ルイス・リビー、ザルメイ・ハリルザドだという。

 このDPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれているが、それに基づいて作成された報告書、『米国防の再構築』をネオコン系シンクタンクのPNACが2000年に発表した。その報告書の執筆者はステファン・カムボーンやロバート・ケーガン(ビクトリア・ヌランド国務次官補の夫)などのネオコンが名を連ねている。その中心は下院軍事委員会の元スタッフで、2002年からロッキード・マーチンの副社長を務めことになるトーマス・ドネリー。その中でオスプレイの導入が推奨されていた。オスプレイもウォルフォウィッツ・ドクトリンから出て来たということ。

 2000年の大統領選で「勝利」したジョージ・W・ブッシュを担いでいたのはネオコンで、『米国防の再構築』を執筆したメンバーと重なる。必然的にブッシュ・ジュニア政権の政策は、この報告書に基づくことになった。

 日本の政策は基本的にアメリカ支配層の事情で決まる。1992年当時、ネオコンはソ連を消滅させ、ロシアには傀儡のボリス・エリツィンを大統領に据えることで属国化に成功したと判断していたはず。そこで、マーシャルたちは重点地域を東アジア、つまり中国へ変更した。つまり、日本を使う状況になったわけだ。

 ウォルフォウィッツ・ドクトリンから3年後、ジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。その報告書が作成される切っ掛けを作ったのは国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニン。ふたりは日本が自立の道を歩き出そうとしていると主張、友人のカート・キャンベル国防次官補を説得してナイやエズラ・ボーゲルに彼らの考えを売り込んだという。

 1996年には「日米安保共同宣言」が出され、安保の目的が「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大、97年にまとめられた「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」では、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになり、99年の「周辺事態法」につながる。

 この「周辺事態」とは、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」を意味し、「周辺」は「地理的なものではない」。つまり、世界中に展開する可能性があるということ。2005年になると「日米同盟:未来のための変革と再編」が締結され、日本は「日米共通の戦略」に基づいて行動するとされた。

 アメリカでは1980年代の前半、ロナルド・レーガン政権の時代からCOGプロジェクト(一種の戒厳令計画)が秘密裏に推進され、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃(9/11)され、それを利用して「愛国者法」という形で顕在化した。

 ブッシュ・ジュニア政権はこの攻撃をイラク侵略の口実に使おうとする。政府は2002年に実行する予定だったらしいが、統合参謀本部の反対で1年ほど延期されたと言われている。「大義」がなく、作戦自体も無謀だという理由からだった。「大量破壊兵器」が嘘だということは公然の秘密だったのである。

 ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒すべきだと主張、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、1991年にウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると話していたという。9/11から間もなく、国防長官の周辺ではこの3カ国にリビア、レバノン、ソマリア、スーダンを加えた国を攻撃予定国リストに載せていたともクラークは語っている。

 アフガニスタンやイラクを攻撃する口実は嘘だったことがすぐに判明するが、ネオコンは攻撃プランを中止しない。そして始まったのがイスラエルやサウジアラビアと組んで始まったシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作だ。その延長線上にリビアやシリアでの体制転覆プロジェクトもある。

 シーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いた記事によると、工作の中心にはチェイニー副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官やハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンだという。

 この頃、ロシアではウラジミル・プーチンが西側巨大資本の傀儡を整理、独立を回復していたのだが、まだロシアの力を見くびっていた。アメリカ支配層の「準機関誌」とも言えるフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器を第1撃で破壊できるとしていた。

 つまり、先制核攻撃を仕掛ければ圧勝でき、アメリカは真の覇者になれるというわけだが、この分析が間違っていることはすぐに判明する。2008年8月、グルジアが南オセチアを奇襲攻撃したのだが、ロシア軍の反撃で惨敗したのだ。真正面から衝突するのは得策でないと彼らも考えただろう。

 リビア、シリア、ウクライナなどでの戦乱を見てもわかるように、「民主化勢力」というタグをつけた傭兵が軍事侵略して体制を倒すという手口を使っている。その際、民主化を願う人びとを利用、ウクライナの西部では効果があった(判断は間違っていた)ようだが、リビアやシリアではアル・カイダやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)による完全な侵略戦争。ウクライナにしても侵略だ。

 しかし、アメリカの侵略に賛成しながら侵略戦争に反対だと叫んでいる人たちが存在する。奇妙な話だ。アメリカの支配層に刃向かいたくないのだが、ビジネス上、あるいは党利党略上、その戦略に反対しているかのように振る舞いたいだけだろう。そこで本質的な部分は知らん振りし、アメリカ/シオニストを怒らせないように注意している。

 言うまでもなく、ソ連は1917年11月の十月革命によって生まれた。その8カ月前に帝政ロシアを倒した二月革命は内外の資本家階級が主導権を握り、臨時革命政権はアレクサンドル・ケレンスキーを通じてイギリス政府やシオニストと結びついていたと言われている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 二月革命の際、ボルシェビキを率いていたウラジミール・レーニンやレフ・トロツキーたちは亡命中か、刑務所の中。戦争を望む資本家が後ろ盾のケレンスキー政権を嫌ったドイツは戦争に反対していたボルシェビキを支援することを決断、その幹部をロシアへ帰還させた。そして十月革命につながるわけだ。

 この時以来、西側(米英)の巨大資本はソ連/ロシアとドイツが手を組むことを嫌い、この両国を衝突させ、疲弊させようとしてきた。アメリカの巨大資本がナチスを資金面から支援していた理由もこの辺にあるだろう。単に「コミュニズム」を掲げた国を破壊したかっただけではない。現在、アメリカはネオ・ナチを使っているが、これも必然。これからウクライナで軍事的な緊張を高め、EU(ドイツ)とロシアが相互破壊して欲しいと願っているだろう。

 勿論、アメリカは日本と中国を衝突させようともしている。互いに破壊し合って欲しいはずだ。ウォルフォウィッツ・ドクトリンで潰すべき潜在的ライバルとしている国、地域の中には日本も中国も含まれている。中国との核戦争を覚悟せずに戦争法案を成立させることはできない。アメリカの操り人形である安倍首相は、思考力のある人間にできないことを嬉々として推進している。





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最終更新日  2015.06.10 04:29:48



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